見出し画像

民主主義科学者協会法律部が学術会議の任命拒否に法的主張:その傾向と反論

民主主義科学者協会法律部が学術会議の任命拒否に法的主張をしました。

本学会ないし本学会理事会による声明

日本学術会議会員の違法な任命行為に抗議し、直ちにその是正を求める

任命拒否された教授とか学術会議の連中も、せめてこれくらいの主張はして欲しかったですね。

さて、この主張のポイントと反論を書いていきます。

政府側の主張を網羅

この声明は政府側の憲法65条・72条・15条1項の指摘と総理の総合的俯瞰的人事権の主張をしっかりと捉えたうえで反論をする形を取っています。

「管理」・「監督」・「所轄」の概念

 第一に、日本学術会議が、「管理」、「監督」ではなく、内閣総理大臣の「所轄」(日本学術会議法第 1 条 2 項)とされている理由は、日本学術会議は、内閣府に置かれる内部部局等と異なり、「特別の機関」(内閣府設置法第 40 条第3 項)であって、かつ、「科学者の内外に対する代表機関」(日本学術会議法第2 条)である性格に照らして、とくに政府からの独立性(日本学術会議法第 3条)及びそれを担保するための自律性が保障されるべきものであるからである。
 したがって、日本学術会議法第 7 条第 2 項及び第 17 条によって、内閣総理大臣の人事に係る監督権は大幅に制約されるのであって、学術会議の推薦した候補者をすべて任命するという意味において、その任命権は形式的なものでなければならない。
 日本学術会議法が、内閣総理大臣は会員の辞職を承認するに当たっては日本学術会議の同意を要するとし、さらに、内閣総理大臣は会員を退職させるに当たっては日本学術会議の申出を要するとしている(日本学術会議法第 25 条、第 26 条)ことは、内閣総理大臣の任命権は形式的なものでなければならないと解する証左である。

「所轄」については過去に法令用語辞典を参照して書きました。

「管理」>「監督」>「所轄」の順番で上位者の権限が弱まるという一定の理解ができますが、「所轄機関に対しどの程度の権限をもつかは、各々基本となる法律に具体的に規定されている」とも書かれている通り、それぞれの組織でばらつきがあります。

公正取引委員会や国家公安委員会については、後に国会の同意を求めることになる場合がありますが、「所轄」とされていようが内閣総理大臣に任命の裁量が確保されています。こうしたケースはいくらでも存在しています。

宮内庁法でも「管理」とあるが、長官の任命権者は天皇であり、長官の権限に人事権があるだけで、内閣総理大臣が出てくるような場面は限定されています。また、「独立性が高い」と言われている【独立行政法人】であっても内閣総理大臣が「管理」しているところがある。

したがって、「管理」>「監督」>「所轄」という用語の理解や、「独立した組織」という表現は、一般的な場合における「一応の理解」であって、それらの用語法がすべての場合において貫徹されているわけではないのです。

追記:人事権・任命権・罷免権について

 日本学術会議法が、内閣総理大臣は会員の辞職を承認するに当たっては日本学術会議の同意を要するとし、さらに、内閣総理大臣は会員を退職させるに当たっては日本学術会議の申出を要するとしている(日本学術会議法第 25 条、第 26 条)ことは、内閣総理大臣の任命権は形式的なものでなければならないと解する証左である。

これは一定程度は解釈に作用する部分と思われ、内閣総理大臣の任命裁量が狭まる方向の効果を有することはあり得る。

ただ、それだけではまったく形式的なものであるとまで導けないはず。

人事権=任命権+罷免権と考えたときに、両者の裁量幅にズレがあることはあり得る。

たとえば最高裁判所裁判官のは①裁判官の欠格事由に該当する場合と司法裁判所で認定される、②弾劾裁判所で弾劾される、③国民審査で罷免過半数となる、の場合になされますが、任命については、長官は内閣総理大臣の指名に基づいて天皇が行っており(内閣の指名の際には最高裁長官が次期長官人事について意見する運用)、長官以外の裁判官は内閣による任命が行われています(この場合も最高裁長官の意見を聞く運用)。

したがって、罷免の場面の話が必ずしも任命の場面の権限者の裁量に影響するとは言えず、どの程度影響するかは、やはり制度趣旨から考えるしかないということに。

私は、日本学術会議法25・26条は内閣総理大臣の任命裁量を狭める方向に作用するが(任命も罷免も、内閣総理大臣ー学術会議という関係で規定されているため)、形式的な権限しかないと言うまでの効果は無い(かつては民間からの推薦が介在していたが、平成16年以降は行政組織内の人事で完結しているため監督権が及ぶ)、という考えです。

「独立性」は日本学術法3条の職務に対して

政府からの独立性として学術会議法3条を持ち出す人が居ますが、それは職務に対してであって、人事権はまったく別です。

日本学術会議と同じ内閣法40条3項の「特別の機関」であっても、そのほとんどは会長が内閣総理大臣であり、総理の任命権が確保されています。例:犯罪被害者等施策推進会議⇒犯罪被害者等基本法

このように「所轄」「特別の機関」「独立性」という文言や理念だけで、憲法上の指揮監督権を回避するロジックが導けることはありません。

むしろ、民科の主張はその点を意図的に避けているので、「逃げている」印象です。

憲法72条の指揮監督権限については以下で整理しています。

「法律で授権されてるから任命権がある」論の破綻

 第二に、内閣総理大臣が内閣の首長として国会及び終局的には国民に対し内閣と連帯して責任を負うとしても、日本学術会議会員についての内閣総理大臣の任命権は、内閣の首長としての内閣総理大臣(憲法第 66 条第 1 項)に付与されているものではない。この任命権は、同会議が置かれている内閣府の長としての、すなわち、主任の大臣の一人としての内閣総理大臣(内閣府設置法第 6 条第 2 項)に対して、日本学術会議法によって付与されているものである。したがって、ここでの内閣総理大臣の任命権は、日本学術会議法によって授権され、かつ、その権限行使も同法が定める手続及び要件によって拘束されているものであって、憲法第 65 条及び第 72 条によって直接かつ包括的に授権されたものではない。

「法律で授権されてるからこそ総理に任命権がある」論。

つまり日本学術会議に関しては憲法上の指揮監督権限からは人事権は導けないとする論法。そのロジックとして、内閣の首長たる内閣総理大臣ではなく、内閣府の主任の大臣としての内閣総理大臣であるから、というものを持ち出しています。

この理解だと、どういう事態になるか。

内閣総理大臣は、他の国務大臣が主任の大臣である行政組織については憲法上の指揮監督権限を行使できるが、自分が主任の大臣である行政組織においては憲法上の指揮監督権限を行使できない、という倒錯した状況になります。

よって、破綻しているということが秒で言えるわけです。

こんなので「なるほどな」とか思っちゃいけませんよ。

菅総理は専門的見地から任命権を行使していない

 第三に、日本学術会議は、日本学術会議法第 17 条に基づく「選考」方法として、現在の会員が自分の後任を指名する「会員指名制」ではなく、自己選考方式(co-optation 方式)を採用し、専門的知見を反映できる厳格な手続のもとで、会員、連携会員からの推薦や学協会からの情報提供のあった多数の候補者の中から「優れた研究又は業績がある科学者」(日本学術会議法第 17 条)を選考し、会員候補者として内閣総理大臣に推薦することとしている。したがって、内閣総理大臣が、このような専門的な見地からの厳格な選考手続を経て推薦された会員候補者の中から、その適否を実質的に判断し、「選別」することは日本学術会議法第 7 条第 2 項の予定するところではない。

当たり前であり、今回はそのような理由で拒否していません。

学術会議における選考においても、「優れた研究又は業績」は大前提であり、それだけで選んでいるわけではないということは自明です。

続いて以下記述されています。

 なお、「日本学術会議に求められる総合的、俯瞰的活動を確保する観点」という文言は、インタビューによれば、日本学術会議の新たな展望を考える有識者会議による報告書「日本学術会議の今後の展望について」(2015 年 3 月 20日)において、同会議が会員として望ましい人材として「自らの専門分野の枠にとらわれない俯瞰的な視点をもって向き合うことができる人材」を挙げたことをその出自としているようであるが、もともとは総合科学技術会議による意見具申「日本学術会議の在り方について」(2003 年 2 月 26 日)において、同会議が新しい学術研究の動向への柔軟な対応、科学の観点からの社会的課題の解決への対応、社会とのコミュニケーション活動を日本学術会議に求める趣旨で「総合的、俯瞰的な活動」と記述したことに由来する。経緯から明らかように、「総合的、俯瞰的な活動」は、学術会議の在り方を意味するのであって、個々の会員の選考要件として提案されたものではなかった。
 したがって、総合科学技術会議の意見具申は、現行の自己選考方式の原型を提案したものではあったが、会員の選考要件として「総合的、俯瞰的な観点から活動する」ことを求めるところはなく、同意見具申を踏まえて行われた 2004年改正の日本学術会議法においては、このような文言は一切用いられることはなかった。よって、「総合的、俯瞰的な活動を確保する観点」は法定外の選考要件であるから、内閣総理大臣は、会員の任命に当たって、これを勘案することは違法である。

「総合的、俯瞰的な活動」の意味を、総合科学技術会議の意見具申における文言の意味であるという決めつけから始まっていますが、本当にそうでしょうか?

日本学術会議法の一部を改正する法律(平成一六年四月一四日法律第二九号)
○附帯決議(平成一六年三月二三日) ※衆議院
 政府及び関係者は、本法の施行に当たっては、次の事項について特段の配慮をすべきである。
一 政府及び日本学術会議は、日本学術会議が我が国の科学者の内外に対する代表機関として独立性を保ち、十分にその機能を発揮することができるよう努めること。
二 日本学術会議は、科学と社会の関わりの増大している状況に鑑み、時宜を得た提言や国民に分かりやすい形での情報発信等、効果的・機動的な活動を行い、社会との交流の機会の充実に努めること。
三 日本学術会議及びその委任を受けた幹事会等が職務を行うに際しては、多様な学問分野における学術動向について十分に配慮するとともに、公正性・中立性の確保に留意するよう努めること。
四 法改正後の日本学術会議会員の選出に当たっては、今回の法改正の趣旨に鑑み、学問の動向に柔軟に対応する等のため、女性会員等多様な人材を確保するよう努めること。
五 今後の日本学術会議の設置形態の在り方に関する検討は、今回の法改正後の日本学術会議の活動状況の適切な評価に基づき、できる限り速やかに開始すること。
○附帯決議(平成一六年四月六日) ※参議院
 政府及び関係者は、本法の施行に当たっては、次の事項について特段の配慮をすべきである。
一、政府及び日本学術会議は、日本学術会議が我が国の科学者の内外に対する代表機関として独立性を保つとともに、科学の向上発達と行政・産業・国民生活への科学の反映浸透というその目的・機能を十分に発揮することができるよう努めること。
二、日本学術会議は、科学と社会のかかわりが増大している状況にかんがみ、時宜を得た答申、勧告、声明等を行うよう努めるとともに、国民に分かりやすい形での情報発信等、効果的・機動的な活動を行い、社会との交流の機会の充実に配意すること。
三、日本学術会議及びその委任を受けた幹事会等が職務を行うに際しては、多様な学問分野における学術動向について十分に配慮するとともに、公正性・中立性の確保に留意するよう努めること。
四、法改正後の日本学術会議会員の選出に当たっては、今回の法改正の趣旨にかんがみ、急速に進歩している科学技術や学問の動向に的確に対応する等のため、第一線の研究者を中心に、年齢層等のバランスに十分に配慮するとともに、女性会員等多様な人材を確保するよう努めること。
五、今後の日本学術会議の設置形態を検討するに当たっては、総合科学技術会議、日本学士院等との連携や役割分担の在り方等を踏まえるとともに、今回の法改正後の日本学術会議の活動状況の適切な評価に基づき、できる限り速やかに開始し、適当な時期に国会に報告すること。
右決議する。

平成16年法改正時の附帯決議には「第一線の研究者を中心に、年齢層等のバランスに十分に配慮するとともに、女性会員等多様な人材を確保するよう努めること。」と書いてあります。

つまり、個々の会員の選考要件ではないが、全体のバランスを見た任命というのは、国民代表で構成された国会において政治的に求められたものであるということです。

相変わらずこの附帯決議には触れずに論を構成する者が後を絶ちませんが、実に逃げの姿勢であるということが分かります。

また、学術会議の設立趣旨・目的と、会員ら個人がどう思って運営してきたのかということを意図的に混同しているのも他の主張と同様です。

学問の自由を侵害しているのは日本学術会議、捏造も辞さない

「民科」では学問の自由について縷々語っていますが…

学問の自由を侵害しているのは日本学術会議の側でした。

在籍している自衛官に対する退学勧告や入学拒否の動きがあり、自衛官の学問の自由が侵害されている中、学術会議が声を挙げたことはありません。

また、特定の研究について事実上の圧力を加えた事例もあります。

さらに、最近はその声明において出典も示さずに個人の発言を切り取って「差別的」と捏造していたなど、およそ学術界の人間が属する組織としてあり得ない行為を行っていました。

以上

サポート頂いた分は主に資料収集に使用致します。