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【海のはじまり】第7話:こまかすぎる感想

第7話。
津野…!!!!!!!!!(涙)

待っていました、私たちの津野回。そして水季。
ここ2話くらい、どことなく穏やさが漂っていた中で、ここでまた胸をぎゅーと締め付けられるような苦しさをがつんと突きつけられたような回でした。
7話を観た上で、あらためてこれまでの津野のシーンを振り返ると、それも苦しくて。
さあ。津野を語りましょう(笑)


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第7話 いちばん近くで支えてくれた人

練習

回想シーン。
桜の花びらがふわふわと散る中、海と手を繋ぎ、夏が住んでいたアパート前までやってきた水季。
今も夏が住んでいるかどうかはわからず、チャイムを押すか迷っていると、水季、視線の先に何かを見つけ、慌てて背を向け、コロッケの安売りに間に合わなくなるからと海に伝え、走って来た道を引き返す。

水季「また一緒に来よう。海が道覚えるまで。」
海「次は夏くんに会える?」
水季「うーん。ママがいなくなっちゃっても、海が夏くんに会いたい時に会えるように、一緒に練習しよう。」

「海のはじまり」第7話より

やっぱり水季、海を連れて夏に会いに来ていましたね。
今回第7話のこの後の展開にて、水季が夏のアパートを訪ねてきたのは自身の病気が分かった後であったこと、この時に水季が見つけたのは、夏と弥生が笑顔で部屋から出てくるところであったことが明かされました。

以前、放送前、夏や弥生のプロフィールが明かされた時点で、夏のアパートの設定がとても気になり、こんなことを書きました。

「【海のはじまり】追加キャスト解禁!弥生の物語」より

自分で書いておいてなんですが、現実になりすぎて苦しい。

水季にとって夏と別れてからの時間は、出産、育児、仕事、そして病気のことと、怒涛の日々であっという間に過ぎた時間だったかもしれません。
一方で、夏にとっては、学生から社会人になり、環境の変化や人との出会いもある中、二人の時間の進み方はきっと違って、夏が引っ越していたり、新しい恋人がいる可能性は、水季もどこかで考えていたのではないかと思います。

今回水季が夏に会いに来たのは、夏に対しての未練がどうこうといった水季自身の感情が動機ではなく、自分に迫る余命を考えた中で、海のために会いに来たというのが一番だったのではないでしょうか。
そしてもうひとつあるとしたら、夏のため。
自分がまさか死ぬなんてありえない前提だったからこそ隠してこれた事実を、夏のためにも伝えるべきではと考えたかもしれません。
だからこそ、もしも夏と確実に会うことが目的なのであれば、(連絡先を削除していなければ)事前に連絡をしてアポを取って会うという方法があったはず。
海の実の父親である夏に、母親として伝えたい事や託したい事があるのであれば、夏に新しい恋人がいたとしても、その伝えるべき事、託すべき事を、母親として夏に伝えるということをしたのではないかなと思います。

ですが、アポ無しで訪ねてきて、弥生の姿を見つけ、引き返した水季。
これ以降、海を連れて練習に来たことはあっても、夏とは会わなかった水季。
この行動に、水季の気持ちの揺れのようなものを感じますよね。

娘のために会うべきだと考えて来てはみたけれど、今さらどんな顔をして会おうか、夏くんはどんな顔をするだろうか、会えば海を託すことになってしまう、夏くんなら絶対に断らないから押し付けてしまう、私が勝手に決めて勝手に隠したのに、という申し訳なさや迷いがあったんじゃないかな。
"もしも"会えたらという、その可能性に懸けるような感じ。
会いたい気持ちと会いたくない気持ちがごちゃまぜになる感じ。
ここでもしも会えてしまったとしても、水季だったら、相手の反応を見て、咄嗟に出方を考える、みたいな感じになりそう。
行動はしたものの気持ちがぐらぐらな水季の"揺れ"を感じるシーンでした。

コロッケ

自宅にて、海が好きなコロッケを手作りしてふるまおうと張り切る弥生。
水季は安売りの時だけスーパーのコロッケを買ってくれた、トースターで温めて食べたと話し、コロッケが家で作れることに驚く海。
「そうだよね。ママの手料理限定で聞いてないもんね、好きな食べ物。」と弥生。

このコロッケ描写、刺さりましたね。
「愛情=手間暇」という刷り込まれた概念。

第1話にて、夏と二人での夕飯にスーパーの総菜コロッケを買っていた弥生さん。
その時はコロッケなんて作れないと言っていたけれど、前々回だったでしょうか、海の好きな食べ物がコロッケだと知り、材料を買って、コロッケ作りの事前練習をしていました。
月岡家では、家族みんなが集まる時の定番のような料理として、ゆき子さんの手作りコロッケがクローズアップされていましたね。

いきなり本番ではなくて、事前練習をするというのも、「こうあるべき」の完成形を目指して一人でそこに向かう弥生さんらしさが現れていて。
きっと、自分が今後母親になって海ちゃんに作ってあげることもイメージしながら練習したであろうコロッケを、満を持して、海ちゃんに作ってあげようとした弥生さん。
"娘の好きなものを愛情込めて手作りしてあげる母親"が、きっと弥生にとっての理想の母親像であり、世の中が描く良い母親像でもあって。
そんな弥生にとって、そしていつもお母さんの手作りコロッケが食卓に並んでいた夏にとって、海が好きだというコロッケ=水季が手作りしたものだというイメージが、無意識のレベルで脳内にあったのでしょう。
弥生さんには「海ちゃんに喜んでもらいたい」以外の気持ちはなくて、喜んでもらうためのコロッケは、スーパーで買えるお惣菜ではなくて、当たり前のように、手作りコロッケだったんですよね。

でも水季には、手間暇かけてコロッケを手作りしている時間もなければ、安売りの時にしかコロッケを買わない経済状況もあった。
時間もお金もあって手間暇をかけられる弥生さんと、そうではなかった水季。
「手作りコロッケで愛情たっぷりに娘を育てていた良いお母さんだったんだろうな~」なんていうのは生温い想像や理想であって、水季がやっていたのは、ギリギリの暮らしで必死に娘を食べさせて育てる現実のお母さん。
弥生が完璧だとかやりすぎだとか、水季が愛情不足とか手抜きだとか、コロッケは手作りが良いとかお惣菜が悪いだなんて話ではなくて、理想のお母さんをやろうとする弥生と、現実世界でお母さんをやってきた水季が、またここで対比されるような描かれ方でした。

ところでコロッケって、美味しいけど家で作るのが超絶面倒なもの、として、モチーフとしてぴったりですよね。
言い換えれば、手間暇かけるわりにペロっと食べ終えられてしまう、コスパが悪いもの。
ハンバーグとかも面倒だけど、ハンバーグじゃないんだよな、ここはコロッケがちょうどいいんだよな。
母を描く一つの角度としてのコロッケ使いが神すぎて、やはりすごい。

安売りなら買ってもいいかなと思えるお惣菜コロッケ。
娘が喜んでくれて、メインのおかずになって、仕事帰りにぱぱっと買って温めるだけの、手間暇をお金で買える、たまにのコロッケ。
頼れる人のいない水季にとっては心強い味方で、海にとっては、ママがたまに買ってくれて温めて食べるコロッケは特別なごちそう。
「サクサクになって美味しいね~」なんていいながら、二人でコロッケを食べる時間が、海にとっては嬉しかったんだよね。
海ちゃんが弥生のコロッケを「スーパーのみたい」と褒めたのも、褒め言葉だけれど、弥生ちゃんが手間暇かけて作ってくれたコロッケも、ママが買ってきた安売りのコロッケも、過程がどちらであっても、子どもにとってはどちらも"美味しいコロッケ"という結果には変わりないという事実
どっちだっていいんですよ、その時々の、その親子の、事情や環境に合わせて、なんだってよくて、手作りだってお惣菜だって美味しいし、他人がとやかく言うことじゃない。
でも、海ちゃんにとって、ママと食べたコロッケと弥生ちゃんと食べたコロッケは、きっと別物。
そんなことも示しているように感じます。

弥生さんがもしも本当に海の母親をやると決めたとしても、コロッケは絶対手作りしなきゃ!なんて思ってしまったらきっと自滅していくから。
弥生さんが適当にスーパーで買ってきたお惣菜を美味しいねって笑って食べられるようになったり、今日のお昼はカップ麺で済ませちゃおって出来るようになったり、そんな風になっていくためには、まだまだアップデートしなければいけないことが多すぎて。
それと向き合っていく過程は、親になる以上はもう永遠に日常的に続くものだし、やっぱり弥生さんにとってはキツイよなあ。

…ちょっと。まだ冒頭5分しか進んでいないんですけど。
コロッケで語りすぎて津野に辿り着けなさそうなので、いったん次に進みます。

恋愛下手な大人たち

職場から電話がかかってきて夏が席を立った合間に、夏との暮らしはどうかと海に聞く弥生。

-南雲海「夏くん独り占めしてごめんね。」
-百瀬弥生「おお。もうそういう思考があるのね。」
-南雲海「弥生ちゃんも夏くん好きなのに。」
-百瀬弥生「好きなのにね。会うの我慢しちゃったりしてね。」
-南雲海「ママもそうだったの?ママと夏くん、なんでお別れしたの?ママ、津野くんとも付き合ってなかった。仲良かったのに。」
-百瀬弥生「そうなんだ。」
-南雲海「海がいるから?」
-百瀬弥生「違うと思うよ。大人がみんな、恋愛が下手なだけ。」
-南雲海「弥生ちゃんも?」
-百瀬弥生「弥生ちゃんは多分、いちばん下手くそ。」

「海のはじまり」第7話より

ママが夏くんとお別れした理由、これ、いつか海ちゃんに話さなければならない日が来るとしたら、想像するだけで苦しいですね。
水季が一人で産み育てる決意をした理由のひとつは前回でも明かされましたが、なぜ夏に伝えたなかったのかという部分はまだはっきりとは描かれていなくて。
もし今後の物語の中でそれが水季の言葉で明らかになり夏や弥生が直接知ることになれば良いですが、そこを知らない限り、想像でしか説明できない夏や弥生が、海のこの問いに対してどう答えるのか、想像するだけでしんどいです。
夏くんのことだから嘘はつかないんだろうし、海ちゃんのことだからちゃんと受け止めるんだろうけれど。
そんなシーンまで描かれるかどうかわかりませんが、いつかは向き合わなければいけないことですよね、夏も、海も、弥生も。

そして、弥生の言葉にも出てきた"恋愛下手"な件。
夏と水季は、お互いを勝手に想って知ったふりしてしまったが故に言葉が足りずにすれ違ってしまった感が否めなくて。
そしてなんと言ってもまだ二人、学生でしたからね。
ありふれた学生同士の恋愛の上に、"事故"が起きて、それを前に二人は未熟だった。

そして現在進行形の夏と弥生の関係。
この関係が、夫婦ではなくて恋愛関係にあるということが、この台詞にも通じている気がします。
結婚していない恋愛中の二人にとって、お互いはただの"好きな人"なんですよね。
もし夏に娘がいるということがわかっていたらそもそも付き合わなかったかもしれないし、もし二人が結婚していたら、海をどうしようかというのは夫婦として二人の問題として考えていったのではないでしょうか。
今の夏と弥生はただの恋愛関係だから、もちろん二人で手を取り合って一緒に迷おうとしてはいるのだけれど、あくまでも海は夏の子どもであって、夏と海の問題であって、どうしても弥生の部外者感は拭えないというか。
でもその部外者感って別に悪いことじゃなかったはずで。
本来外野でよかった弥生さんが、今こういう状況になってしまって、"私は外野なんでこのステージからおります"と言うのも謎の罪悪感があるし、"私覚悟するので仲間に入れてください"と弥生が頼んで努力しないと内野に入れないみたいな過酷さがあって。
ただ好きな人と一緒にいたい、それだけで未来を描けばよかったはずなのに、恋愛関係におさまりきらないハードルがいくつも乗っかってきてしまっている。
夏と海の問題と、夏と弥生の関係、本来別物なんだけれど、同時進行で考えなければいけない状況になってしまっている。
とはいえ夏は海を放棄することなんてきっと出来ないし、弥生に強制的に背負わせることも出来ないしすべきではないから、結局弥生は自分で決めるしかなくて。
あらためて、これはハードモードすぎるよなあ…。

他人の津野

自宅で総菜のコロッケを食べている津野。
水季が海のために買ったコロッケとはまた違う、男一人暮らしの総菜コロッケです。
でももしかしたら、水季の帰りが遅い時とか、ここで海ちゃんと津野くんとでコロッケ食べていたのかな、なんて勝手に妄想すると泣けます。
前にも書いたけれど、朱音さんは夏と出会って時が進んでいる。
一方で、津野は部屋にひとりきり。
津野の孤独感も強調されるようなシーンです。

津野の部屋、ずらっと本が並んだ本棚の一部には、海ちゃんの手が届く低い位置に、子ども向けの図鑑や絵本。
家で海ちゃんを預かっていた名残ですね。
そして、子宮がん治療や育児に関する本。
津野が水季に対してそれなりの想いを寄せていたであろうことは、第7話で明らかに伝わってきましたが、実際付き合ってはいなかった二人。
育児の本は、水季の病気が分かってから海との未来を考えて購入したのか、海を預かるようになった時点で勉強のために購入したのかはわかりませんが、津野がどれだけの想いで真摯に二人を支えていたのか、本の並びだけでも伝わってくるシーンでした。

夜、本を捨てるためにまとめながら、朱音と電話している津野。

津野「僕はいいです。他人なんで。」
朱音「水季、そろそろ怒ると思いますよ。会いに来ないの。」
津野「そんなことないですよ。」
朱音「津野さんには感謝してる。いっぱいいいっぱいで蔑ろにして申し訳なかたっとも思ってるの。こっちは落ち着いてきたからそう思えてるけど。うん。まだ難しいならいいの。整理がついたら、お墓参りに来てください。場所教えるから。」
津野「はい。」

「海のはじまり」第7話より

後のシーンにて、津野が水季をいちばん近くで支えてきたこと、また過去に朱音に線を引かれたことを知った上でこの会話を振り返ると、苦しい。
朱音さんがいっぱいいっぱいだったことなんて、津野だってきっとわかっていて。
でも「落ち着いてきた」なんていう朱音さんに対して、「落ち着いたって何?」って、行き場のない違和感や憤りのようなものを感じたのかな、というのが、津野の最後の「はい」の前の間から感じられた気がします。
私だったら、思ってしまいますね。
何も知らなかったくせに、何もしなかったくせに、いっぱいいっぱいだった?落ち着いた?整理?感謝?会いに来い?
わかってる、わかってるけど、なんだよって、思っちゃいます。
短いシーンだったけれど、このシーンだけでちょっと泣いてしまいました。


骨になったママ

水季の四十九日について話す翔平、朱音、夏。
津野が自分に気を遣って来ないのではという夏に、夏のことは気にしていない、水季と近かったからだと答える朱音。
気にしていないわけないし、近すぎたんだよな、津野くん。
でもあくまでも、近かっただけの人であって、そばにいただけの他人、なんだよな、津野くん。苦しい。

朱音が「納骨」について海に説明すると、「ずっとここにいればいいんじゃない」と寂しげな海。
その後、一人で遺骨を抱きしめていた海と、夏との会話です。

夏「水季、何か言ってる?」
海「ううん。喋れないよ、骨だもん。」
夏「そうだね。」
海「骨になったら、痛くない?」
夏「うん。痛くないよ。」
海「薬いらない?」
夏「うん。いらない。」
海「ふうん。よかった。」

「海のはじまり」第7話より

ここ、泣きましたね。
ママがいた頃、痛くて、お薬ばかり飲んでいたママを、海ちゃんはずっと見ていたんだよね。
ママがいないことはわかっていて、お墓に入るためにこの家からいなくなることは寂しいけれど、今もうママが痛くないならよかった。
水季がどれだけ壮絶だったのか、幼いながらにそばにいた海がどんな想いだったのか、いちばんわかってあげたいけれど、実際に一緒にいなかった夏くんが言ってあげられることなんてなくて。
その寂しさや虚しさが、夏くんの表情からも伝わってきました。

水季や海が過ごした自分の知らない時間を、足跡を辿って知っていくことは、夏にとっては絶対に必要なことだけれど、知れば知るほど、自分がいかに何も知らないか、自分がいかに呑気だったかを思い知るような過程でもあって、夏も辛いですよね。
でも、自分よりも海ちゃんの方が、水季の方が、津野さんの方が、朱音さんの方が、きっと辛いから、自分の気持ちがどうとかなんて、彼らを前にしたらどうでもいいことみたいに思えてしまう。
悲しみなんて人と比べるものではないけれど、どうしても比べて、違いを思い知ってしまう。
夏の複雑な想いも伝わってくるシーンでした。


津野くんという人

図書館にて、「くまとやまねこ」の絵本の破れたページを直す津野。
手が止まってしまう様子を見て、三島が作業を代わり、津野に休憩に入るように促します。
津野の時間がやっぱりあの日から止まってしまっていることを感じさせます。

水季と津野の回想シーン。
水季が図書館で勤務を開始した初日、水季が3ヶ月の子を持つ母親であることを知り、驚く津野。
産後3ヶ月で仕事をするシングルマザー。
詳しく事情は知らなくとも、大変そうであろうことを察した津野、走って娘のお迎えに行く水季を見送ったり、陰ながら見守っている様子。
そんなある日、忘れ物を取りに海を連れて休憩室にやってきた水季、そこにいた津野が、海と初めて会ったシーンです。

-津野晴明「大変だね、そんなちっちゃい子、一人で。無理しないでね。」
-南雲水季「無理です。みんなそう言うんですよね。大変だね、頑張って、でも無理しないでねって。いや、無理しなきゃ子どもも私も死んじゃうって。」
-津野晴明「ごめん、無神経で。」
-南雲水季「八つ当たりしました。すみません。」

「海のはじまり」第7話より

この会話の後、自分には子どもも彼女もいないし休みの日も本を読むくらいだからと、他人の方が頼りやすいしと、何か力になれないかと声をかけた津野。
勝手に産んだから親にも頼りたくなく、でも一人での子育てはそろそろ限界だった水季は、この日をきっかけに、津野に少しずつ頼るようになります。

津野くん。
今現在の津野くんは、海ちゃんの相手にもとても慣れていて、夏の知らない時間を水季と海のいちばん近くで過ごしていた人として、あたふたと必死に現実に追いつこうとする夏と比べて、今すぐにでもパパになれそうな感じ。
でも、最初の頃はこんな風に、迂闊に言葉を投げてしまってハっと自覚するようなことが、津野くんにもあったんですね。

今の夏にとって、津野は敵わない相手。
自分には海との血の繋がりがあるとはいえ、血の繋がりしかなくて、津野が確かに海や水季と積み重ねた時間には敵わない。
でもそんな津野も、こうやってきっとひとつひとつ、水季を理解して、自分の価値観を自覚して、変わって、もがいて、そうやってそばにいる努力をしてきた。
初めからぜんぶ出来る人なんていないし、向き不向きなんて関係なくて、やっぱりやると決めたらやるしかなくて。
津野と夏の違いは、それをやってきた人か、やるステージに立たずに過ごしてきた人かの違いでしかないんですよね。
夏だって津野みたいになれるし、津野だって夏だったかもしれない。
水季だって弥生だったかもしれないし、弥生だって水季だったかもしれない。
ほんと、その人本人が持っているもの以外にやっぱり、環境や経験が、人をつくるんですね。

津野が水季の力になりたいと言ったのは、目の前の困っている人の力になりたいというシンプルな思いからの衝動だったように思いますが、何かこう、この人の力になりたいと思わせる直感的な出会いだったのかもしれませんね、津野にとって水季は。
そこから、保育所のお迎えを代わったり、自宅で海を預かったり、水季に代わって海のケアをしてきた津野。
それまで子どもも彼女もおらず、あんまりそんなに「うぇ~い」みたいな感じの人でもないから(どんな人)、淡々と働いて淡々と本を読むような、ワントーンの日々を過ごしていた中で、水季と海と出会って、見える風景の色が変わったかもしれません。
誰かの力になれている実感を持てることとか、自分を必要としてくれる人がいるという事実が、日々の生きる力になるような救いになることってあって。
水季も救われたけれど、津野も救われていた、そんな関係だったのかなと感じました。

水季はそんな津野に、物理的にかなり助けられていた部分が大きかったのでしょう。
でもきっとそれだけでなく、そうやって自分以外の力を頼ることが出来ることって、心にも少なからず余裕をもたらすから、色々と限界で疲弊していた水季にとって、津野の存在があることで、前を向けたり、海と穏やかに向き合えたり、精神的にも救われていたのではないでしょうか。
ゆき子さんも、人の力を借りながら夏を育てていましたし、子育ってやっぱり親と子の一対一の関係だけでは限界があるから、今回の第7話のタイトルの通り、近くで支えてくれる人の存在って、絶対に必要だし、大きいですよね。

ある日、勤務中の水季に代わって海の相手をする津野の様子を見て、水季に付き合い始めたのかと聞いた三島。

-南雲水季「未だに気持ち利用してます。最低です。」
-三島芽衣子「いいんだよ。したくてしてんだから。」
-南雲水季「そうですかね。」
-三島芽衣子「そうだよ。見返り求めてやってないでしょ。」

「海のはじまり」第7話より

津野は恐らく言葉にはしていないけれど、水季に好意があって、それを水季も気付いている。
でも、気付かないふりをして、利用している。
そんな自分にうしろめたさを感じる水季ですが、水季は夏への未練があるから津野とは、ということはもはや無くて、今は自分の恋愛なんて考えている余裕なんてなくて、津野に対しても誰に対しても恋愛感情を抱くつもりがそもそもない、みたいな感じだったのかな、と思いました。
「恋人が出来たら教えてくださいね」と、それとなく線を引いた水季でしたが、事実、別に津野が好意を口にしたわけでもないし、水季が思わせぶりなことをしているというわけでもなさそうで。
だったたら三島の言う通り、負い目を感じる必要なんてないんですよね。
お互い大人だし。
必要とし合っている部分を補完し合うことは、悪じゃない。

津野くんがもし、ぐいぐいと想いを伝えてくるような人だったら、水季はこんな風に頼れなかっただろうし、津野くんもそれをわかっていた気がする。
または、もしかしたら本当に下心的な好意なんかなくて、ただ人として好きで、力になりたかったのかな。
男女のペア=恋愛と決めつけるバイアスがかかっているかもしれないから、気をつけなければ。
津野くんにはもしかしたら「いずれ」という想いはあったかもしれないけれど、水季の状況も考えて、それはあくでも「いずれ」であって、別に今じゃないと思っていたのではないかな。
まさか死んでしまうなんて、思いもしないから、別に急ぐ必要もなかったはずで。
津野くんが一歩踏み出さなかったからこそ構築できた二人の関係。
津野にとってはもどかしさもあったかもしれないけれど、それがきっとこの二人には、水季には、必要で、良いバランスだったんじゃないかな。
一歩踏み出さなかったことが、津野の自分に対する自信のなさの表れでもあり、優しさの表れでもあり、それが自分を部外者として線引きしてしまう結果になったことは皮肉ですが、津野は津野の想いで、距離で、いちばん近くにいたんですよね。
それは、曖昧な関係、というか、定義するならやはりただの同僚で、他人でしかなくて。
でも、別に誰かに脅かされるような関係でもないし、お互いにとってお互いがちょっと救いになっていて、だから今はこのままで、もう少しこのままでと、そんな関係だったんじゃないかな。
その「もう少し」が、願っていたかもしれない「いずれ」が、病気を前に、奪われた。
津野はますます踏み込めなくなったし、水季もその距離感で津野に海を託すなんてそれは出来なくて。
水季がいなくなった後、残ったのは、ただの同僚で、他人でしかない関係。
あれだけ濃く積み重ねた時間が合ったのに、それは事実なのに、引かれた線を受け入れるしかなかった津野。

…津野くん。
かわいそうとか、報われないとか、そんな言葉であなたを語る前に、ただただ「いてくれてありがとう」って全力で伝えたいです、私は。
津野くんがいなかったら、水季も海も無理だったかもしれない。
あなたがいたから、水季と海がいた。
それは紛れもない事実で、その事実は、津野くん自身も含めて誰からも否定されるべきものでも、蔑ろにされるべきものでもないよ。
せめてあなたにとって、津野くん自身にとってそのことが、目を背けたい悲しみではなくて、心を灯すような記憶に変わるような、そんな日が来たらいいのにと、ただただ願ってしまいます。


海の父親

ある日、水季が病院に行く間に津野が家で海を預かっていた日、津野が目にしてしまった中絶同意書。
ここにあった「月岡夏」のサインを見て、津野は海の父親の名前を知ったのでしょう。
「堕ろせって言われたの?逃げたの?」と、珍しく早口で水季を問い詰める津野。

-南雲水季「知らない人の事、そいつ呼ばわり。私が知らせてないだけだから。」
-津野晴明「知らせた方がいいって。養育費とか、わかんないけどそういう…南雲さんこんな大変なのに何も知らずに呑気に生活してるなんて、」
-南雲水季「津野さんだって何も知らないでしょ。海の父親のこと、知らないのに悪く言わないでください。」

「海のはじまり」第7話より

ここで、ぴしっと線を引かれてしまった津野。
固まって、何も言えなくなってしまう津野、たくさんの言葉を飲み込んで、得体の知れない不安に吞み込まれていくような、津野が孤独の闇の渦に吸い込まれていったような瞬間でした。

他人の方が頼りやすい、詮索しないし、と言って水季を助けるようになった津野。
本当にこれまで、水季がシングルマザーになった理由や背景について、何も詮索してこなかったのでしょう。
でも、毎日ギリギリの中で一人で子育てをする姿、病院に行ったと聞いたのもあり水季の体調の変化を感じ取っていたであろう津野、水季がこのような状況にあることどころか海の存在すら父親が知らないのなら、知らせるべきではないか、相手にも背負わせて当然なのではと、気持ちが早って思わず早口で畳みかけたような津野の感情の波立ちが伝わってくるようなシーンでした。
ずっと心の中で、何度も何度も思ってきたであろう、「父親は何をしているんだ」。
この後、目の前でどんどん体調が悪くなっていく水季を前に、津野はなおさらそう思ったでしょう。
そりゃ、夏に対して、敵意剥き出しになるはずです。

この会話の後、恐らく病院にて宣告を受けてきたであろう水季、「そっか。そうですよね。知らせた方がいいのかも。」と呟きます。
これはきっと、海の存在を夏に、ですね。
海を一人で産み育てていこうと決めたのは、自分が死ぬことなんて予定に入っていなかったからで。
自分は当然ずっといて、いつかは死ぬけどそれはずっと先で、海を産んで、海と幸せになって、海を幸せにする、それを自分の生涯をかけてやっていこうと腹を括った水季。
それにしてもなぜ夏に一言も言わなかったのか、前回明かされた産むことを決めたきっかけとは別に、夏に言わなかった理由も、まだ具体的な描かれていないので、いつか描かれないかなと思っていますが、それなりの覚悟で夏に隠してきた水季だけれど、自分がいなくなるという現実を前に初めて、夏に知らせるという選択肢が頭に浮かんだ。
生きている限りは、自分が母親をやれる。
でも、自分がいなくなった後、海には父親に会う権利があるし、海が父親と会いたいと願うのならば、夏に知らせるべきかもしれない。
海の母親として、一人で産み育てる決意をした人間として、海と海の父親のつながりを残すことは、責任かもしれない。
そんな考えがよぎる水季でした。

別日、水季は「報告がある」と実家に帰ります。
津野との関係に関する報告かと思った朱音さん、水季が"津野さん"という人に頼りながら過ごしていることは知っていて、その"津野さん"といずれ一緒になるのかなと思っていたようです。
朱音さんは朱音さんで、自分にもっと頼ってくればいいのにと日頃思っていたかもしれませんが、水季は水季だから意思が変わらないのもわかっていたし、"津野さん"という人がそばにいるなら下手に邪魔をしてもいけない、とでも思っていたかもしれませんね。
「なんか私、ダメっぽいんだよね」と水季。
ここで水季は、自分の病気の事を朱音に打ち明けたようです。

みかんとヨーグルト

入院中の水季、見舞にやって来た津野。
この時点で水季は余命を宣告されているようで、「いつ死ぬかは、選べないんですね。生まれるのも死ぬのも、選べない。」と、ぽつりぽつりと淡々と津野に話します。
何事も自分の意思で選ぶことにこだわってきた水季が、唯一自分の意思でどうにもできないこと、それが死。
津野は、きっと水季の状況をわかっていて、でも信じたくなくて、聞きたくなくて、水季の話を聞き流すように海の話をしたり売店の話をしたり、会話として成り立たない、成り立たせない感じ。
どうにも受け入れがたい現実、受け入れるしかないけれど、向き合いたくない感じが、伝わってきます。

治療を勧める津野に、「海に会いたい。治らないかもしれない、の方がずっと大きいんです。ここにずっといて、ちょっとだけ長く生きるより、海と一緒にいる時間がちょっとでも増える方がいい。」と言った水季。
病気が分かった時点で出来る治療はほぼなかったと前回明かされていました。

後悔なんて、きっとたくさんあったはず。
会いたい人も、やりたいことも、行きたい場所も、たくさんたくさんあったはず。
描かれていないだけかもしれないけれど、もっと泣き喚いて、わがままになって、自暴自棄になって、自分の人生や感情を優先してもよかったけれど、それでもどうしようもない現実を前に、ただひとつ、海のことだけを願う水季。
もう水季の人生は、海のためのもので、娘と一緒にいたい、最後まで母親をやりたい、その思いひとつだった水季。
あの自由で奔放だった水季がもうどこまでも母親で、自分に残された時間のすべてを海のために使おうと覚悟したこと、その強さと、どうしようもない悲しさが、淡々とした言葉から痛いほどに伝わってきました。

売店で何かを買ってくるという津野に、みかんのヨーグルトをリクエストする水季。
みかんのが無かったらいらないと言いますが、スマホの海の写真を見返していた水季のもとに戻ってきた津野は、袋入りのみかんとプレーンヨーグルトを差し出します。
「そんな選択肢があったとは」と笑う水季。
私、このくだりで号泣してしまいました。

みかんのヨーグルトがいい。なければいらない。
でも、みかんとヨーグルトがあったから、それぞれ別々だけど、合わせれば出来る、みかんのヨーグルト。
津野は、こうやって、水季の選択肢を増やしてくれる人だったんですよね。

意思が固くて、決めたら頑なな水季。
自分が決めたから、勝手に産んだから、一人で育てるって言ったから、実の親にもほとんど頼ることが出来なかった水季が、"他人"である津野に頼るなんてきっと水季からは思い至らなかったはずで。
それでも津野が、他人だからこそ頼るのもありだよって、選択肢を提示して、手を差し伸べたから、その手を水季は取ることが出来た。
お迎え代わりにいくよとか、今日は海ちゃんと相手しとくよとか、ひとつひとつ、水季が"一人でやらなきゃ" "自分でやらなきゃ"と追い込まれていったところに津野が入り込んでいくことによって、誰かに頼るということを覚えていった水季。
「あれじゃなきゃだめ。それじゃないならいらない。」
0か100かで走っていくような水季に、「これはあれでもそれでもないけど、ありじゃない?」って教えてくれるような人、だったんじゃないでしょうか、津野くん。

こういう津野くんみたいな人って、きっとたくさんいるし、今こんな時代に誰かが人を育てていく上で、きっといてほしい人、いてくれたらもっと選択肢が増えて、環境が変わる、必要な人。
何気ないことでも、些細なことでも、その存在が、その選択肢が、視野を広げたり、心を救ったりしてくれることが、ある。
いちばん近くで支えてくれた人。
それは家族である必要はないし、家族だけであるわけもなくて、たくさんの"他人”が、たくさんの"津野"が、こんな風に関わり合っていくことが、きっと生きていくとか、育てていくとか、命を繋いでいくということ
なんでしょうね。


あとはやっぱり、選択肢の話。
あの日、一度堕ろすと決めた水季。
一人で産むと決めた水季。
夏に言わないと決めた水季。
そうやって水季が一人で背負ってきた頑なな選択肢。
もしそこで、水季が自分の中にある不安や弱音や本音を、相手を想いすぎずに口に出すことが出来ていたら、別の未来があったかもしれません。
自分で決めることにこだわって自分の意思で選ぶということは、とても強くてかっこよくて潔いけれど、選択肢を狭めるということでもあるし、孤独でもある。
人と関わって、人と一緒に迷っていくことって、相手に委ねたり頼ったり責任を分散させてしまうことにもなるかもしれないけれど、可能性を広げるということでもあるんですよね。
「そんな選択肢があったとは」って、もしかしたらあの時も、この時も、気付けていたら、変わったことがあったかもしれない。
そんなことに想いを馳せてしまって、でももう今さら何を言っても迫ってくる現実があって、思わず泣いてしまうシーンでした。

「海のことが、まず一番です。海のために色んなことするから、するけど、身体これでダメなこともあると思うから、その時は助けて下さい。今までも助けてもらってるけど、これからも助けてください。ごめんなさい。」

このごめんなさいには、たくさんの意味が込められていましたよね。
あくまでも、津野は、いちばん近くにいる他人。同僚。
でも、津野さんだから、お願い出来ること、たくさんあるから、頼ります、ごめんなさい。
どこまでも"他人"で、でも誰よりも近い、津野。
「うん。」とだけ言った津野。
津野の覚悟も伝わるシーンでした。


水季という人

ある日、職場の休憩室で痛みに苦しみ蹲る水季。
ママを探してやってきた海に自分の姿を見せたくなく、津野に海の元へ行くように必死に促す水季。
ママはお仕事でもうちょっと時間がかかりそうだと、海と手を繋ぎ、海に水季の姿を見せないように別の場所へ移動していく津野。
「また痛いの?薬飲んだ?治る?」
そう聞く海と、何も答えられず、手を繋いだまま歩いて行く津野。

前回夏に水季のことを聞かれて、「思い出したくないです」と言った津野。
こんな姿を見てきたんですもんね。そばで。
夏がこの水季を知らないのは、知らされていないのだから当然で。
たらればで妄想する別の未来なんてないのだから、夏のそれを責めることなんて誰も出来ないはずだけれど、それでもやっぱりこのことを知らない夏と、知っている津野とでは、悲しみの程度というのは、比べるものではないけれど、違ってきますよね。
実感を伴う苦しみと、伴わないからこその苦しみ。
どちらも苦しい。

別日、実家で朱音に海のことを色々説明し、託す水季。
「海のこと、不安なこと無くなったら、急に怖くなっちゃった。死ぬの、急に怖くなっちゃった。安心して逝けるみたいな、そういう感じになると思ったのに、急に…」
泣き出す水季と、泣きながら水季を抱きしめる朱音。

はあ。もう。語れません。ただただ苦しい。悲しい。
ここのシーン、朱音さんがやっぱり母親で、とんでもなく母親の顔をしていて、朱音さんの前では水季も娘で。
突然亡くなってしまうことも辛いけれど、じわじわとリミットが迫ってくるお別れも、苦しい。
はあ。

そして別日。
駐輪場に自転車を止めた津野。
しばらく鳴っているスマホ、画面には「南雲朱音」の表示。
荒くなる呼吸、早くなる鼓動、込み上げる涙。
なんとか「はい」と応じるも、水季の訃報を受けて、一気に溢れ出す涙。
このシーンももう、何も言えません。苦しい。

鳴った瞬間、いやな予感しかなしないやつ。ありますよね。
心臓がバクバクして、手が震えて、出来るものなら出たくない、あの感じ。
それでも一瞬だけ冷静に「はい」と応じるところ、その後一気に込み上げてくる感情、涙、受話器を少し口元から離すような動きや、何も言えず切るところ、お芝居のひとつひとつがリアルで、ただただ苦しい、視聴者みんなが同じ感情で涙したシーンだったのではないでしょうか。
このシーンを前に、どんな言葉でも語れないというか。
一人の実在する津野という人間に起きた出来事を見たような、圧巻のシーンでした。

水季という人の人生を、生き様を、最期の日々を、切り取って最低限しか描かなかったつくりも、私たちは水季のことなんてわからないし、わかれないということを痛感させられるようで。
でも、水季という人が確かにいたこと、水季と関わって生きてきた人が確かにいたということも、水季が直接映らないのに同時に強く強く伝えてくれるようで。
よくよく考えたら、水季の人生も、津野という人間も、二人が過ごした時間も、そんなに多くは描かれていないんですよね。
なのに伝わってくることの多さ。
これぞ、積み上げで観ていく連続ドラマならではの見せ方だと思いますし、説明台詞ではない、表現で伝えてくる作り手の気概というか、視聴者への挑戦かつ信頼というか、そんなものを感じる第7話でした。


津野(涙)

水季が亡くなった後、水季のアパートの荷物の整理をしている朱音のもとへやってきた津野。
手伝おうとするも、「触らないで。家族でやるから、大丈夫です。」と朱音。
何も言えず、去って行く津野。

津野(涙)
津野(涙)
津野(涙)

「津野(涙)」しか感情がなさすぎて、このくだりの見出しは「津野(涙)」になってしまいました。

いったん落ち着いて(取り乱しているの私だけ)、朱音目線で考えると、最愛の娘を亡くして間もなく、娘が暮らした部屋の荷物を整理するなんて、朱音にとってはキツすぎる状況で。
自分が実家に連れ戻したから死期を早めてしまったとか、もっと助けてやればよかったとか、もっと頼ってほしかったとか、朱音さんには朱音さん視点での、たくさんの後悔があるはずで。
津野くんに構っている余裕なんてなかっただろうし、自分よりも水季や海のことを知っている津野への嫉妬心のようなものもあったんじゃないかなと思うんです。
「水季、もっと実の親である私を頼ってくれればよかったのに。」
「なんで私じゃなくて津野さんなの?」
この時の朱音さんは、失意と動揺の中で人を慮る余裕なんてないし、正常な状態ではなかったと思います。
だからこそ、強めの言葉を、津野に放ってしまった。
家族でやるので。
もう、水季、いないので。
そうやってピシっと、線を引いてしまったんですよね。
弥生と初めて会った時に少し空気をピリつかせてしまったのもありましたし。
そうなってしまう朱音さんを責めることなんて出来ないし、朱音さんは朱音さんで葛藤したり後悔したりして、でももう、そうしか振る舞えなかったんですよね。

ですが、津野くんよ。
心配しないで。私は津野くんの味方。
あなたには私がいる。Stand by TSUNO。I promise。
津野くんにとってはこれはもう、キツすぎる。

津野くんだって、どん底の中、なんで水季の家に来たのかはわかりませんが、なんかもう朦朧としながら来たんじゃないでしょうか。
朱音さんが片付けをしていると知って、きっと当たり前のように手伝おうと、自分を奮い立たせてやってきたんでしょうね。
「海ちゃんの荷物わかるんで」と津野がぽろっと言った一言が、朱音さんを逆撫でしてしまったのかもしれませんが、事実、津野の方がいろいろわかっているから、片付け作業の力に、シンプルになれますから。
そこでピシャっと線を引かれた津野。
「家族でやるから」。

ええ。
津野は、何度も言うけれど、他人でしかなくて、同僚でしかない。
恋人でもなければ、家族でもなくて、他人。そばにいただけの他人。
事実です。
そんな風に言われたら、こんなところでそれを突きつけられたら、もう、何も言えないですよ。

津野だって朱音さんに対していろんな思いがあったはず。
なんでもっと助けなかったんだ、なんで今さら、今まで何をしてきたって言うんだ。
でももう、何も言えないですよ。
家族かどうかで線を引かれたら、そこで関係を分けるのならば、圧倒的に、絶対的に、部外者なんだもん。

一人寂しく去って行く津野の背中。
こんなに寂しい背中、ありますか?
孤独すぎて、もう、苦しすぎる。

多分津野が、いちばんちゃんと水季の死を悲しめていないですよね。
消化しきれていない。
悲しいと口にすることを、自分事のようにその死と向き合うことを、"家族"の人たちに拒絶されてしまったような。
比べるものでも括るものでもないけれど、夏が水季と近い人たちの前で感じる疎外感や、悲しみを口に出せなくなる孤独感と、少し通じる部分もあるかもしれません。

この片付けのタイミングと葬儀のタイミングがどちらが先だったかは分かりませんが、きっとこの片付けと葬儀以外に、津野が自ら南雲家に関わりにいったことはなくて。
そりゃ行けないですよね。家族じゃないんだもん。大丈夫って言われちゃってるから。

そんな中で、突然「月岡夏」っていう実の父親らしい人が関わってきて、あれこれ悲しみを掘り返してきて、土足で踏み込まれるわりに自分は内側に入れてもらえなくて。
かと思いきや、墓参りに来い?水季も会いたがってる?
いや、いいんです、他人なんで。家族じゃないんで。
別にもう内側に入る気もないんで、あなたたちも踏み込んでこないでください、他人なんで。
そんな風に荒む気持ち。当然ですよね。苦しい。

今も無邪気に純粋に津野を慕う海ちゃんがいることに救われる部分もありつつ、海ちゃんという存在が自分と水季を繋ぐことによって、"他人"なのに、"家族"の人たちとなんやかんや関わらざるを得なくて。
じゃあ津野がどうなりたいのかって、それはわからないけれど、きっと、いや絶対、この物語の最終話までに津野の孤独や悲しみも少し昇華されていくと信じています。
生方さんは、誰かを悲しみに閉ざされたままにして置いていかないって信じてる。
しかし、津野くん、辛い。
根っからの悪人がいないからこそ、辛い。

夏と葬儀場で初めて出会った時、海の色鉛筆を拾おうとした夏に、津野が「触らないで下さい」とピシャっと言いました。
あの時ヒリついた空気。
あの時は「そんな言い方しなくても」と思ったし、津野くん君は水季のなんなん?とすら思ったけれど、こういう経験をしてきた津野くんが、突然現れた"月岡夏"に対して、父親だかなんだか知らないけどお前より俺の方がずっとそばにいたしお前何も知らないだろ、って感情的になるのは、わかります。

夏にはね、家族もいるし、弥生さんもいて。
泣いたり話したりする相手がいるけれど、津野は、一人なんですよ。
あんな寂しい背中で、行く場所なんてないでしょ?
一人で家で泣いたの?津野くん。
苦しすぎませんか。苦しすぎる。
私が抱きしめてあげたところで無意味なんですけど、せめてその背中をさすってあげたい。
幸せになってよ津野くん。また笑ってね。約束だよ。(何)


ママ

水季の部屋で、棚に置かれたブレスレット?ネックレス?を手に取る夏。
思い出の品でしょうか。
隣に置かれていた指輪が、学生時代の水季が付けているものだったので、それが二人の思い出リングかな、と勝手に思っていたのですが、違ったみたい。

水季の四十九日の日。
お願いがあると朱音にあることを伝えた夏。
これがきっと、水季の遺骨を少し残して、海の手元に置いてやりたいということですね。

別の日、大和が亡き実母の遺骨をお守りのように持っていることを知った夏。
父・和哉が、大和のために納骨の際に母の遺骨を少し分けてあげたということを聞き、海のために、ママをそばで感じられるようにと、部屋で手に取った水季のアクセサリーから思いついたのか、夏が朱音に提案して、星の形のネックレスをつくってあげました。
夏のお父さんらしさといえばそうなのですが、父親になってきたという表現でもありつつ、シンプルに、海のことをじっと見つめて、想いを寄せてきたからこそ、言葉で寂しいとも悲しいとも言わず泣きもしない海が、確かに感じているであろう、離れていってしまうママの存在、"いなくなる"ということへの恐怖心に、そっと寄り添ってあげた行動だったように思います。

しかし改めて、四十九日。
まだそれしか経っていないんですよね。
前回も言ったけれど、やっぱり父親になるとか母親になるとか、決断するには早すぎる。
でも、進んでいかなければいけない現実はある。
どうなっていくのか、どこまで描かれるのか、見守りましょう。


縋るもの

月岡家に弥生を呼び、二人きりで話すゆき子。
再婚当初は大和がなかなか心を開かなかったことなどを話します。

-月岡ゆき子「水季ちゃんに嫉妬するでしょ?」
-百瀬弥生「嫉妬というか…」
-月岡ゆき子「私はしたな。死んじゃってるのずるいって思った。言っちゃいけないことだけど、今の弥生ちゃんになら言えるな。」
-百瀬弥生「羨ましいです。一人で大変だったと思うけど。病気も。なのに、何か知る度に、羨ましいって思うんです。綺麗な思い出がいっぱいでいいなあって。そう思う自分が嫌になります。」
-月岡ゆき子「うん。わかる。わかるけど、私は、大丈夫だった。夏がいるから。弥生ちゃんのこと心配してるのは、そういうこと。全然私と同じ立場じゃないよ。縋る人、居ないんだもん。この先、ずっと、辛くなると思う。」

「海のはじまり」第7話より

死んじゃってるの、ずるい。
これって、言っちゃいけないことだけど、きっと絶対思ってしまうこと。
言えない弥生の代わりに、ゆき子さんが言ってあげた言葉でもありますよね。

「羨ましい」という言葉にした弥生さんも、きっとそれは、本音で。
自分が絶対的に入っていけない過去の思い出が、夏と海にはあって、入り込めない自分がそばにいいて母親のように振る舞うことの難しさを、頭では考え始めているであろう弥生さん。
そんな弥生さんに、自分とは立場が違うと言ってあげるゆき子。
ゆき子が大和と良い関係を築いてきたことは、弥生にとってはお手本のような存在で、でもそんなゆき子と弥生の決定的な違いは、縋るものがあるかどうかということ。
この作品では、血の繋がりが全てだとか、血の繋がり神話みたいなところはないけれど、でも、やっぱり「(血の繋がった)自分の子」というつながりは、自分を支える強さになる。
弥生にとってそれが無いという現実を映す一方で、夏にとってはそれがある、だから進んで行けるということも示しているようなシーンでした。

帰宅した弥生、夏からの電話を受け、「海ちゃんが弥生さんも一緒にお墓参りに行こうって。嫌じゃなければ。」と言う夏に、嫌なわけない、行こうと答える弥生。
でもこのシーン、弥生さん、いつも几帳面に揃える靴を揃えないんですよね。
そんな風に言われて、嫌ですなんて、言えないし。
余裕のなさというか、心の乱れを感じさせるシーンでした。

夏くんも、自分が来てほしいからとかではなくて、"海ちゃんが"が最近はいつも主語になりますね。
弥生さんに何も強制出来る立場にない夏だから、その言い回しになってしまうのはわかるし仕方ないけれど、やっぱり弥生さん、夏に心を開いて関係性は深まったとはいえ、自分の人生は自分で決めるしかなくて。
弥生さんがどうなっていくのか、心配もありつつ、ただただ見守りたいです。


海ちゃんがいるから

夏、弥生、海、3人で水季の墓参りにやってきたところ、墓前には津野が。
津野の元へ駆け寄っていった海。夏に会釈する津野。
津野がこれまで一度も水季の元へ来れなかったということを弥生にぽつりと話始める夏。

-月岡夏「羨ましかった。何も知らなかったから、よく知ってるから余計に辛いって、羨ましかった。自分が悲しいと思ってることなんてたいしたことない気がして。」
-百瀬弥生「大丈夫だよ。月岡くんには海ちゃんがいるから。」

「海のはじまり」第7話より

夏くんがじわじわと感じていた、疎外感や孤独感。
弥生さんの前では、こぼせる本音ですね。
それに対する弥生さんの言葉。
「月岡くんには海ちゃんがいるから」。
これ、「私には縋るものがないけど」が省略されているように感じられて、優しいけれど、苦しい台詞でした。

弥生さんの縋るものは、ほんとは、夏なんですよね。
でも、ただの恋人で二人でいるならそれだけでよかったけれど、今海ちゃんがいて、親になって家族になっていくにあたり、それだけじゃ、弥生さんは、弱い。いつか辛くなる。なってみないとわからないことだけれど、きっとそうなんだろうなって、経験者にも言われたら、思ってしまう。
弥生さんの心の揺れ、少し不穏な空気が漂います。


母性と父性

帰り道、海を連れて夏は南雲家へと向かい、駅の方まで津野と二人で帰ることになった弥生。
ぽつりぽつりと話す二人。

春頃、水季が夏に会いに海を連れてアパートを訪ねたものの、一緒にいる女性を目にして引き返したという話をする津野。
「まあそれは南雲さんの判断なんで。あなたが何かしたわけじゃないし。南雲さんそういう人なんですよ。そういうこと知らずに代理されるのなんか嫌なので言っておきます。」と津野。
「ありがとうございます。そういうの全部教えてください。」と弥生。

津野のこの言葉って、そんなこと弥生さんに言ったら追い詰めちゃうじゃん!とも思えるけれど、優しさ、なんじゃないかなって思います。

この事実は、水季がいない今、津野が伝える以外に弥生や夏に伝わることってなくて。
夏がこれをいきなり聞いたら、色々自分を責めたりしてしまいそうですし、弥生さんには気を遣って言わなさそうだし。
夏には今まで言わず、弥生さんに伝えてあげたのも、津野なりの配慮だったのかなと思います。

津野の言う通り、別に夏も弥生も悪くない。
水季が引き返したのは、夏と弥生の幸せを願ったから。
二人が生きている世界を乱したくなかったからですよね。
「南雲さんはそういう人」っていうのは、そういうことを伝えているのではないかなと思います。
だからあなたは堂々と月岡さんの隣にいていいんじゃないですか。
そんな風なことを伝えてあげているともとれるかもしれません。

こういうことって、弥生も夏にはなかなか直接聞きづらいことってあると思うので、津野の役割って結構助かるというか、津野に言われるから一回受け止められる、みたいなところもあると思います。

-津野晴明「なんでそんな一生懸命っていうか、必死なんですか?」
-百瀬弥生「母親になりたいからです。」
-津野晴明「立派ですね。すごいですよね、そういう女の人の、子どもへの覚悟っていうか。」
-百瀬弥生「性別関係あります?なんで子どもの話になると途端に父親より母親が期待されるんですか。」
-津野晴明「すみません。イメージで物を言っただけなので。」
-百瀬弥生「父性ってあんま使わないけど、母性ってみんな気軽に使いますよね。無償の愛、みたいな。そんな母親ばっかりじゃないのに。」

「海のはじまり」第7話より

弥生ちゃん、津野の前ではめちゃめちゃ本音言えるー!

この二人、別に付き合うとかは無いと私は思っていますが、この、他人同士ならではの距離感だから言えることがある、みたいな関係値って、結構これから大切になっていきそうですね。
仮に、弥生と夏が結婚して海と家族をやるとしても、3人だけでは完結しないはずで、周りの人の手を借りながら、生きて行くはずだから。
津野くんが直接的に手を貸すことは減ったとしても、夏と弥生の知らない時間を知っている津野という人の存在は、絶対的に必要なものだと思います。


母性と父性の話、これはかつて、津野は水季にも言われたことでした。

-南雲水季「津野さん何かおすすめあります?」
-津野晴明「でも南雲さんが選んだものがいいと思うよ、母性の話だし。」
-南雲水季「母性?」
-津野晴明「うん。母の日の展示でしょ?」
-南雲水季「え、なんですか、母性って。」
-津野晴明「ん?何って?」
-南雲水季「無償の愛、とかですか?」
-津野晴明「うん、言葉にするなら。…え、ごめん、気に障ったなら。」
-南雲水季「子どもを愛せない母親なんていっぱいいるのに、"母の性"って、それが無償の愛って…。あ、引いてます?」
-津野晴明「…その通りだなって。」

「海のはじまり」第7話より

父性と母性。この物語のテーマですね。考えさせられます。
なんで母親ばっかり期待されるんでしょう。
最近は時代も変化しつつあるけれど、子育てや家事のこと、なんだか主体は母親で、母親は子どもを愛せて当然とか、女性は母になると強いとか、無償の愛が溢れ出すとか、そんな風に語られることって多くて。
男性って加点法だけど、女性は減点法みたいな、そんな感じ、ありますよね。
一方で女性も、「男は○○」と決めつけてしまうところもあるかもしれません。
このシーン、この弥生や水季の言葉、女性として私はうんうんと頷くことばかりだったのですが、男性の視聴者の方はどのように感じ、受け止めているのかなと、気になります。

そして津野くん。
「無理しないで」のくだりでも話しましたが、やっぱり津野くんも、こんな風に水季や弥生に怒られたりしていて。
夏と比べたら、いろいろわかっていそうで、いろいろ出来ちゃう津野くん。
親レベル測定みたいなテストがあったら、今は津野のほうが夏よりも高得点になるかもしれないけれど、そんな津野だってこんな風に、何の気なしに地雷を踏むというか、無意識の意識の中で、「母」とか「女性」というものに対する固定観念、「男」とか「父親」というものに対する「こんなもの」みたいな感覚があるんですよね。

今までこういう部分って結構この物語では夏に背負わされてきていたし、もしくは翔平さんや和哉さんのような、男性のわりに理解度が高いようなキャラクターばかりが登場してきた中で、ここを津野にこういうかたちで背負わせるのは、人間を性で分けた時の男性の性みたいなものを表現している気がします。
その人特有の性格上、ということではなくて、どんな人も、迂闊に言ってしまうことだったり、染みついた価値観だったり、わかった気になってしまっていることってあるよね、という、表現。
"男っぽさ"みたいなところでいうと、次回登場する夏の実の父親が、結構男性的というか、また違う「父性」「父親」を表すキャラクターになりそうですね。

他人同士

駅に着いた弥生と津野。
「美しく一言でまとめたい時に都合のいい言葉なんでしょうね、母性って。」と、まだ母性の件を引きずる弥生さん(笑)
まあでも、そうですよね。
母性がなんたるやなんて別に深い意味まで考えられていなくて、気軽に使いますよね。母性。

「真逆の人選んでるの、なんか腹立ってたんですけど、ちょっと似てるんですね。それはそれで腹立ちますね。」と津野。
同じ事を弥生にも水季にも言われて、水季に思いを馳せて、なんだよ月岡さん、やっぱ似た人を好きになるんだなって、ちょっと腹立つ感じ、わかる。かわいい。笑
多分夏自身も、水季と弥生さんは全然似てない、真逆って思っている気がするけれど、第三者が見るとわかる、みたいな、そういうの、結構アルアルですよね(笑)
苦しすぎて泣きすぎた第7話、最後にちょこっとふっと笑えるシーンで救われて、ありがたいです。

「知らないじゃないですか。知らない人のことわかんないでしょ。」
かつて水季に言われたことを、津野は弥生にいいましたが、これって津野が津野自身に向けている言葉でもあるように思います。
夏のことも弥生のことも、自分は知らないんだから、わからない。
だから無駄に敵視することもないのかな、みたいな、ちょっと空気がほぐれたようなシーンでした。

「昨日、月岡さんから電話きて。水季の墓参り来てください、水季も会いたがってると思います、って。あの人、水季水季うるさいですよね。

この台詞、笑いました。
もう津野くん~!!
最後に笑わせてくれてありがとう!!(笑)
水季水季うるさいですよねの言い方、最高!!
全視聴者が思っていたことを、まさか津野くんが回収してくれるとは。
ありがとうございます!(笑)

津野くんなりのジョーク(?)で少し空気をほぐした後、「海ちゃんが連絡先知ってるので、何か、あれば、連絡ください。南雲さんみたいに、一人で決めないでください。」と、弥生に声をかけた津野。
津野くん、どこまで優しいんだ。

水季を助けようとした時も、「他人だから頼りやすいってある」ということを言った津野。
弥生に対する言葉にも通じる気がしますね。

当事者と部外者。家族と他人。
そういう線を引かれた中で、いつも外側にいた津野くん。
それは時にどうにもならない拒絶や距離を感じさせる線だけれど、外側にいるからこそ、力になれることだったり、必要とされることがあることも、ちゃんとわかっている。
部外者だから、家族じゃないから、そういうことに傷ついた経験もあるけれど、家族じゃない他人の水季や海に救われてきた経験があるのも、津野くんです。
これから弥生がどんなかたちで津野を頼るのかわかりませんが、この二人だからこそ、他人同士の二人だからこそ、話せることもあると思うので、今後の関係性を見守りたいです。

第7話ラストは、夏が海に絵本の読み聞かせをするシーンで終わりました。
読み聞かせしてという海に、「津野さんみたいに上手くないよ」と言いながら、足の間に海を座らせて絵本を読んであげる夏。
津野さんには敵わない。
でも、海が自分を必要としてくれているなら、そばにいたい。
自分にも、父親として、出来ることがあるかもしれない。
南雲家ステイを経て、海ちゃんに対する愛情も深めていったように見える夏くん。
そろそろ夏休みも終わりですね。
今後自分の人生と海との未来、何をどんな風に決めていくのか、いよいよこの物語もラストに向けて動いていくと思うので、どきどきしながら見守りたいと思います。


いやー、第7話。
津野回だとは思っていたけれど、思ったよりも津野回でした。
泣くとは思っていたけれど、思ったよりも泣きました。

もうあと数話だと思うと、寂しすぎる。
みんなが幸せに向かって進んで行けますように。