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【どう思って行動しているのか?】

一見乱雑に見える私の行動は、

ある一つにまとまっていることに気づきました。


全ては、「地球にとってどうなのか」「社会にとってどうなのか」をすごく考えて行動してます。もちろん出来ていないことも沢山ありますが。


私は幼い時から、人間がピラミッドの頂点を支配しているってことにとても違和感があります。


人間がピラミッドの頂点にいるから、自然を壊してもいい、動物たちにひどい扱いをしていい、なんてそんなおかしな話ないと思ってます。


人間だとしても動物だとしても皆同じ一つの命じゃないですか。

それに対してどっちが偉いとかってないと思うんですよね。


それは障害者も、ジェンダーも、年功序列な仕事関係も、動物と人ともそうだし、すべてに言えることだなって。
私は幼いころから大きな「罪悪感」を持ち続けてることに気づきました。

それは「人間として生まれてきた罪」です。


人間として生まれてきた時点で、環境破壊をする一員、動物たちを虐殺して食している一員、直接手を加えていなかったとしても、
私たち人間たちは、地球に、生き物たちに、今までどれほどの罪を犯してきたのだろうと思うのです。


もしも動物たちに「声」があったら

私たちはなんといわれるのだろう?と。


「私たち家族はもう皆絶滅しました。家族はもういません。私たちが人間たちに何をしたって言うんですか?私の家族を返してください。」って言われているように感じます。苦しむ動物たちの声を聞いては胸が張り裂けそうになるのです。
戦争と同じで、例え私たち個人が自分の意志で殺める事をしなかったとしても、一つの「日本人」とくくられて責められるように、
自然や動物達からしても、ひとつの「人間」としてみられるのだろうと思います。


私は幼い時からその重積にすごく苦しく思ってきました。そしてなぜ皆がその罪を微塵も感じていないのか不思議でたまりませんでした。


特に感じたのは大学であったマウスの実験です。

先生が「一人ずつマウスの尻尾をカッターナイフで切って血を出して顕微鏡で見るように」というと何の疑いもなく皆マウスのしっぽをカッターナイフで切り始めるのです。マウスのしっぽは無数の傷でジャバラのようになり、中には力加減をミスってしっぽを切断してしまう人もいます。もちろんマウスに麻酔はかけられていません。その子たちはどれほどの恐怖と痛みの中にいたのでしょうか?
その姿を見た私は、「私たち人間たちが本当にごめんなさい」と涙が止まりませんでした。


私は先生に「そんなことはできません、私たちは人間の事を扱う薬剤師を目指しているので代わりに自分の血液を見ます」と言って、針で穴を空け自分の血液を観察しました。


私が言いたいことは動物実験辞めろ!とかではなく、『相手の事を考える事』、そして『自分で考えてそれが正しい行いなのかを考えること』が大事だと感じました。

「誰誰が言ったからやった」と責任転換していては、人間も動物も、誰も救われる日は来ないと思うのです。
自然、動物たち、声なき者たちは辛くても苦しくても声を上げることすら許されないのです。

そして、その数々の怒りと苦しみは今大きく膨れ上がってきています。

代償は必ず償わなければいけないときが来ます。

あるときは自分だけでも死んでしまった方が地球のためではないかと何度も思いました。


でも、人間に生まれた以上、「強い者は弱い者を守る使命」があると思いここまで生きています。


例えそれがどんなに小さな力だとしても、

唯一、その子たちを守れるのは生態系の頂点に立ってしまった「声ある力ある人間」しかいないのです。
私の声を聞いて100人が動かなくてもいい、101人目の奇跡を信じて動き続けたいと思う。

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