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【伝説】名取老女と旭(福島県)

名取老女には「旭神子」という名前があります。
もうひとつの顔をもつ旭神子については、
いろいろな伝承があるので、追ってひとつひとつお伝えします。

光と影の図

※光と影


鐘に記された旭神子

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観音堂

宮城県の岩沼ともうひとつ、
名取老女の生誕地が福島県桑折町にも伝わっています。

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大聖寺の鐘

『そもそも名取の老女と聞こえしは
即ちその郡岩沼の志賀の里の旭といいし巫なり』

大聖寺縁起
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鐘に記されている 名取旭女

福島県桑折町大聖寺(1054年頃)
本尊:聖観世音

881年、奥州三十三観音の創始者とされる名取の老女「旭」の草創で、
後に、藤原秀衡が再興し補陀山常西寺と称しました。

大聖寺に「聖観音」と伝わるのは、1898年、名取高舘山の那智神社境内から、大量の「懸仏」が発掘された事と、繋がります。
146体のうち、140体は「聖観音」でした。

聖観音は、羽黒山の本地仏。
元あった高舘山は、羽黒の修験地だったのです。(12~13世紀頃)

高舘那智神社の創建由来にも、諸説がいくつかあり、
700年代とされていますが、本地仏が発見された後の説もあります。

貝田・旭という盲巫

なぜ、福島県に名取老女(旭)の生誕地が伝わっているのかは、「貝田」という地名にあるでしょう。

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大聖寺の近く、東に9キロほどの場所に梁川八幡神社があります。
伊達政宗の初陣の地で、地元では有名な神社です。

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伊達家が梁川へ入部した際に祀られた神社ですが、「鬼石観音堂」とよばれる観音堂は「信達三十三観音の最終札所」です。

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この神社で初めて、伊達政宗と愛姫が顔をあわせたとあります。
そのような伊達家の歴史ある神社に、「貝田若神子」と言われる巫女伝承が伝わっています。

「口寄せ(亡くなった霊を伝える)」の間で、
伊達政宗は目が不自由だったけれど、
天下をとったことで、盲巫たちの英雄となって語られています。

しかし、根拠となる資料や痕跡が無いため、
口寄せの口承にすぎないとされ、研究はされていません。

目の神、蚕の神、農業神、馬神などの信仰が由来にあるオシラサマは、
巫女が祀具として用いたものでした。

つまり、
旭は、宮城県。
貝田は、福島県。

東北地方独特の盲巫=イタコ、オナカマサマ、オカミサンといった
口寄せが発展した地に、名取老女の別名として「旭神子」が存在しているのは、羽黒(葉山)と熊野が混在しているからでしょう。

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グーグルマップ

※赤い点:大和宗大乗寺。白い点:奥州札所三十三観音霊場。
この付近に集中して奥州札所三十三観音霊場があるのは、
天台宗や盲巫の活動があった為、天台宗によって広められた三十三観音霊場の開山由縁に名取老女(旭神子)が含まれているのです。→奥州札所三十三観音霊場を再興。

活動は、広く太平洋側の名取一帯にまで広がり、
尼寺など多くの巫女伝承を残しています。

みちのくの歴史の深さは、東北独特の民俗学にあります。
まだまだ、名取老女伝承には隠されている歴史があるのですが、点々と旭神子の名もあるため名取老女と結び付けられた歴史背景を、考えていく必要はあるでしょう。

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