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スーパー銭湯の漫画

 昔から漫画を読むのが好きだった。お小遣いを貯めては好きな漫画の単行本を買いあさっていた。

 今も紙で漫画を読むことは好きだ。
 でも仕事柄引っ越しが多く、実家に一切の私物を置くことを許されていないので、転勤の度に漫画数百冊を本棚から出して、段ボールに詰めて、引っ越し屋さんに申し訳ないと思いながら運んでもらって、また段ボールから出して、1冊1冊本棚に詰めて…を繰り返していると、だんだん新たな単行本を買う意欲が失せてきて、厳選するようになった。
 長編で止め時がわからないもの以外は、新たな作品に手を出すことも減って来た。

 それでも、面白い漫画は読みたい。週刊誌などはたまに買うが、やはり単行本でないと流れが分からないしじっくり読みたい。そこで大活躍するのが、スーパー銭湯である。

 なんとなく、漫画喫茶は苦手だ。あの個室空間で、「〇時まで」と時間に急かされながら慌てて読み進めても、なんとなく内容がおざなりになってしまうのだ。

 その点スーパー銭湯は、フリータイムで入ればもういくらでもだらだらできる。お風呂とサウナと岩盤浴も楽しみつつ、ハンモックやリクライニングチェアで好きな漫画を一気に読める。控えめに言って最高だ。何もない休日に朝から晩までスーパー銭湯で1人で過ごすのは、私の数少ないリラックス法の1つだ。

 さて、ここで問題なのは、「あれ、この作品、何巻まで読んだっけ」である。

 メモをすればいいだけの話なのだが、どうも忘れてしまう。
 「このへんかな」と思って適当なところから読むと「うーん、読んだことあるような気もするし、ないような気もする。まあとりあえず読み進めよう」とページをめくっていると、「あ、やっぱり読んだことあったわ」というシーンに行き当たり、「まあでも時間あるし復習がてらここから読もう」と思っていると、前回読んだところにたどり着くまで10巻分くらいかかることもある。
 『キングダム』なんて、鄴攻めを何度読んだことだろう(ただし、あれは14巻分もあるから、仕方ない)。その度に涙する場所も毎回一緒である。

 実家にあった、昔親が読んでいた作品も手が止まらなくなる。
 「リングにかけろ」は私の青春だったが、どんどん謎のフィニッシュブローが出てくることに冷静に突っ込めるようになった。「ガラスの仮面」は、昔は一生懸命なマヤの目線で、大人の理不尽に腹を立てながら読んでいたのに、気付けば自分が速水真澄側の年齢になっていた。

 どの作品も、できれば手元に置いておきたいものばかり。
 いつか大金持ちになって大きな家に住んで、引っ越しの必要もなくなったら、好きな漫画を好きなだけ買って、大きな本棚にこれでもかと言わんばかりに陳列して、自分専用のスーパー銭湯を作りたい。
 あ、でもスーパー銭湯にするなら大きなお風呂とサウナと岩盤浴も必要か。それは難しい。結局、今後もスーパー銭湯のフリータイムにお世話になることになりそうだ。

 なんて妄想をしていたら、スーパー銭湯でだらだらしただけで休日が終わった。幸せだった。

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