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したいこと、色々。|「Bye-Bye, Someone's Mug」

今日がもう、残り50分になってしまった。2020年1月17日。
阪神淡路大震災から25年。

今日は、朝から悲しかった。

目覚まし時計代わりに毎朝タイマーでつけているテレビの、朝のニュース番組から、追悼集会の遺族の弔文音声。の、その後の、ニュースキャスターのコメント。

もう2度とこのような大災害は起きてほしくない

……朝から悲しかった。そうじゃないでしょ、と。

そんなこと、あなたがわざわざ代表して言ってくれなくてもみんなそう思ってる。でも、災害は「起こる」。どうしたって起こる。なんなら人間のせいで起こる。

いや、人間のせいで起こる災害は人間によって改善できる手立てがあるかもしれない。手を打つかどうかは、人類全体の問題だけど。

そうじゃなくて、「同じ(か、それ以上の)災害が起きたとしても、2度と同じような被災が生じない社会をつくっていきたい」とかさ……そういう話をしようよ。してよ。マスメディアなら。公共放送なら。

Bye-Bye, Someone's MUG

少し前、知り合いのデザイナーがマグカップを捨てているところを目撃した。割れてもいないマグカップを捨てようと思ったことのない私には、何度も不燃物ゴミ箱の中を覗いてしまったくらい、衝撃だった。

そのマグカップには、少し前に若い人たちの間で流行った縦長の欧文フォントで2〜3行の英文が書いてあった。こんな感じのフォント。

マグを捨てていたその人は、50歳くらいの男性。……これを書くのは嫌味になるのかもしれないけど、そう、最後のバブル世代

若い人の間で流行っているデザインのマグを使っているのを見た時は、中年といえどもやっぱりデザイナー、流行に敏感なんだなー、くらいにしか(しか、というか、どちらかというと感心寄りの平常心)思っていなかった。

でも……捨てられたそのマグを見て、一気に失望。

デザイナーの看板を下ろせ、と唾棄したいほどの失望を覚えた。

私は執筆や編集の仕事の比重の方が圧倒的に高いけれど、デザインもする。仕事としてする。

だから、端くれとはいえデザイナーでもある。
だから、もちろん考える。

デザインとは何か。

同様のことを言っている人は五万といる(はずだ)し、もっともっと真理に近い答えが他にあるのかもしれないけど、私の思うデザインとは「機能」。人々の暮らしをより良くする力を持つ新しいアイデアこそが「デザイン」だと思っている。

だからこそ

一過性の流行りで終わるもの
一過性の流行りで終わって捨てられるもの
一過性の流行りに乗って飽きてあっさり捨てる人のセンス

そういうものは、一瞬の輝きがどれだけ強かろうとも「デザイン性ゼロ」。

私なりの定義でいくと、デザインセンスというものは決してデザイナーという肩書きを持つ人だけの特別な持ち物じゃないんだけど、でも、デザイナーなら持っていて当然、持っていて然るべきものとは思っている。

だから、飽きたら捨てる程度の買い物をすること自体がデザイナーとして悪質で、恥ずべきこと。今、これだけの自然災害が起きている時代のなかで、モノを無駄にすることの罪を解っていないからだ。

私の住むまちには今、大災害が起こっている。

私の住んでいるまちには今、大災害が起こっている。

まず、どのくらいの大災害かと言うと、オーストラリアの森林火災とか(今度は洪水が起きてるとか……もう、本当に辛い)、昨年、東日本を襲った台風19号とか、そのクラスの災害に匹敵する大災害が起きてると、私は感じている。

でも、そのことに気づいている人は少ない。

今日、とある会議の場で、気づいている人の少なさに気づいた。

なぜ気づかないのか。それは、分かりやすく何かが壊れたり、死人が出たりしていないからなんだろう。

今私の住むまちに起きている災害、それは「雪国に雪が降らない」ということ。

真夏の渇水や、アフリカなど暑い国での「水不足」は、死や病が隣り合わせの緊急性の高い問題だから、誰もが「深刻な問題だ」とすぐに理解できる。

でも、雪国に雪が降らないことをどれほどの人が問題視するだろう。

さすがに、雪国に暮らしている私たち自身は異変を肌身で感じ、不安を覚えている。皆が口々に「気持ち悪い」と言っている。でも、それでも、雪国の人でさえも「雪が降らないのは変だけど、寒くないのは正直助かるわ」なんて言ってる人もいる。

そんな風に話を振られると、やっぱり私は悲しくなって「そうですね」と言いつつ、やんわりと反論してしまう。

「でも、ただでさえ農業の担い手不足が深刻だと言ってるのに、今年のこの雪の無さが離農に拍車を掛けると思うんですよね。このままだと夏頃には用水路が枯渇して『米が穫れない』『収入源が絶たれた』って、田んぼを手放す人が激増すると思います」

……雪国に降る雪は、天然のダム。春先から秋の終わりまで少しずつ少しずつ融け出して、小川が川となり大河川となり海へと注ぐ、大切な水瓶なんだ。

それなのに、雪が降らずに雨ばかり。雨水は、山に留まってはくれない。

少しずつ解ける雪は大地を優しくゆっくり潤すけど、雨水は降る勢いのまま大地に浸み込み、……そこへもし地震でも起きたら、あちこちで土砂崩れや崩落が起きるだろう。

雪国に雪が降らないことで、雪国全域を潤してくれるはずの、半年分の水瓶が失われてしまった。

私はこれは、大災害が起きていると断言して良いと思っている。

でも、そういう危機感を持っている人は少ない。なぜなら、わかりやすく何かが壊れたり、死人が出たりはしていないから。……今は、まだ。

持続可能な発展のための目標:SDG's

東日本大震災の後に作られた「花は咲く」。あの曲には、当初「私は何を残しただろう」という歌詞があった。震災から、たしか5年が経った時。その歌詞が「私は何を残すだろう」に書き換えられた。

災害に命を落とされた人の想いを代弁するかのようだった歌詞が、5年の時を経て、今生きている人=私たち自身の視点へと変更された。

私は今年で(まもなく)40歳。……今この話題には関係ないけど、ロスジェネ世代ど真ん中です。

40歳。100年時代なんて言うけれど、それでも今のところの平均寿命でいけば、そろそろ人生折り返し地点のお年頃だ。

結婚もしていないし、腹を痛めた子はいないけれど、私よりも後に生まれ、そしておそらく私よりもずっと後まで生きるだろう人々がこの地球上には数十億人もいる。

そして、人類以外の命たち。

彼らの幸せに対して、私が無責任でいて良いわけがない。

色々なことが手遅れかもしれなくて、私自身、自分の行動が遅すぎる・甘すぎると思う部分も本当に多い。でも、「だから何もしない」なんて話が通るわけがない。

だから、私も学ぼうと思う。SDG's。

未来の幸せを守りたい。私は何を、残すだろう。

ああ、30分過ぎちゃった。1日働いて疲れた頭で書く文章は言い回しもつながりもむちゃくちゃ、だからなかなかnoteも更新できないんだけど、それでも今日だけは投稿しておきたかった。2020年1月17日、24:30。

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