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【伝説】福島県伊達市の熊野神社と修験者が伝える歴史伝承
福島県伊達市は、鎌倉時代に伊達郡の領地を与えられたために伊達氏と
改姓したのが発祥の地域。
「名取老女」の別名:旭神子を記す鐘が残されている
大聖寺(桑折町)がある所です。
伊達一帯は、水田や養蚕を主とする農家が多く、
出羽へ続く小坂峠があります。
江戸時代には養蚕が発展。
また、塚野目古墳群が前方後円墳と推定され、
大阪の陶邑窯跡群と同じ形状の須恵器が出土されています。
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全長約43mの前方後円墳。
後円部径約20m・高さ約3.5m、
前方部幅約30m・高さ約3m、
埋葬施設は後円部南側に入口をもつ横穴式石室で、
国見石など地元産の石材を使用して構築されている。
出土遺物は鉄製武器や装身具、銅椀、須恵器など。
6世紀末~7世紀初頭の築造。
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巫女が伝える歴史
伊達市は、羽黒や葉山(羽山)信仰により
旭神子や貝田和歌神子の伝承についても、
修験や講の語り部(巫女)が関係していることがあります。
小手姫(養蚕をつたえた川俣町)の伝承にも、
地区によって修験者により語られています。
また、伊達市に伝わる「ぞうり信仰」は、
梁川市大字八幡岩下の蔵王権現に伝わり、足の悪い人がぞうり、わらじを借りると軽くなると言われました。
出羽三山では、ぞうりを奉納するのは賀茂家のヤタガラスが定説。
賀茂建角身命と「賀茂」家は代々、陰陽師をしてきた一族で役小角も
その血統だったと言われます。
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旭神子が名取老女の別名として語られる背景には、
福島県北の川俣町周辺に伝わる
養蚕を伝えた小手姫伝承と似たような巫女の歴史がありそうです。
つまり、旭神子としたのは、
羽黒講による「修験者の歴史伝承」になっていくのです。
小手姫を例にとれば、
ある2人の修行を積んだ巫女が小手姫伝説を復活させた
ことにあり、憑依する形で小手姫の姿を幻視したとあります。
女神山山頂に小手姫の墳墓が『信達二郡村誌』にあることで、
宮城県の巫女(オナカマサマ)が小手姫を降ろした(その姿をみた)ことで、小手姫が亡くなった場所だからこそ、巫女にそれが見えた、という解釈がなされるのです。
その地に根づく信仰に、出羽三山信仰が強かった地域であることがみえ、
羽黒講(羽山講)が「旭神子」を伊達市にもたらした、とも言えるでしょう。
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布川地区では、小手姫が蜂子皇子の母として伝承をしていますが、これも羽黒講の人達によるもので、出羽三山と天皇家を結びつける(蜂子皇子が開山したため)必要があるため、巫女伝承が生かされるのです。
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福島県伊達市月舘町の布川熊野神社
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『宝暦十年(1760年)、
女神山からの野火失火によって近郷七ヶ村が類焼するという
災害があったが、奇跡的に当社の本殿は類焼を免れた。この際、『怪奇なる黒装束の者』により神社が守護されたのだという。この黒装束の者、実は霊山石田高松の熊野神なのだという伝説が残されている。』
石塔を過ぎると農作の守護神「羽黒山」の社殿。
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大戦前までは、麓山籠りをはじめ「火渡り」の行や、口占(くちうら)など農作に関した神事が行なわれていたと言われます。
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福島県伊達市宮ノ内の熊野神社
伊達市にも数多くの熊野神社があります。
その一部をご紹介。
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『由縁』文徳天皇の天安(857年)紀州熊野の御分霊を
勧請し奉祀したと伝えられている。
もと熊野大権現と称したが、明治4年に現在の熊野神社となる。
現在の社殿は、1671年に造営された一間社熊野造(隈木入春日造)の見事なものである。
千年以上の歴史をもつ古社といわれ、天安年中(857年)、慈覚大師(円仁)がこの社に詣で、自画像を彫り奉納したという木像が今も保存されていると伝えられている。
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佐久間川の近くにも熊野社あり。
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天台系の修験により広まり、
伊達崎西館、北沢、舘沢安具内の三か所に分霊した。
東北地方には、小手姫や、山形県千歳山の阿胡耶姫伝承、
岩手県の化粧姫、岩切の九門長者など、藤原家の貴族、公家、
皇女など身分違いの悲恋話や「錦木塚」などの伝承が多いです。
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男性が、求婚の為に女性の住む家の門に、 錦木を立てる風習があります。
それを受けとると、 男の思いがかなった印になるという風習。
女性たちの講による伝承が特徴とされる
みちのくの物語には、熊野信者と羽黒が混在しているものであり、
中世、政治、経済力をもっていた熊野信者と、民間信仰との間に天皇家の系譜を重視している出羽三山信仰が互いに特徴を生かしている背景があります。
参照:巫女がつくる歴史伝承 川島秀一
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