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徳得(とくとく)ポイント

世の中には2種類の人間がいると思う。人に任せたり見ないふりをして面倒ごとをうまく避けていく人間と、その面倒ごとを引き受けてしまう人間。
そして私の母は間違いなく後者だ。

立候補者のいない子供会の役員。パートなのに早出してサービス残業。新人のミスを被ってお局社員に怒鳴られる。誰も見ていないタイミングで遭遇してしまった、カラスに荒らされた町内のゴミ置き場の掃除(しかも時間外に出された未回収のゴミによるもの)。エトセトラエトセトラ…。

人から感謝されることもあるし、喜ばれた時の嬉しさや達成感はある。けれど、誰にも気づかれないことが大半だし、いわゆる「損」をする時の方が圧倒的に多い。でも、見て見ぬふりをするのはなんだか気が咎めるような、様々なこと。

そんなものごとを引き受けた時に母が使うキメ台詞が

「また『徳得(とくとく)ポイント』を積んでしまった…」

(またつまらぬものを切ってしまった…みたいなニュアンスで言います)。


徳得ポイント(とくとくポイント、と音声でしか聞いたことがないので、文字は今私が当てはめました)は、厄介ごとや自分の損得を顧みずに人のために動いた時などに溜まるお得なポイントである。善い行いをするという意味の「徳を積む」にかけているので、ポイントだけれど貯まるのではなく積まれていく。

このポイントを積んでおくと、来世で大きな恩恵を受けられるらしい。また、今世でも時々ポイント還元を受けることもある。らしい(母にいいことがあった報告をすると、だいたい「ポイント還元だね」と言われる)。

要するに、「善い行いをした」「徳を積んだ」と思うことで、今後いいことが起こるに違いない!と嫌なことをプラスに捉えるためのライフハックなのである。

もちろん厄介ごとを引き受けずに済むならそれに越したことはないけれど、どうしても避けられない時もある。それならいっそ、徳を積むために引き受けた、と考えて主体的に関わった方が精神衛生上よい、というのが母の考え方なのだと思う。

母は別に特別ポジティブな人ではないと思うし、たまに会うと愚痴もたくさん出てくる。でも、「貧乏くじを引いた」という言葉を使っても成立するシチュエーションで絶対に「また徳得ポイント積んじゃった」と言うのだ。

大人になって、自分の親の良いところも嫌なところも見えるようになってきたけれど、母のこの考え方は好きだ。私も日々の中で徳を積んで、(来世のことはよく分からないけれど)時々ポイント還元の恩恵を受けられたらいいな。

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