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映画「PARALLEL」「人造魔法少女カイニ」感想(ネタバレあり)

先日、田中大貴監督の作品である映画「PARALLEL」と「人造魔法少女カイニ」を観てきました。
(~4/25(木)まで東京シモキタエキマエシネマK2 にて公開中
5/4(土) ~ 大阪シアターセブンにて上映)

とても素敵な作品だったので感想などをつらつらと書き残しておこうと思います。

なお、この記事には2つの作品のネタバレも含まれますのでご了承ください。
また、私の勝手な解釈や勘違いなどが含まれている可能性も大いにあるので、監督や俳優さんの意図とはまったく違うこともあると思います。「あなたはそう受け取ったんですね」くらいで受け止めてくださるとありがたいです。



以下ネタバレを含みます。


「PARALLEL」あらすじ 


幼少期に両親から虐待を受けていた舞(楢葉ももな)は、その過去の記憶と折り合いをつけられず、親友の佳奈(菅沢こゆき)とただ時間を忘れて遊ぶ日々を過ごしていた。ある日、舞はアニメキャラクターのコスプレ姿で殺人を繰り返す殺人鬼(芳村宗治郎)に遭遇する。不思議と舞に興味を惹かれたコスプレ殺人鬼は自分の正体を隠し、舞に近づいていくのだった。
舞は心の傷を、殺人鬼は自分の本当の姿を隠しながらも、二人は次第に仲を深め、見えない“何か”によって強く惹かれあっていく。しかし、お互いが隠している本当の姿を知ることは、別れを意味していた。

(映画「PARALLEL」公式サイトより引用)


「PARALLEL」のストーリー、感想など


「PARALLEL」の冒頭、男(小林慎司)が鏡に向かってメイクをしているシーンから始まる。
長い髪のウイッグをかぶり、ワンピースを着て、髭の生えた口元に口紅をひく男。

シーンは変わって両親に虐待されている少女(舞)のシーン。
散々暴力を受けたあと、南京錠の付いた不衛生な押し入れに閉じ込められた少女は虫の羽音が聞こえる暗闇でただ時を過ごす。

その時、舞の家に突然押し入ってきたアニメのマスクをかぶった慎司により舞の両親は殺されてしまい、押し入れの中で必死で息をひそめていた舞も慎司に見つかってしまう。
アニメのマスクをはずした慎司はメイクをしており、怯える舞に「私、綺麗?」と尋ね、頷く舞の涙をそっと拭った。

このシーンは一旦ここで途切れ、20歳になった現在の舞のシーンになるが、後々語られた内容として慎司は舞の両親を殺害したあと追ってきた警察により射殺されているため彼がどういう理由で舞の両親を殺す犯行に及んだのか、なぜ舞の家を選んだのかなどは不明のままで作中でも語られていない。

大人になった舞は友人の佳奈とともに男遊びを繰り返していた。
歯の浮くような甘い言葉で舞を落とそうとしてきた男の話を聞いた佳奈は「キモい」と笑うが、舞は「でもそれは私に価値があるということ。今はそういう実感を積み重ねていくのが大事」と答えている。
その日も舞は出会った男と飲んだあと2人きりで夜道を歩いていたが、公園の暗がりで突然その男に強引に襲われそうになる。
舞は幼少期に自分を虐待していた母の声がフラッシュバックし(また父親から性的暴行を受けていたことも後々佳奈の口から語られている)、激しく抵抗して持っていたカッターナイフを取り出した。
その瞬間、物陰からこちらを見ている何者かに気付く舞。その人物はアニメのマスクをかぶっていた。



アニメのマスクをかぶっていた人物の正体は美喜男という名前の青年で、彼はアニメのマスクやウイッグでコスプレをして殺人を繰り返しては死体を損壊し光らせるなどの装飾を施し、その画像をSNSに投稿して世間を騒がせていた。

美喜男は舞が公園で襲われていたのを目撃し、舞が立ち去ったあとその男も殺していた。
男のスマホなどから舞のことを突き止めた美喜男はある日素顔で舞に近付く。

舞に連絡先を渡し、後日舞とデートをした美喜男は自宅に舞を招く。
美喜男の部屋にびっしりと貼られたアニメ作品「人造魔法少女カイニ」のポスター。
アニメの話を聞きながら、その中にいる「シンジ」というキャラクターのポスターを舞は息を飲んで見つめていた。
髭面にポニーテールの長い髪。たくましい体つきにしかし衣装は短いスカートや細いヒールのブーツなどの女性的なものだった。

美喜男や舞にとっての正しさとは


美喜男は“同志”たちと殺人を繰り返してきた。
同志が“世の中を少しだけ綺麗にするため”と称していることを見ても、美喜男たちはいわゆる“(自分たちや世間一般的に思う)悪人”に対して制裁として手をくだしているように見受けられ、無差別に殺害を繰り返しているわけではないように受け取れる。
同志たちも会話の内容からおそらく過去に虐待や暴力などの被害に遭い、あるいは自分たちが生きている意味を見い出せずにきた人たちのように感じる。
同志のひとりであるJも、Jが付き人(秘書?)をしている奥寺からパワハラを受けていた。

一方で、「世の中を綺麗にする」「(自分たちの行為が成功すれば)国が変わる」「汚い汚れを取り除く」といった言葉はすべてJからの発言であり、美喜男も同意は示しているものの美喜男自身からはこういった発言は見られない。

もしかしたら、ここにJたち“同志”と美喜男には少しだけ温度差(方向性の違い)があるのでは?と感じた。

美喜男自身、舞を襲った男を殺害したり、Jにパワハラをしている奥寺を殺害計画の対象に入れたりと大意ではJたちと同じ方向性ではあるものの、Jほどの美化した大義名分、建前は持っていないのではないかと考えたりした。

雑な言い方をすれば「気に入らないやつを殺す」くらいの感覚で、世直しをしてやろうという(自身の思う)正義のためというほどは美化していないのかな、と思う。

ただ、Jの言葉で「サリー(美喜男のハンドルネーム)さんが壊れて機能しなくなった機械(=自分たち)にだって存在している意味があるはずと言ってくれた」とあるように、その行為自身には何かしら自分なりの意味は感じているのも分かるのでその辺の解釈は私もまだしきれていない。

そんなことをこねくり回して考えながら、美喜男にとって法的な正しさや世間の常識、建前は興味が薄いのだろうと感じた。

本来なら1番自分を無条件で愛してくれるべきはずの親に虐待され、誰も助けてはくれなかった世の中、そこから逃げ出すためには本来何も悪くないはずの自分がどうにかするしかなく(作中、直接的な表現はされていないが美喜男が親を殺したのではないかと私は解釈した)、そのせいで本来なら普通に暮らし幸せになる権利があるはずの人生も得られず、そんな理不尽で自分に無関心の世の中の作った「正しさ」なんて美喜男にとっては何の説得力も価値も持たないだろう。

誰も救ってくれなかった絶望的なこの世界においての守るべきものの基準は法律でも常識でも世間の正しさでもなく、美喜男にとって救いになるかならないか、あるいは美喜男が救いたいと思うか思わないかだけなのではないか。

舞についても、舞が昔女装殺人鬼(慎司)に親を殺されたことを美喜男に告白し、“嬉しかった” “会いたい人(慎司)”と述べているシーンがある。
「(世間的には悪魔のような人なのに)変だよね?」と尋ねる舞に「悪魔なんかじゃない、舞が生きてる限りは」と美喜男が答えている。
美喜男の言うとおり、舞が“生きている”のは慎司によって救われた命のお陰。
あの時慎司が両親を殺害しなければ虐待の日々はまだ続いていたはずで、慎司の殺人がどんな理由であろうとどんな凶悪な人物であろうと、舞にとっては彼が唯一自分を助けてくれた人。美喜男と同様に何も悪くないはずの幼い自分を救ってはくれなかった世の中の決めた「正しさ」より、救ってくれた慎司が舞にとってもやはり正義であり大切な存在だろう。

美喜男という名前について


美喜男が舞に対して、美喜男という名前について「変な名前でしょ?」と言うシーンがある。
別に変でもないし、素敵な名前だと思うのになぜ「変な名前でしょ?」と尋ねたのか不思議だったが、「親は何で僕を作ったのか」と美喜男が語っているのを見てその質問の意味が分かった気がした。

名前というのは親からの願いがたくさんこもった一生物の贈り物であり、我が子を守る「祈り」そのものだ。
美しい、喜び そんな幸福に満ちた素敵な名前を贈ってくれたはずの親はしかし自分を虐待する愛してくれない存在だった。
そんな人が付けた「美喜男」というアンバランスな名前だから「変でしょ?」と訊いたのかもしれないなと思い、また切なくなった。

出会ったとき、舞が美喜男に対して「なんと呼べばいいか?」と尋ねている。
「みっきー?」「美喜男?」「美喜男さん?」色々と呼び方を尋ねてくる舞に、「あだ名なんていらなくない?」と返したり戸惑ってはいるものの、最終的には「みっきー」と呼んでほしいと返答している。

舞のようにそういう距離感で関わられることが少なかったから、そして舞に惹かれている自分にただ戸惑っているのか、親に付けられたその名を呼ばれることをどこか拒絶しているのか、あるいはこの世に絶望しアニメの世界に行きたいと願っている美喜男にとってはハンドルネームで生きコスプレ殺人鬼として意味を見出している自分こそが『実』であり、この世界と関わりを持たずにきた美喜男という青年の存在は彼にとって最早『虚』なのでは(虚であってほしいと願っているのでは)ないか…など色々考えてしまった。

舞の満たされない心と佳奈という存在について


舞と親友の佳奈は男遊びを繰り返している。
佳奈が舞の過去を知っていることや、佳奈に対して「自分に価値があるという実感を積み重ねてくことが大事」と語っているところを見ても、舞が受けてきた虐待のすべても、そのせいで常に自分の存在価値というものに不安を抱き満たされない愛情を求めていることも佳奈にはほとんどすべて語っているのだろうと想像できる。
(ただ、女装殺人鬼(慎司)に親を殺されたことなどの話はしていないようにも見受けられる)

佳奈は舞の大親友のフリをしながら、実はその裏で舞の過去の話などを嘘も混ぜながら舞を狙う男に言いふらし、舞を襲うように仕向けたりと舞を傷付けるのを楽しんでいるという姿を持っている。

舞がその佳奈に潜んだ悪意を感じているのか感じていないのかは分からないが、佳奈が亡くなったとき(実は美喜男が殺している)舞は本気で怒り悲しんでいると感じる。
本気ですべてを打ち明けられ寄り添ってくれる親友だと信じていた可能性もあるし、もしかしたらどこかで自分を見下している佳奈に気付いているとしても、それでも舞にとってはすべてを話せる唯一の拠り所と言っていいほどの存在だったのかもしれない。

佳奈の裏の姿は舞を裏切り陥れることを楽しんでおり、醜悪な性格であることが視聴者(と美喜男)には伝わるため、観ている側にとっては美喜男の行為に一種のカタルシスを感じるが、舞にとって美喜男が親友を殺した殺人犯ともし分かったら舞の心はどのような反応を起こしたのかが気になる。

舞はデートをしてお金を受け取る、いわゆるパパ活のようなこともしている。
相手の男にロングのウイッグをかぶせ、メイクを施すということをしており(美喜男とのデートのときも同様のことをしている)、舞が慎司の影をずっと追っていることが伝わる。
パパ活の相手の男は「お金に困ったら~」と舞を釣る言葉を使いデート以上のこともしてもらおうと何度か誘いをかける。

実際に舞がお金に困ってパパ活をしているのかは不明だが、親から得られなかった愛や自身を求められる「価値」のようなものをそういう行為で得ようとしているのだろう。

しかしそのような行為で舞が気付かされるのは自分がただ性的に消費されるだけであって、愛でも存在の肯定でもない。
だから舞の表情は満たされるどころかどんどん空虚になってゆく。


舞のアクセサリーについて

舞はたくさんの指輪をはめており、美喜男には「お気に入りなの」と答えている。
何かしら意味があるようにも思えるが、自分を守るための武器(メリケンサック的な)だったりするのだろうか。
ボクシングを習っているのも自分の身を守る術を得ようとしているのかと感じた。

存在と意味について


人間にとって生きる上で何が1番つらく苦しいかと言えば自分がこの世で誰からも必要とされず、誰からも存在を認められないことではないかと私は思う。

虐待を受け、誰にも手を差し伸べてもらえなかった美喜男はきっと透明のままこの世に存在していたのではないかと思う。
親からすら必要とされなかった美喜男自身も自分がこの世界に存在する意味を見付けられずにいて、その苦しみから自分を救い出すために自分の犯す殺人で彼はある意味この世界にいる意義付けをしてしまった。

孤独だった人生に仮初にもJたち賛同者を見付けてしまい、余計に自分たちの行為に価値を見出してしまったのだろう。

 誰かが誰かの絆創膏になれるかもしれない

冒頭、舞の両親を殺害した慎司が怯える少女の舞に「私綺麗?」と尋ねるシーンがある。
舞は涙を流しながら頷く。
もちろんあの恐怖の場面でどう思っていようと幼い舞が否定なんてできるわけはない。
それでも肯定の返事をもらった慎司の心は救われたかもしれない。
作中、慎司のシーンは短く、心情も背景もほとんど描かれてはいないが、「私綺麗?」と尋ね、舞の涙をそっと指で拭うその短い表情で残虐で恐ろしいはずの殺人鬼の切ない心情が垣間見えるようだった。

もしかしたら慎司もまたなかなか人に愛してもらえず、認めてもらえず、自身の存在する意味を見失い、この世でたった一人でもいいから自身の存在を肯定してほしかったのかもしれない……とこれはもう本当に勝手な想像でしかないが、そんな背景を思わせる狂気でありながらどこか切なさを感じる人物だった。

そして大人になった舞が親の虐待によって傷だらけの体を美喜男に見せるシーン。
「キモいでしょ?」と尋ねる舞。
「もし私が中古品だったら?」という言葉で、性的虐待を受けていたことも暗に告白している。
想像だが、舞はこれまで男遊びをしてもパパ活をしても傷だらけの素肌を見せるような行為を避けてきたのではないかと思った。

その傷の上から「どうせ消えないなら好きな人を思い出したい」とカッターナイフで新たな傷を付けるよう美喜男に頼み、美喜男もまた、舞にカッターナイフで傷を作ってもらっている。
過去を変えることはできないが、気持ちを変えることによってもがき苦しんだ自分から1歩進もうとしているのが伝わる。
ようやく見つけた心惹かれるその相手に“本当の姿”を晒し認めてもらうことが、おそらくこの2人にとって流し続けてきた血をそっと塞いでもらうという救いになるのかもしれないと思った。

舞を殺せなかった美喜男


美喜男は殺人を繰り返している自分たちに残された時間は少ないことを自覚していて、そして美喜男自身も長く生き延びるつもりはなかったのではないかと私は思う。
そうでなければ捕まってしまったあと長い間の取り調べや精神鑑定、裁判といったものを耐えて乗り越えなければ彼の願う“あちら側”の世界には行くことも難しく、また生き長らえることはおそらく彼にとって救いにはならず、だからある程度目的を果たしたらこの世には未練も残さず旅立つつもりだったのではないだろうか。

そんな絶望していた世界で舞に心を惹かれてしまった美喜男は「殺したいけど殺せないけど……」「(人を好きになってしまっては)この世に未練が残る」ということを話している。
佳奈に対してもどこまで本心かは不明だが「舞も殺すべきかな?」と尋ねたりと、「アニメの世界に行きたい」と願い、「計画を失敗したら存在自体が意味を失う」と語る美喜男にとって心惹かれてしまった舞はこの計画を躊躇させる、ある意味「邪魔な存在」でもあったのではないかと思う。
だからこそ、美喜男はこの世への未練を残さないために舞を殺さなければとどこかで思っていたのではないか。

最後の場面でも奥寺たちを殺した現場に舞を呼び、自身がコスプレ殺人鬼であることを明かしている。
現れた舞に対して「これが僕の傷」「ずっと見せたかった。かたちがないから見せられなかったけど」と美喜男が言う。
身体に付いたたくさんの虐待の傷痕を見せてくれた舞に、美喜男も真実の姿を見せるというかたちで舞の気持ちに応えたかったのだろうか。
しかしそれは犯罪の告白であり、(舞がどう感じるかは不明だが)おおよそ佳奈を殺したことの告白でもあり、その瞬間2人の関係性が終わってしまうことも大いにありえる。
正体を見せることできっぱりと現世や舞への未練断ち切るつもりだったのか。

最後、仲間によって致命傷を負わされた美喜男はいずれにしても舞を手に掛ける力は残っていないかもしれないが、おそらく舞を殺そうという気持ちは(少なくともあの時点では)なかったのだろうと思う。
自身の計画の終わりを感じていたのだろう。

正義と悪は明確に分けることができるか


昔からある童話にしても、ヒーロー物や様々な作品においても、フィクションの世界では正義と悪というのは明確に分かりやすく作られていることが多い。
その方が読者、視聴者からは明確な「敵」をやっつける正義という構図がカタルシスを得やすく面白いのだろう。
一方で現実はそんなに明確ではないことも多い。

もちろん、どんな理由があろうとも虐待や暴力やハラスメントが許されることは決してないし、“それ”を理由にしてはならないが、虐待をしていた舞や美喜男の両親の背景は、Jにパワハラをしていた奥寺の背景や舞を陥れていた佳奈の背景は何もないだろうか。
そうなるに至る経験が彼らを歪にしてきたかもしれない。(もちろん背景がどうであろうと無関係で無力な人を傷付けることなど最低で最悪な行為でしかなく許されるべきことではない)

美喜男やJたちが殺してきた者にも家族や恋人や友人がおり、その人にとっては「大切な人」「良い人」だったかもしれない。
殺人を繰り返してる美喜男に虐待という背景があるように、人間は分かりやすく白と黒には分けられない。
誰しもが美しさと醜さを、正しさと悪を併せ持っている。
白と黒を併せ持った人間のどちらの面が表に出るのかは思っているよりギリギリのバランスを保ち、紙一重なのかもしれないと思う。
虐待をしていた舞の両親も、殺人を繰り返していた美喜男も、遠い世界の他人の話ではなく、自分の中に持ち合わせている黒い要素は同じで、ただそれをギリギリひっくり返さずに今生きているだけなのかもしれない。

裏切りについて

奥寺たちを殺した現場で、美喜男はJたち同志に「サリー(美喜男)さんの荷物見せてもらいました。僕たちのことも殺そうとしてたんですね」と言われ、Jたちから攻撃を受けるシーンがある。
それまでに美喜男がJたちを殺そうと画策したり、憎んでいるようなシーンは見受けられないためそのシーンの意味をずっと考えている。

確かに私も見ていて美喜男はJたちのことを「目的を同じくする人たち」とは思っていても「仲間」というほどの深い感情は抱いていないように感じる。
なので、最終的に計画(本人がアニメの世界に行きたいと願っている)を遂行するためには中途半端な終わり方ではなく、あるいはいつまでも犯罪を繰り返して長びかせるのではなく、彼らも生き残ってもらいたくはなかったのだろうか。

それともJたちの誰かが裏切り、美喜男を陥れた可能性もあるだろうか?
美喜男に向かって「死んでくれ」「サリーさんが死ぬだけで僕たちすごい助かる」という同志たちに「どいつもこいつも同じことばっか言うな。もう聞き飽きたんだよ」と返す美喜男の脳裏にあったのは親から言われた言葉だったりするのだろうか。

マスクをかぶった正義のヒーロー・ヒロイン

特撮ヒーロー(ヒロイン)ものにおいて、「マスク割れ」と呼ばれるシーンは昔からファン(視聴者)のテンションが上がるエモーショナルなシーンのひとつだと私は思っている。
私の勝手な考察だけど、いわゆる仮面をかぶった(変身をした/正体を隠した)「正義のヒーロー・ヒロイン」というのはその作品の世界の中では基本的にその表の姿しか世間に知られていないのが大抵の基本のパターン。

ピンチが訪れたときにどこからともなく仮面をかぶった正義のヒーロー・ヒロインは颯爽とやってきて、悪を倒し、人々を救って去ってゆく。

普段どこでどんな風に暮らし、どんな過去を抱え、どんな感情を抱き、何の為に危険を犯しながら人の為に戦い、本当はどんな名前を持ち、どんな家族がいて、どこから来てどこへ帰っていくのか____そんなことに(作品の中の)世間はあまり興味を持たない。


もちろん例外のパターンもあるが、基本的に正義のヒーロー・ヒロインは“世間の理想”のままであってほしい(それ以外は興味がない/受け付けない)のだと思う。
 
実家暮らしでお母さんに「早くお風呂入りなさい」と言われてる正義のヒーローとか、恋人の浮気現場に遭遇してめちゃくちゃ落ち込んでるヒーローとか、実は「今日は助けに行くの面倒くさいな」と思ってるヒーローとか、助けてはくれるけど助けてやったアピールが強く見返りを求めるヒーローとか、同じ世界線に生きるみんなは「見たくない」し、「認めたくない」のだ。
ただただ、表に見える颯爽としたかっこいい正義の味方であってほしいと。

一方で作品としてはそういう裏側を描いたものはたくさんある……というかむしろそこがヒーローものの主眼のひとつではある。
実は冴えない小学生のパーマン1号 須羽ミツ夫も、武器商人で大金持ちのアイアンマン トニー・スタークも、優秀な学生が悪の組織に改造されかけた仮面ライダー 本郷猛も、基本給 税込み19万3000円のカーレンジャー 陣内恭介も、そういう裏側があるから視聴者は感情移入したり面白がって観る。

そんな作品世界の中では「理想どおり」の正義のヒーローが敵の攻撃などを受けて仮面(マスク)が割れるシーンが時々ある。
“中の人”の表情が垣間見えるわけだ。
世間には見せてこなかった、怒りや苦しみや悲しみ、抱えてきた過去や隠してきた正体や、そういうものが無表情のマスクの割れた隙間から漏れ伝わってくるそのシーンに視聴者は興奮する。

ここで「PARALLEL」に話題を戻す。
映画の終盤のシーンで美喜男のかぶったアニメのマスクが割れて、目元が映るシーンがある。
美喜男の場合は連続殺人鬼なので正義のヒーローとはむしろ真逆ではあるが、世間ではマスクをかぶった“感情の伝わらない”ただのサイコパスな殺人鬼からその仮面の下にいる前田美喜男という1人の人物の抱えたものに焦点がいく。

幼少期に受けた親からの虐待(美喜男自身は作品中では虐待を受けてたという具体的な言い方はしていない気がするが舞に対して同じ境遇であることを告げている)、誰も助けてはくれなかったので“自分でどうにかするしかなかった”こと、なぜ親は愛しもしてくれないのに自分という子どもを作り、美喜男という名を与えたのか、この人生に意味はあるのか、この世の中に絶望しアニメの世界に行きたいと願った日々、そんな中に出会った舞という救い、そういうものが目だけの表情で伝わってくる。
おそらく助からないとわかっているその時間、彼は何を見て何を思ったか。
悲哀やもしかしたらはじめて感じたかもしれないこの世への未練を物語る、その片目だけ生身の姿が見えているシーンがとても印象的だった。

白でも黒でもない世界で

自身がコスプレ殺人鬼であることを告白し、致命傷を負った美喜男は舞に「まだやることがある」と言い残して出て行こうとする。
しかし美喜男の命は尽き、階段の途中で倒れて絶命する。
それを見た舞は一緒に横になって命尽きた美喜男にそっと寄り添う。
美喜男を見つめる舞の瞳には怒りや恐怖などはなく、ただ愛おしい人を見つめる目だ。
美喜男の正体が何であろうと、そんなことは一切関係なくただ愛おしい。そこには白も黒も美も醜もなく、世の中の正義や悪の概念も入り込めない純粋な「愛」だけがあると感じた。

 「人造魔法少女カイニ」について

「人造魔法少女カイニ」は上記の実写映画「PARALLEL」に出てくる架空のアニメ番組。
作中作である架空のアニメを田中大貴監督自身が短編映画として制作されている。

美喜男の脳内にあったイメージを作家に託してアニメ作品として世に出しており、アニメに出てくるシンジは舞の両親を殺した小林慎司がモデルとなっている。
カイニとカイニのいる世界が美喜男の心の拠り所になっているのが伝わる。


カイニと人造人間キカイダー、この世界に存在する魔法とは


映画化「PARALLEL」のパンフレットの中で人造魔法少女カイニについて「コンセプトは魔法少女×人造人間キカイダー」と書かれており、実際「人造人間キカイダー」(原作:石森章太郎)へのオマージュあるいは類似点を様々な場所で感じられる。

キカイダーは自然警備隊の一員であった息子を殺された光明寺博士が「殺されない自然警備隊」として作ったロボットであり、悪の命令を聞かないように「良心回路」を持っているが、その良心回路が完全でないまま光明寺博士が殺されてしまったため時折悪者によってコントロールされてしまうという危うさを孕んでいる。

良心回路と悪にコントロールされる狭間で、ないはずの「心」や「感情」が生まれる、運命を翻弄される苦悩多き人造人間。

キカイダーの青と赤の非対称なビジュアルは、正義(青)と赤(悪)を表し、非対称な姿も不完全であることを表している。
「PARALLEL」のポスタービジュアルもまたアニメのマスクが青と赤のライトによって照らされていてキカイダーへのオマージュが強く感じられる(向かって左が青、右が赤なのもキカイダーと同じ)

マスクの向かって右からは額から目にかけての部分が割れておりマスクの中の美喜男(と思われる人物)の目が見えている。
キカイダーも向かって右側の赤(=悪)の顔の方は頭部が透けて中の構造が見えるようなビジュアルをしている。
「悪」にコントロールされつつもどこかでそれを阻む「感情」が生まれる様子が見え隠れする象徴のようで、偶然かもしれないがそこもキカイダーとの繋がりを感じた。

「PARALLEL」の作中作であるアニメ「人造魔法少女カイニ」もまた、感情のないはずの量産型ロボット・カイニたちに感情が芽生えた様子をショート作品ながら繊細に描かれている。

カイニより前に作られていた試作品「人造魔法少年シンジ」はいわば失敗作で感情を持っていた。
またシンジやカイニたちは魔法を使える子供たちの肉体から作られており、シンジやその魔法が使えるマイとの出会いでカイニは自分が人間の都合で利用されていることに気付き命令に抵抗しはじめる。

1度は殺されて(壊されて)しまったカイニだが、マイによる助けと仲間たちの犠牲の上で復活したカイニは「存在する意味を見いだせなかったこの世界をようやく好きになれたかもしれない」と世界のために戦い始める。

「素敵な魔法をありがとう」
味方を得たことで、愛を受けたことで新しい感情が芽生えたカイニは美喜男そのものだ。
カイニの声に振り向いて微笑むPARALLEL世界の舞のラストシーンが印象的だった。

(一部パンフレット内の構想台本を参考にしました)


あとがき

私は「人造魔法少女カイニ」のシンジ役の声優を務めたOWV(オウブ)というグループの本田康祐さんのファンをしており、再上映期間中に本田くんの舞台挨拶がまたあるとのことだったので(前回の舞台挨拶は行けなかった)4/14に広島から観に行きました。

本田くんの低い抑えた声が本当に温かく素敵で、田中監督も「本田さんの声は映画館に低音がよく響いて合ってる」とのことでした。

「PARALLEL」は少ない予算と少ないスタッフさん(というかほとんど監督が1人でこなしてる?)で作られた作品とのことですが、まったくそれを感じない作品でした。
スプラッターとかグロテスクなものにどれくらい自身の耐性があるのか分からず少しドキドキもしましたが、「PARALLEL」「人造魔法少女カイニ」どちらも本当に素晴らしく、残酷で狂気に見える中に愛を求める人々の渇望や救いが描かれた、一生の中で忘れられない作品になったと思います。
素敵な経験をありがとうございました。

今度、田中大貴監督が学生時代の卒業制作で作られたという「FILAMENT」という作品も東京の高円寺シアターバッカス(5/4)や大阪のシアターセブン(5/4~5/6)などで上映されるようです!


あとパンフレットが2種類あり、どちらも内容充実です。
別冊の方の、カイニが表紙のパンフレットには「PARALLEL」の追加撮影台本と「人造魔法少女カイニ」の構想台本もがっつり載っており、読むだけでもとても楽しいです。

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