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失敗を、失敗として受け止めない

パズルが噛み合わなかった。約2年間。
私はだいぶ長い間、こじらせていたかもしれない。

小さい頃、スーパーファミコンが好きだった。
ワギャンというキャラクターのゲームソフト内に、こんなミニゲームがあった。
中央に5マス×8マスの直方体、テトリスのようなブロック。半分あたりでギザギザと切り取られ、下半分は中央に残り、上半分がその周りをくるくる回る。
正解のピースに混ざって、少し形の違うピースも4つほど混ざる。正解以外を選んでしまうと、中央のブロックと合致せず、「ブブーッ」と音が鳴り、再トライ。正解を選ぶと中央のブロックとぴたっとはまって正解となるのだ。

ずっと、自分のなかでこのゲームが行われていた。
ふわふわしているのとも違くて、悩んでるのとも、行き詰まっているのとも違う。

合致するピースが見つからずに、いつまでもぐるぐるとピースが回っている。

無気力と無感情

無気力と無感情の中にいた。
泣ける映画を観た。泣けた。悲しかった。でもモヤモヤは晴れなかった。

悩んですらなかった。変化の原因を考えたら、2つ、思い当たることがあった。

仕事と失恋。

複合型だ。我ながら、だいぶこじらせてしまったみたいだった。

どうやら、真面目すぎるらしい。
仕事面では、プロジェクトを受注したのに「それまでの経緯はもっと上手く出来たのではないか?」と考えて喜べなかった。
環境も悪かった。プロジェクト受注のタイミングで異動になり、私が1番見たかった"お客さんが喜ぶ姿"を見れなかったのだ。

私は失敗した。そう思った。
そこからだったように思う。なんだか自分が思っていた自分らしさが100%出なくなり、ふっきれなさがずっと体内に残っていた。

同じようなことが仕事面でも恋愛面でも続き、ちょっとずつちょっとずつマイナスな何かが身体に蓄積されていった。
最終的には、自己嫌悪の塊になっていたのだった。

失敗を、失敗として受け止めない

一つひとつの出来事を見ると、決して"失敗"ではないのだ。

どれも新しい挑戦をして起きたこと。
行き詰まったり、上手くいかなかったとしても、それは失敗ではない。学んで、また進めばいいのだ。

"失敗"と思い込んでしまうと、それは生ごみみたいに体内に残って、だんだん腐って、マイナスなものしか集めなくなるから。

気付いてほしい。今までのこと全部。

きっと、失敗じゃない。


そこに気付いたら、一気に心が軽くなった。

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