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生きるのを辞めたい話。

私は時々、生きていくのがしんどくて辞めたいと思う時がある。

死にたいというか、生きるのを辞めたい。これは同義だろうか。きっと、メンヘラで自律神経が時々仕事をサボってしまうような女の戯言でしかないと思うが。


私は実家暮らしだ。

仕事している日は両親と活動時間があまり合わず、同じ家に住んでいても顔を合わせない日も珍しくない。コロナによる休職で家での時間ばかりになった今、当然毎日両親と顔を合わせ、食卓を共にする。

それが今の私には、すごく辛い。

特に不自由なく暮らす、平和な家庭だと思う。仕事熱心で周囲からの信頼も厚い父。気配りが出来て愛想が良く、評判の良い母。さほど夫婦喧嘩もなく、私には弟が2人いるが姉弟の仲も悪くない。特別仲良し家族ではないが恵まれた環境の家庭だとは思う。

親戚の方々もよく、私達家族の事を褒める。両親の事も、私達姉弟の事も。



だが、私は家で両親に褒められたことがない。全くないことは無いのかもしれないが、記憶にない。

記憶にあるのは、私の現在の自己肯定感の低さの原因に少なからずなったであろう私を蔑ろにする言葉の数々。私の事、褒めないくせに良くない所ばかりはぽんぽんと指摘してきましたよね。 私の両親は、毒親とまではきっと言わないが無意識に私の自尊心を平気な顔で傷付けてくる。きっと本人達は気付いてもいない。不意に攻撃してくるから防げないでいる。


私の父は、仕事から帰宅すると必ずお酒を飲み始める。お酒がまわると、饒舌になる。そして私達子供の事をよく貶していた。

「 お前らはほんまにのうのうと生きてるだけやな 」

「 一体俺らがお前らにどんだけ金かけてきとると思ってんねん 」 

「 育ててやったんやぞ感謝しろ 」

「 お前ら全然可愛くないなほんまに。身体ばっかでかくなって邪魔やねん 」

…とまあ、よく言うのはこんなとこか。私の情緒が安定していれば笑って受け流したりも出来るのだが、少しでも調子が悪いと父の言葉は不意に刺さる。

育ててもらったのは確かに感謝する。けど、それは私達が自発的にするものであって感謝は強要されるものではないと思う。 私がメンヘラモードの時に言われた日には、「 私はむしろ生きたくねえんだよ産んでくれなんてまじで頼んでない。お前らが勝手に性交して出来ただけじゃねーか 」なーんて、思ってしまう。


母は、基本優しくて理解がある人だ。だが、外では自分の子供を卑下する事が多かった。

幼い頃、友達数人が我が家に遊びに来た時に、お菓子やジュースは他所の子が優先。私はいつも、食べたい物を友達に取られて泣いていた。母には「 あんたより他所様の子が優先だから 」と怒られ、幼心に " 私は他の人より優先されない存在 " という意識が芽生えたように感じる。

前の職場であるケーキ屋を辞めた時も、「 私はパティシエじゃなくて他の道にしたら?ってちゃんと言ってたのに。この子にパティシエは向いてないのよ 」って私やおばさん達( 母の妹さん達 )の前で笑いながら話していて、正気かと疑った。 私がどんな気持ちで仕事を辞めたか知らないくせに。おばさん達はその話に対して、曖昧な反応をしていた。まあ、私が目の前にいるのに共感したり笑ったり出来ないよね、普通。




私がこんなに自分に自信が無くて生きづらいのをあまり他人のせいにはしたくないが、強いて言えばこの生きてきた環境は原因だと思う。

最近は毎日顔を合わせてお酒を飲んだ父に様々な事を言われるのが辛い。人の気持ち、考えたことないのかな。正直者と無神経を履き違えてる、みたいな。何でも思ったこと口に出していいわけじゃないんだぞと言ってやりたい。父に口出しなんてした事ないが。


今現在、あまりにも自己肯定感が下がっているから、生きているのを辞めてしまいたいと久々に希死念慮に駆られている。

生きるのを放棄したいが、死ぬのは怖い。刃物で自分の身体を傷付けるとか、高い所から飛び降りるとか、電車に轢かれるとか。どれも怖いし実行する勇気なんてない。痛いのは怖いし嫌い。首吊りは、上手くやれば苦しまずに一瞬で済むらしいと何かで聞いたことがある。選ぶならこれかなあ…なんて思っている。



とりあえず、両親から早急に離れるため、以前から画策していた一人暮らしを始めようと思う。なるはやで。

または大好きな彼氏に会いに行こう。コロナのご時世、不要不急の外出はいけないということで彼とは会ってないのだが私の精神回復の為なら必要至急の外出という事で認めて貰えないだろうか。彼に会えばきっと私の自律神経も仕事してくれるはず。


とにかく、死ぬのも生きるのもそれから考えようとは思う。もう少しだけ、生きてみよう。

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