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『出来た』変換

二日間人といるのはちょっと疲れたのかもしれない。
今週は、先週よりさらに体調が悪い。
ほぼ完全に寝たきり。
PCを開く気力も音楽を聴く気力もなかった。

そんな一週間、昨日インスタのストーリーで
「今わたしが死んでも誰も気付かないね」と書いた。

すると今日の朝友人からDMが来ていた。
やりとりをする中で、
「自分を大事にするのも、守るのも、認めるのも、とっても勇気がいることだよね」
と言われた。

わたし、最初意味が分からないというか、いや意味は分かるんだけど
そんなこと考えたことなかった。。。って。

でも考えていくうちに
あぁ、自分のことって、守っていいんだ。認めていいんだ。って、なんだかすごくスッと心に落ちた。

考えたらこの約1ヶ月、自分のことを責めてばかりいた。

理由もわからず病んで仕事休んで、周りに迷惑しかかけていない。
今日も泣いてばかりだ。
今日も外に出れなかった。
今日も予定をキャンセルしてしまった。
今日も寝てることしか出来なかった。
自分ってなんなんだろう?
キャンプには行けないかもしれない。。。

こんなことばかり考えていた。
典型的なうつ病患者。


でも友人の言葉で、まずはこんな病気な自分を認めなきゃいけないって思って。
その次に、
出来なかったことを嘆くばかりじゃなく、
『出来た』変換してみよう!となった。

外に出れなかったら、今日は「ゆっくりする」が出来た。
今日は写真のレタッチが出来た。
今日は洗濯が出来たからはなまる。
今日はお風呂に入れたからはなまる(風呂入ってなかったんかいというのは置いておいて、、、)
今日は過呼吸を起こさず過ごすことが出来た。
今日は泣かずに過ごすことが出来た。


こうして、出来たことをピックアップする方式にすると、
気持ちもびっくりするくらい落ち着いた。

子供のお手伝いシートみたいですね。
でもいいの、わたしは以前も書いた通り、
『大人になりきれていない大人』だから、仕方ない。
そこも認めることにした。


昨日まではほぼほぼ不参加にするしかないだろうと思っていたキャンプも、
今の自分では自分の最大限は出せないけど、
とりあえず仲間たちに会うために、行こう!
と思えた。


友人の言葉でここまで考え方が緩和した。
この友人には感謝しかないな。


人は孤独だなと思う。
でも人は人がいないと生きていけないのも事実。
わたしは家族愛が薄いから尚更寂しがり屋なんだ。

これからも迷惑かけたり心配かけたりしていくんだ。
でもそんなわたしを許容して受け入れてくれる人も少数でもいるはずなんだ。


キャンプまであと2日。
決戦は今週末。

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