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嵐の日曜日〜休むことと「余白」

日曜日。ロンドンに嵐が直撃した。強い雨風の音、木が揺れる音、何かが転がる音。そして、いつもとは違う世界が窓の外には広がっていた。一日の天気が安定しないロンドンとはいえ、こんな嵐は珍しい。そんな日は、休もうと心に決めた。幼い頃から、母親に「雨の日は寝なさい。身体を休める日だから。」と言われている通りに。

自分は、休むことが大嫌いだ。自分に妥協している気がするし、周りに申し訳ない思いがするからだ。留学前の生活は、「休み知らず」だった。

高校時代。「文武両道」が理想とされた地元の進学校に通っていた自分は、文武両道を守り抜く生徒だった。大量の課題を自分が理解するまでやり切り、授業も寝ずに聞き、テストも良い成績を収める。部活は吹奏楽部。文化部とはいえ、音楽と向き合う時間を費やしてこそ楽器が上達するのが基本だから、週7日で部活はあった。弱小校からきた自分は、周りに追いつくために自主練も全て参加していた。

そんな1日はこんな感じだった。朝5時30分に起き、始発2番目の電車に乗る。もちろん電車の中では単語帳。朝7時からロングトーン。1時間目10分前のベルまで基礎練。そこから、極力寝ずに授業。昼休みは、苦手なフレーズの練習を音楽室で。授業が終わると真っ先に音楽室へ向かい楽器を持つ。自主練までやって学校を出るのが19時。そこから塾で22時30分まで自習。そして帰宅。

そんな生活をやりきる充足感がとても心地よかったし、そんな自分が好きだった。楽器は、引退する頃には「入学した時とは別人だね」と顧問から言われた。成績も、一応トップ層に居続けることができた。周りに「部活と勉強の両立すごいよね」と言われることが嬉しかった。休み知らずな女子高生だった。

忙しさに快楽を覚えてしまったから、大学生になってもモーレツ!に頑張る日々を送っていた。遅くまでプロジェクトの電話ミーティングをしたり、バイトを出来る限り入れてみたり、暇があったらどこかに出かけてみたり。スケジュール帳に自分の予定がびっしり詰まっていることがとても誇らしかった。

でも、そんな時期は長く続かなかった。

大きな2つのプロジェクトをやり切った後、月1で体調を崩すようになってしまった。授業に行くのも辛い。多くの人達と会うのも嫌になってしまった、そして、「自分って頑張る以外に何があるの?」と自分を疑うようになってしまった。今振り返ると、軽い鬱だったのかもしれない。

そんな中、私はイギリスに留学した。現地に慣れることに必死になっていたら、限られた留学生活を充実させることに注力していたら、鬱のことなど忘れていた。「昔の自分」に戻っていた。それでも、昔のような充足感はなかった。英語をうまく話せないし、日本とは違う空間での生きづらさを感じていた。モヤモヤしていた。

そんな中、イギリスは嵐に見舞われた。

嵐が始まった日曜日未明、すごい悪夢で目が覚めた。単刀直入に言うと、殺される夢だった。気持ちを落ち着かせるために、寮の共用キッチンで水を飲もうとした。すると、隣の部屋の友人がいて「私は眠れないのよ、何かあったの?」と話しかけてくれた。そこで、悪夢と今の自分の悩みを打ち明けた。すると、

「あなたは考えすぎだし動きすぎなのよ。休みなさい。」

というシンプルな答えが返ってきた。

彼女は、イギリスの有名大の修士だ。色んなプロジェクトに従事し、明るい性格なので友達も多い。そんな彼女が大事にしていることは"Being lazy”だった。疲れたら寝る。その後に頑張る。そうやって彼女は結果を出してきた。

私は、日本人と他の国の人たちのギャップを感じた。日本は、働くことが美徳で休むことが悪だ。会社では、周りの目を気にして有給を取らない人もいる。休み方を知らないことに悩む人も多い。休むことがもっとオープンになって、休むことが美徳になる社会が日本にできたら、色んなことが良い方向に変わるんじゃないかと思う。

休むことは、堕落じゃない。「余白」だ。

という意識が広がっていけば休み方の考えも変わってくるだろう。白い紙をいろんな色の絵具で塗りつぶすことだけがアートではない。時々ある「白の隙間、余白」があるからこそ、描いたものが活きる。

そんな余白が好まれる社会が来ますように。

留学も折り返しだ。引き継ぎ、目の前にある義務を遂行しつつ余白も大事にしたい。

ちなみに、上の写真はスープパスタ。自分で作ったあたたかいご飯をゆっくり食べること。それも余白を噛み締めるひと時だと思う。

#留学 #イギリス #休み方改革 #女子大生 #高校時代の思い出 #日曜日 #エッセイ

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