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2人目の妊娠出産を振り返ってみる

こんにちはNatsです。
今3人目を妊娠中です。
2016年に1人目を出産しました。
今回は2019年に産まれた2人目の話です。

1人目を産んだあと1年間育休を取り
子供を保育園に預け時短で仕事に復帰しました。

当時私が住んでいた地域には
子供が3歳になる前に母親が産休に入った場合
保育園を退園になる制度がありました。
私は保育園退園は絶対嫌だったので
2人目は3歳差だなと考えていました。

今妊娠しても大丈夫だなという時期から
産婦人科に通い妊活を始めました。
そして数ヶ月で検査薬に陽性反応が出ました。
なにもかも順調に行くと思っていました。
しかし産婦人科に行っても胎嚢が確認できず
この子は化学流産してしまいました。

自然に生理がきたので
すぐ妊活できる体にはなったのですが
気持ちが落ちこんでしまい
そこから3ヶ月ほど妊活はお休みしました。

妊活を再開して数ヶ月後
再び陽性反応が出た時は嬉しい反面
またお空に帰ってしまうのではないかと
ビクビクしながら過ごしました。
胎嚢と心拍を確認できたときは本当にほっとしました。
12週を超えると流産の確率が下がるときいて
指折り数えて待ちました。

そして12週を超えて少し安心した数日後
家で夕食後の食器を洗ってる時でした。
なにか液体が伝う嫌な感覚。
すぐトイレに行って確認すると真っ赤な出血。
前回の化学流産の事を思い出しました。
すぐに電話し病院へ向かいました。

診断結果は切迫流産。
赤ちゃんは無事でした。
よかった…本当によかった(⁠´⁠;⁠ω⁠;⁠`⁠)
でも危険な状態には変わりありません。
張り止めの薬を飲みながら
しばらく入院することになりました。

仕事はしばらく休職
娘の保育園は夫が送迎することに。
娘は夫に懐いていましたが
保育園の送迎は私がしていたので
夫の負担は大きかったと思います。

私は10日間入院したのち
自宅安静に切り替わり退院となりました。
仕事は休職のまま
保育園の送迎、家事以外は寝たきり生活。
このときはどれくらいで仕事に戻れるのかな〜と
呑気なことを考えていました。

切迫流産は改善されず
22週を超え切迫早産になりました。
そしてまさかの
前置胎盤と診断されました。

本来胎盤は子宮の上の方についているはずが
下の方についてしまっている状態です。
この状態で生まれそうになると
大量出血してしまい
母子ともに危険な状態になります。
切迫早産と最悪の組み合わせです。
ただこの頃はまだ
子宮が大きくなれば胎盤は上がるから
と言われていました。

週目
胎盤は一向にあがらず
前置胎盤に強い病院へ
転院になってしまいました。
ここでようやく
仕事復帰はもう難しいかもなと思い始めました。
実際このまま産休に入ることになりました。

何度か新しい病院へ通い
何日までに胎盤が上がらなければ◯日に入院
といった話が出ました。
その日は娘の保育参観の次の日でした。
私は保育参観ギリギリ見に行けると
楽しみにしていました。

保育参観があと3日に迫った通院の日
子宮頸管の長さが短い
すぐに入院ですと告げられました。

え、言われてた入院の日より早い…
保育参観行けない…。

真っ先に思ったのがそれでした。
あと3日だけ駄目ですか?
上の子の行事に出たいんですと粘りましたが
その3日で何が起こるか分からないからと断られ
泣く泣く入院することになりました。

正直未だにあの保育参観に行きたかったなって思います。
でももし行ってたら
2人目に何かあって生まれてなかったかもしれないし
私もこの世にいないかもしれない。
だから入院してよかったんだと
自分を納得させてます。

入院は大部屋で
双子妊娠中の方、妊娠糖尿病の方
切迫早産の方がいました。
みんな上の子がいました。
大変なのは私だけじゃないと思えて
とても心強かったです。

入院してトイレ以外絶対安静になったことで
子宮頸管の長さもそれ以上は減りませんでした。

自己血貯血が始まりました。
前置胎盤や低置胎盤の方は
血が止まりにくく出血が多くなるので
自分の血をあらかじめ貯めて
いざという時に輸血できるようにするそうです。

私は献血が好きでよく行くのですが
そのおかげか毎週血を抜いても
ヘモグロビンの数値がほとんど下がりませんでした。
献血すると代謝があがるという話は
聞いたことがあったのですが
もしかしたら人より造血が早いかもしれません😊

入院して一ヶ月ほどたち
帝王切開の日も決まっていたある日の診察で
先生に言われました。
子宮口が少し開いたことで
胎盤が子宮口から離れた。
普通分娩出来るかもしれない。

え!今まで入院して自己血貯血貯めて
帝王切開の日も決めたのに!?
晴天の霹靂でした。
さらに

この状態なら一度退院できるよ。

!!!!!!!!
退院…したい!!!
します!!

このまま出産まで入院と思っていたのに
晴れて自由の身となりました!
土日にしか会えなかった娘と遊び
美味しいご飯を食べまくりました。
体重が10日で2キロ増えました。

そして36週6日
午前中検診を受け問題なく
一度家に帰りましたが
出血してしまい夕方また病院へ。
入院になりました。
夜もドバドバ出血していて
このままで大丈夫なのかなと不安でしたが
病院だからなにか起きても大丈夫と考えながら
眠りにつきました。

翌日夫と娘がお見舞いに来てくれました。
16時くらいだったと思います。
カフェの椅子談笑しているとき
軽い生理痛くらいの陣痛が始まりました。
まだ不規則で普通に行動できる痛みでした。

今回は夫は娘の世話があり
子どもの立ち会いが出来ない病院だったので
一人で陣痛に耐えないといけません。
私はそれが不安でした。

夫と娘が帰り
病院の大部屋で夕食を食べていると
陣痛がだんだんと強くなってきました。
まだ耐えられるくらいだな…と
食べたいおかずだけ食べてナースコール。
分娩室にうつることに。
6時半くらいだったと思います。

分娩室には助産師さんが常に一人いてくれて
陣痛の波を見ながら腰を押したりしてくれました。
この人がいなかったら耐えられなかったと思います。
2回目の出産ということで子宮口は順調に開いていきました。
7〜8時くらいに
「そろそろいきみたくなる感覚ない?」
と聞かれましたが
全くありませんでした。
陣痛は耐えるのが本当に辛いくらい痛くなっていたのに。

それから少ししてトイレに行くと
そこで破水しました。
その途端
今までの陣痛とは比にならないくらいの痛みが襲ってきました。
「ぎゃー!ムリムリムリムリ!!!!!」
私が叫ぶと外から二人助産師さんが入ってきて体を支えてくれました。
トイレ、終わっててよかった…
そのまま支えられながら陣痛の隙間を縫って分娩台へ。

子宮口が全開になり
いきんでいいよと言われました。
やっとだ!!!
陣痛の波に合わせていきみます。
でも全然産まれてきません。
一応頭は出たり入ったりしてたんでしょうか。
一人目の時はいきむのが全然辛くなかったのに
今回は連続でいきむのが辛い。

絶対安静、入院生活を続けていたせいで
体力がかなり落ちていたみたいです。
これ以上はもういきめない
次はもういきめないと思いながら
毎回なんとかいきみました。
いきまないと激痛なので必死です。

もういきまなくていいよ!
とやっと言われ
やっと終わったと力を抜いたら
肩が引っかかった!いきんで!!!と…
最後に2回ほどひいひい言いながらいきんで
やっと生まれてきました。

最初の感想は
やっとおわった〜
でした。

会陰切開する前に途中で裂けてしまったようで
かなり縫いました。
そしてそれより痛かったのが出血を止める処置…。
胎盤が下の方だったので
子宮が収縮しても血が止まりづらいらしいです。
血を止めるために大量のガーゼを入れられて
子宮頸管をクリップで止める処置をされたのですが
これが激痛!!!!
陣痛が終わったのにこんなに辛いことがまっていたなんて…。
しかもなかなか終わらない。
なにかが短くてクリップがなかなか止まらない
というような事を言っていました。
痛すぎて足が反射的に動いてしまい
処置をしてくれる先生とは別に
助産師さん(看護師さんかも)二人に
両足押されつけながら処置されました。

なんとか終わったんですが
次の日止まってなかったらまた同じことやると言われて絶望しました。
なんとか血は止まってくれました。
出血かなり多かったのですが
自己血は戻さずにすみました。
(その後すごい貧血になるんですが)

37週ぴったりで生まれたので
ギリギリ正期産でした。
ただ黄疸が出てしまって
保育機に入って青い光を浴びる治療を受けました。
退院は私より2日遅れましたが
ミルクの飲みもよく
その後ぐんぐん育ってくれました。


お家に帰って
家族四人の生活が始まりました。
4才差な事もあって
そこまでお世話は大変じゃなかったです。

次は3人目の妊娠の話をしたいと思います。

#育児日記
#妊娠
#出産

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