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魔源郷 第3話「猟師」

 「魔物」とは、広く言えば、人間を襲うものの総称である。
 しかし、「魔物」とは一口に言っても、その種類は様々である。
 人間とさほど変わらない姿をした、人型というべき魔物もいる。
 彼らの性質は、概して穏やかで、滅多に人間を襲うことはない。
 人間の迫害を恐れて、隠れ住んでいたり、人間のふりをして人間生活に溶け込んでいたりしている。
 一方、明らかに怪物の姿で、知能をほとんど持っていないように見える魔物のことを、「魔獣」と呼ぶ。最も、「魔獣」と呼んでいるのは、魔物を狩る猟師の間だけでのことであるが。
 一般の人々は、魔物は全て恐ろしいものと認識している。
 人間を襲う魔物の大半が魔獣だから、人々はそれを魔物と認識しているのである。
 魔物たちが、いつからこの世界に棲み始めたのか。
 それは、何にも記されていない。
 少数の歴史学者は、大昔にあった大洪水のために、何らかの影響で魔物が生まれてしまったのではないかと推測している。
 古代に起こった大洪水については、世界中の様々な書物や碑文などに記録されている。
 その記述は曖昧で、核心的なことは書かれていない。
 肝心の魔物についての記述も、どこにもない。
 また、いかにして大洪水が起こり、現在の人間が生き残ったのかも、曖昧になっている。
 ただ、古代に何らかの理由で戦が起こったという記録が残されており、それだけが古代の歴史の鍵を握っていると考えられている。
 現在の世界に対して、大洪水によって滅んだとされる世界のことを、「旧世界」と呼ぶ。
 旧世界から現在の世界に至るまで、何百年もの歳月が流れている。
 旧世界について知る者がいるとすれば、旧世界から現在まで生き続けている者だけであろう。
 そのような者は、不死者しかいない。

「今まで何百年と生き続けてきて、仲間を探し続けてても、やっと一人、見つかっただけなのか。」
 暗い、日の差さない倉庫の中に、フィン、ジンジャー、アリスの三人がいた。
「ああ。長い旅を続けてきたが、アリスが初めてだ。」
「こんなことを言うと気を悪くするかもしれないが…死のうとは思わなかったのか?」
「…何度も思ったさ。だが、親友に会うまでは、仲間を見つけるまでは、死にたくないと思った。俺と同じ思いを持っている奴らがいるなら、会って共に生きていきたいんだ。この世界の…終わりまで…。」
 ジンジャーは、あの、人を寄せ付けないような、冷たい表情になった。
「…そうか。」
「ジンジャー。あたし、協力するから。その、しんゆうを見つけるって。」
「ありがとう。ブランデーだよ。俺の親友の名前。」
 穏やかな表情になって、ジンジャーはアリスに微笑んだ。
「ブランデーって、どんな人なの?」
「優しい奴だ。俺と同じバンパイアだが、人間の血を吸うことを嫌がっていた。あいつは、俺のように人間を憎んではいなかった。そのために、人間を襲えず、血の渇きをネズミの血で癒していた。」
「人間の血じゃなくてもいいの?」
「まあね。だが…人間以外の血では、さほど血の飢えを満たすことは出来ない。だから、常にブランデーは苦しんでいた。俺のように、人間を憎むことが出来れば、問題はないんだが。」
「あたしは、人間を憎んでないわ。どうして、ジンジャーは人間を憎んでるの?」
「…アリスは知らないんだな。」
 ふと、ジンジャーはアリスの瞳を覗き込んだ。
「もしかして…記憶が失われているのか…?旧世界の…。」
「きゅうせかいって…?あたし、よく分からないわ。」
「バンパイアなら、旧世界のことを知っているはずなんだ。覚えていないはずがない。あの世界でのことを…。一体何故…?」
 不思議そうにして、アリスは首を傾げている。
「ジンジャー。そろそろ、出航の時間だが…どうする?」
「ああ、そうだったな。」
 ジンジャーは、灰色のマントを頭からすっぽりと被った。
「アリスは平気なのか?」
「何が?」
「日光だよ。俺たちは、日光に弱い。肌が焼けただれるぞ。」
「大丈夫だったけど。」
「そうか…?」
 心配そうに、ジンジャーはアリスを見つめた。
「俺も心配だな。」
 フィンが言った。
「やっぱり…。」
 ジンジャーがアリスの頭を撫でた。
「いや、アリスじゃなくて、俺が。昨日、お前に血を吸われただろ。そこが、痛いんだ。ただ手を掴まれただけで血を吸い取られるなんてな…。」
 フィンは、昨日ジンジャーに掴まれた腕の部分に包帯を巻いていた。その部分が、少しばかり赤く腫れている。
「多分…大丈夫だろう。吸ったといっても、あの程度じゃ、死には至らない。安心しろ。」
「いや…心配なのは、俺がおかしくならないかってことだ。バンパイアは感染したりしないよな…?確か…。」
「病気じゃないんだ。そんなことにはならない。第一、そんなことでバンパイアが増えていたら、今頃、世界中がバンパイアだらけになってるはずだ。」
「それもそうだな。」
 日が昇り始めた頃、三人は船に乗り込んだ。
 その夜、その船で死者が数人出ることになるだろう。
 一人のバンパイアによって。

 月の明るい夜。とある町で魔獣が暴れていた。
 犬より少しばかり大きいくらいの、灰色の毛に覆われた黄色い目の魔獣。
 それらが群れをなして、人間を襲っていた。
 逃げる人々はすばやく捕らえられて、今にも噛み付かれ、肉を引きちぎられそうになっていた。
 そこへ、猟師が現れた。
 手に長い銃を持った、背の高い男だった。
 月光を背にして、彼の金髪が光り輝いている。
 彼は銃を取り出し、魔獣たちを次々と葬り去っていった。その狙いは正確かつ、素早かった。
「猟師さま…!」
 人々は、歓喜の声を上げた。
 猟師は、大きな青い目で人々を見渡した。
「死者はいないようだね。」
 白い歯を見せて、にっこりと笑った。
「ああ、猟師さま…我らの救世主さま…。」
 人々は大地にひれ伏し、彼に向かって手を合わせた。
「そんなものはいらないよ。」
 彼の目が冷たい光を帯びた。
「さあ、報酬を頂こうか。」
 にっこりと笑った彼の顔が、月光に照らし出された。
 まだ若い青年だった。
 人々は金を渡そうと、青年のもとに集まってきた。
 全員から金を取ると、青年はにっこりと笑って、金を袋にしまいこんだ。
「さて、では死んでもらおうか。」
 その夜、そこにいた人々は皆殺しにされた。
 死体は、まるで魔獣にやられたように、肉をずたずたに引きちぎられていた。
 事件は、魔獣の仕業として片付けられ、人々の記憶からすぐに忘れ去られていった。

 赤い目が、闇に光る。
 眠りこけている人間の手首に、浮き上がった血管。
 その部分を、冷たい白い手が掴んだ。
 そこからどくどくと流れ込む命を吸い取った。
 死体は、何も知らずに眠っていた。
 赤い目が、漆黒に戻った。
 ジンジャーは、寝静まった船の中を、音を立てずに歩き、船室へと戻った。
 フィンもアリスも、深く眠っている。
 ジンジャーは、一人眠らずに闇の中で、窓から見える月を眺めていた。
 過去のことを、思い出していた。
 人間を襲うことを拒んでいた親友、ブランデーのこと。
 人間によってバンパイアに変えられたことに、怒りを感じ、人間を憎んだこと。
 バンパイアになる前のこと。
 明るい太陽の日差しを浴びて遊んだ記憶。
 どうにもならないことと分かっていても、思い出してしまう。
 今ではすっかり、この生活に慣れきっている。
 人間の血を奪うことに、命を奪うことに、何の躊躇も感じない。
 しかしこれからは、何かが変わるかもしれない。
 仲間がいる。
 ずっと、探し続けてきた仲間が見つかったのだ。
 永遠を共に生きる仲間が。
 少なくとも、多くの出会いと別れの苦痛からは、解放されたのだ。

 船は西を目指して航海を続けていた。
 穏やかな天候。穏やかな波。
 しかし、一日に一人、船員が死んでいった。
「血が抜き取られている。これは一体どういうことだ?」
 死体をみた船医は首を傾げた。
「魔物の仕業じゃないですかね?こんなことが出来るのは。」
 船員は何気なく言った後、青ざめた。
「まさか、この船の中に…?」
「乗客を全員調べろ。」
 船長の命令で、船に乗っている客も船員も全員調べられた。
 当然、フィンもアリスも調べられた。
「お前は猟師だな。」
 胡散臭そうに、船長はフィンを見た。
「その箱は何だ?」
 船長は、縦長の木箱を指差した。人一人入れるほどの大きさの箱。
「何が入っているのか、調べさせてもらう。」
 しかし、中はからっぽだった。
「怪しい者はいないな。」
 船長は、船室を軽く見渡してから、去っていった。
「ふう…。」
 フィンは、ため息をついた。
 木箱には、仕掛けがしてあった。
 蓋が二段構えになっていて、上の蓋を開けて見ただけでは、中に何も入っていないように見える。しかし、もう一つの蓋を取ったその下にも空間があり、そこにジンジャーが横たわり、隠れていたのだ。
 ジンジャーは昼間、その中で眠っていた。
 そして日が沈む頃に起き出して、活動する。
 人間の生き血を求めて。
 航海は、まだ続きそうだった。

 比較的大きな町の路地を、ふらふらと歩く者がいた。
「君、この辺で魔物が出たって聞いたんだけど。」
 大きな白い帽子を深く被った若い男。鮮やかな青い色の長いマントを着ており、その背中には、黒光りする長い銃が装備されていた。腰にも、短銃が一つ下げられていた。
 男は帽子を取り、明るい笑顔を見せ、帽子の下から輝く金色の髪が現れた。
「ええ…、あの、あなたは猟師…?」
 尋ねられた女は、男の武器を見ると、すぐに気付いて、膝をついて頭を下げた。
「お願いします!待っていました!」
「はは、そんなふうに言われなくても分かってるって。すぐに片付けてやるよ。で、魔物に殺された人はいるの?」
「はい…もう何人も…。」
「ち…。」
 男は舌打ちした。
「君たち、魔物は今夜殺すから、おびき出してほしいんだ。君たちが町の広場に集まってれば、魔物もやって来るだろう。」
「で、でも…。」
「心配いらないよ。すぐに殺すから。僕の名はラム。覚えておいて。」
 にこっと笑うと、その男、ラムは帽子を被り、軽い足取りで去っていった。

 夜。
 月は隠れていた。その代わり、町の灯りが広場を照らしている。
 広場に集まった人々は、十数人。ラムの言葉を聞いた者たちだった。
 彼らは、恐れながら、ラムが来るのを待っていた。
 それよりも先に、魔物が来てしまった。
 魔物は一匹だったが、人間の何倍もある大きな体をしていた。
 白い毛で覆われた魔物で、狐に似ていた。
 魔物は目を赤く光らせて、唸り声を上げ、ゆっくりと近付いて来た。
「何やってるんだ!猟師は!」
 人々の中から悲鳴が上がった。
 しかし、魔物は次の瞬間、大きな銃声とともに突然倒れた。
 魔物の心臓を、銃弾が貫通していた。
 人々は一斉に、その方を見た。
 あの男が立っていた。長いマントに大きな帽子。彼は背中に銃を収めた。
 ラムだった。
 魔物は、その一撃だけで、永久に動かなくなった。
「おおお…。猟師さま…!」
「騒ぎすぎだよ、皆。」
 ラムは、明るい笑顔を作った。
「さて、では報酬を…。」
 人々は、用意していた金を、ラムに渡した。
「うん。悪くないね。」
 ずしりと重い金の袋を持って、ラムは微笑んだ。
「さて…と。」
 ラムの顔から、笑顔が消えた。
「死んでもらうよ。」
 冷たい声が響き渡り、人々は耳を疑った。
 死ぬ直前になって、人々はその男の本性を知った。
 次の日、町の広場は血にまみれていた。
 ずたずたに引き裂かれた人間の死体。
 またも、事件は魔物の仕業ということになった。

 酒瓶には、紫色の液体が満たされていた。
 それを時折飲みながら、ラムはカフェテラスで涼しい風を受けながら、くつろいでいた。
 新聞を広げて、満足そうな笑みを浮かべている。
「猟師というのも、悪くない…。」
 小さく呟き、ラムはにっこりと笑った。

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