【神社】名取老女の熊野堂縁起
「名取老女」と聞いて思い浮かべるのは、
「名取のおばあちゃん」でしょうか。
しかし、名取老女伝説を調べていくと、
非常に多様性のある伝説であることがわかりました。
名取老女の光と影
まず、伝説の特徴を。
<図の意味>
陽
・表(上の段)=光(太陽)・・・奥州三十三観音霊場、熊野信仰、斎宮伝説、鳥羽天皇など
陰
・裏(下の段)=影(月・・・タタラ伝説(金注連)、大蛇伝承、身体的不自由など。(「旭神子」という名でもあり)
伝説は、逸話とされ実在しない、文献がないために、単なるストーリーとして片付けられますが、烏宮守家の口承、石碑などは残されています。
影向(ようごう)とは、仏、菩薩や神の仮の姿をとり入れ、人々の前に現れること。
縁起「名取に一人の巫女がいた」
『名取熊野堂縁起』にのせられた和歌が、今に知られる熊野神社の勧請由縁です。(概要)
『名取に一人の巫女がいた。
熊野権現を信仰し、毎年遠く紀州の熊野に参詣していたが、
年老いて紀州へ行くことができずにいた。
1123年、熊野山に住む修行山伏が松島や平泉の遊行を志し、
奥州に赴く旨を神に報告したところ、夢枕に熊野権現が現れ
「奥州にいくなら名取の老女を訪ねてくれ。
若い時は毎年参詣していたが今は止めている。
昔の諠(けん)は忘れはしないと伝えてくれ」と告げ姿を消しました。
夢が覚めてみると、枕元に神木の梛(※1)に虫食いの跡のように和歌が刻まれていました。
「道遠し、年もいつしか老いにけり、思いおこせよ我も忘れじ」
山伏は急いで奥州に下り、名取老女をたずね、
夢枕のお告げと梛の葉の和歌を渡しました。
名取老女は礼拝を重ね、感激し涙を流しました。』
山伏は「神霊の感応に応え臨時に幣帛を捧げる祈念するように」と。
老女は言葉に従い幣帛を捧げて申上げた。」※2
名取熊野神社(本宮)
名取熊野神社(新宮)
名取熊野那智神社(高舘山)
熊野神社(新宮)の拝殿裏に老女の宮があります。
拝殿裏に入ることはできませんが、丸い石が敷き詰められていました。
年齢?それとも距離?
平安中期『枕草子』にある和歌(謡曲に使われた和歌)では、
「年もやうやうおいにけり」と高齢のために参詣できなくなった話しです。
時代とともに、和歌は変化しています。
→1205年 『新古今和歌集』
道とほし 「程もはるかに隔たれり」思ひおこせよ われも忘れじ
→1247年 『源平盛衰記』
道とほし 「国もはるかに隔たりぬ」思ひおこせよ われも忘れじ
このような変化は、時代に応じて和歌が作り変えられており、
「国」という言葉も源平合戦の軍記的要素が読みとれます。
陸奥という国は、都にとっては遠い辺境の地であり、
政治的にも治外法権の「隔たり」は、遠くにあったのです。
「高齢なため」の理由にされた和歌とは、
熱心に信仰すればいつか必ず熊野権現からのご加護が得られるという、
参拝者の心をひきつける内容を広めることが目的だったでしょう。
熊野信仰特有の先達や御師(※3)によって、縁起が創られたとも考えられます。
梛の葉
※み熊ねっと
https://www.mikumano.net/keyword/naginoha.html
縁起に登場する梛の葉は、熊野のご神木です。
霊符『梛の葉』
「熊野速玉大社の樹霊千年の御神木『梛』は、
葉が強く切れにくいことから、大神様との御神縁、
大切な人との絆を結ぶ霊験あらたかなお守り
として信奉されています。
嫁ぐの鏡にナギの葉を忍ばせて良縁を願い、
また信仰篤き者にはこの葉に導きの言葉が現れるとも謂われております。
梛は「凪ぎ・おだやか」にも通じ、航海安全、旅行安全、災厄消除の
信仰にも篤く、沖縄が本土に復帰した年には、当宮の梛が海を渡って
南の島に運ばれ、久遠の平和を祈って植樹されました。
(「梛のきずな」より)
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※1 梛の葉=熊野のご神木
※2 熊野堂今昔風土記 川村善次郎著より(意訳つき)
※3 熊野先達:熊野の壇那となった在地の人を熊野への道案内や
宿泊などの世話や指導をする人。布教活動を主に行った。
御師:基本的には熊野に居住し、巡礼などは行わず。
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