no.13 30代が振り返る、大学生時代の失恋日記

はじめに
何の飾り気もない記事を見に来てくれた方たちへ、ありがとうございます。
大学を卒業した後も、だいぶひきずっていたので、気が済むまで、書き続けます。
そして、同じことを何度も書きます。
失恋ってそういうものですよね、と思いながら読んでいただければと思います。

わたしが23歳の頃の日記。
大学を卒業して、1年が経ちました。
それを節目だと感じていたのだと思います。

今日は、友人と一緒に、大学の卒業式の会場に行った。
1つ年下の、後輩達の卒業式。

友人と話をしていて、あの人の話題になった。

あの人は、連絡先を変えたと聞いた。もう、わたしは連絡する術を持たない。それが、いやだなって思ってしまう。

けど、きっと、小さいことなのかもしれない。

別れて、きっとあの人は、わたしのことを本当は嫌いになっていて。
だから、そうするんだ。

当然の報いだ。そう思わないとやってられない。
あの人は、嘘をついたと思う。わたしのことは、友達として好きだと、そう言った。
簡単に、連絡の手段を消すような関係?それは友達?

わたしは、違うと思う。

今でも、好きだと断言できてしまう。いい加減、現実を受け止めろよ、と思う。

発作がとまらない。アレルギー反応のよう。
アレルギーだ、アレルギーだ・・・。
関係が切れて、だけど、わたしは思い出を回想して再摂取し続けた。アレルギー反応が起こるのも当然だ。

あぁ、こんなふうに例えるなんて、受け入れたくない言い訳なんだろうな。
自分は悪くないって思いたいんだろうな。

あの人が悪いんだって。・・・けど、それは違う。
悪いのはわたし。

ただ受け入れること。これはどんな心情でするもの?
どうやって自分に言い聞かせるの?何がわたしを納得させるの?何も考えずに受け入れられたらどれだけ楽だろうか?何も考えずに嫌いと、心から思えたら、どれだけ救われる?できないから書いてる。もがいている。こたえはない。もう、こんな考えは何週目かわからない。嫌いとか、死んでほしいとか、そうやって、わたしを完全に否定してほしい。暗に、そうするのはやめてほしい。いつまでも牢獄の中にいるようで一筋の光さえも、顔を上げることもできない。救ってほしい。頭の中の何もかもを消去したい。いつまで、すがらなきゃならないんだ。アレルギーは終わるの?なくなるの?なくなったら、どうなるの?笑えるの?たまに思い出して、アレルギーが起こらなくなったら、悲しく笑うしかないじゃないか。好きだけど、殺さなきゃなんないの。そんなのわかってる。だけど、生きてんだ。死にたくないって、心のどっかで、本気で、体がゆさぶられるほど感じてんだ。

この日記は、泣きながら、書き殴るように書いたことを覚えています。

わたし自身の卒業から1年。それを区切りにしようと思ったかどうかは覚えていませんが、この日記に発露させた感情でもって、ひとつの節目にしたんだと思います。

だた、その発露の結果は、アレルギー反応というものでした。
ある物質に対する過敏症状。
思い出を、思い返して、それによって感情が行き過ぎてしまっていた。
それがあたりまえになっていたなぁ。

大好きだったひとを、アレルギー物質に例える。
そうしないとやっていけなかった。

あの人との関係性に、区切りをつけよう。
そういう考えを文章にしながら、その考えを拒否する感情が抑えきれませんでした。

この日を境に、日記に登場する頻度は少なくなっていきました。
けれど、完全に吹っ切れていない証拠として、夢に出てくることがちょくちょくありました。

好きだという気持ちを持ち続けることに、執着していた節はあったと思います。
けど、もはや何の進展も望めない現実にも気づいていたと思います。

少しずつ、日にち薬の効果が出てきました。
わたしは、忘れたくないのに。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?