【小説】 Finder
手を伸ばしたら届きそうな距離感が好きだ。
その距離感が私には堪らなく落ち着いて、色褪せない景色に見える。
触れられそうで、触れられない。手に入りそうで入らない。世界なんて、そんな規則で成り立っている気がしたのは、丁度高校2年の時だった。
あれは、卒業式のことだ。好きだった先輩が卒業する前日。放課後の教室で明日の卒業式が終わったらまた教室で喋りにきていいですかと聞いたあの春の日のことだった。先輩は少し驚いていたようだけど、「いいよ」と二つ返事で答えてくれた。「卒業式の後、友人と写真を撮ったり出かけたりするからあんまり長くは喋れないかもしれないけれど」と予め断られた上で、了承してくれたのだ。内心小躍りしたくなるくらい嬉しかったことを覚えている。
式当日、予告通り教室に入って先輩を見つけた。周りには同学年の男子や女子に囲まれて、卒アルにメッセージを書いて笑い合っていて賑やかだ。先輩は私の姿を見つけたところで会話を遮ってこちらにやってくる。軽やかな足取りで「お待たせ」という先輩はさながら少女漫画に出てくるキャラクターのように登場した。それだけでズルい。やってきた先輩の視線を感じながら「あの...」と言葉を出したのはいいものの、続きが言えず喋れない。何を言っていいのかもわからない。頭が真っ白になるってこういうことなんだと実感しつつ、漸く冷静になろうと言葉を繋ぐ。
「ちょっと忘れ物しちゃったんで、取りに戻りますね」
一旦自分の教室に戻れば冷静になれるはずだと確信した私は、言葉を伝えると廊下へ出て下の教室へ向かう。すれ違い様に隣のクラスのミッちゃんと会った。彼女は上がり、私は降りる階段で。向こうは気づかず、私は気づいて。視線は混じらない、交差点にいる気がした。
5分もなかったと思う。元の先輩の教室に戻った時には先輩はミッちゃんのモノになっていた。教室は笑顔に包まれている。華やかな場に私は不必要だ。場違いも甚だしい。先輩を見つけた時、私は笑顔で伝えた。
「卒業おめでとうございます」
あの時、教室に戻らなければと何度思ったか分からない。後悔先に立たずなんてことわざが衝撃波のように胃を貫いたような気持ちになったのを、今でも覚えている。それでも、自業自得だと言い聞かせて、私なりに答えを出した。
私は触れられそうで、触れられなかったあの距離感が好きだったのだと。
季節が何度巡っても、春になってふとした瞬間思い出していたあの頃も、今となっては色褪せた。時間とは妙薬だ。重ねた年の数だけ思い出が褪せて無くなり、残った綺麗な想いだけが結晶化する。そうして楽しかった記憶がレリーフのように編み込まれて、その上に新たな出来事が上書かれていく。
ファインダー越しに映る景色を撮り続けていた私も、気がつけば10年経っていた。可愛らしい笑顔、安らかな笑顔、シワのよった目尻のにこやかな微笑み、赤ちゃんの驚いた顔、笑い、悲しみ。感情の全てを撮ってきた。被写体の人はみんな素敵な方で、撮ってほしい願いも背景も様々だ。思い思いの気持ちが表情となって現れる。
「撮りますよー」
一言声をかけて、シャッターを何枚か切る。
私には、今を残す写真が貴く思えた。
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