no.27 30代が振り返る、大学生時代の失恋日記

26歳になって間もない頃の日記。
もう、これで、最後かなぁ。

フラれて、それでも好きで、相手は会ってくれて、好きだと伝えて。
驚かれて、少しの後に会ってくれて、けど答えをもらえなくて。
もう、わかっていたはずなのに、答えをほしくて、そういうわたしでした。

連絡をした。

「会えません」

たったそれだけの言葉が返ってきた。

わたしは大きな駅の片隅で、声を殺して涙を流していた。からだがどうしようもなくふるえていた。

その日、その後、共通の友人が、
「相手の、この態度が答えなんじゃないかな?ちょっときついことを言うようだけど。」
「言葉だけがすべてじゃないで。言葉だけしか理解できないんだったら、一緒になれたとして、一生過ごすことになったとしても、言葉以外はずっと分からないままやで」
と言ってくれた。

わたしは、
"つきあっている間、ちゃんと話をしてこなかったと思ってた。話をして、その上で、相手の結論を聞きたかった“

友人は、
「でもそれは結局、相手の言葉を求めているだけでしょ?というか会いたいってことなんじゃないの?」

友人と押し問答をしていた。

"相手が会う必要もないって思ってることはわかったけど、態度だけで示すのもどうかと思う。以前会ったとき、考えさせてって言ってたの。このまま返事せずにペンディングなのもダメだよねって言ってたの。それなのに、会わないって、もうちょっとしんどいの“
わたしのこの文章に、友人はもう返事がなかった。

きっと、友人は、「諦めさせてあげて」とお願いされていたんだと思う。

あぁ、そっか。諦めなきゃならないんだ。
生きているこの気持ちを、わたしが、わたしだけで、ころさなきゃならないんだ。

友人にも、あきれられていたなぁ。
書いてあるとおり、この態度がこたえだよ、って、いろんな友人に言われたなぁ。
「もう、あのひとは、かえってこないんだよ」っていう優しいパターンで言ってくる友人もいたなぁ。

わたしは、それらすべてに対して、
ちがう、わたしは、相手に会って、相手の答えが例えそういうものでも、
直接言ってほしかった。と思っていました。

いまでも、思っている。

結局、相手への好きが、生きたまま、ころされる機会もなく、死ぬこともなく、
だらだらと生きながらえているのです。

たまに、相手を憎いと思って、すぐにごめんなさいって心の中で謝る。
わたしは相手のことを嫌えない。

会わないからなおさら、好きがずっとずっと、そのまま残っています。
わたしの好きはもう一生消えないと思うのです。

嫌いになれないから、嫌いにならない。
そして、もう会えないから、感情は動かない。
好きが、もう、固定化されちゃっているんだなぁって思う。

けれど、けれど、やっぱり時間は経っている。
好きの土台になっている記憶が、少しずつ薄まっていっている。

何回も、思い出すことで、消費されていったんだろうな。
呼び起こされる感情の深度が浅いなぁ。

記憶は、すこしずつ書き換わっていったりもするんだろうなぁ。

けど、いいんだ。
誰も知らなくても、あのひとも、もう忘れてしまっても、
わたしだけが、それを頼りに、何度でも好きだと思えるんだから。

きっと、1年、2年…5年、10年と経ったら、
思い出しすぎて、ぺらっぺらになった記憶の滓になっているんだろうなぁ。

そのとき、笑って、この恋を思い出せたらいいな。

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