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真夜中のトマトと梅酒

うちの娘(生後5ヶ月)は先天性の病気があり、現在手術のために入院中だ。コロナ禍のため、面会は1日1時間の予約制だ。さみしい。

そんな先天性疾患の発生確率は5000分の1。男児の方が発生確率が高く、また発生しても大部分は軽症であるはずが、なんの因果か娘は女児なのに発症し、しかも全体の10%しかいない重症度だった。しかし不幸中な幸いは、術後は先10年くらいは諸々のリスクを抱えつつも、成長に従って限りなく健常者に近い生活が送れると言われていること、将来的な妊娠・出産の妨げにはならないことだ。

そんな娘は無事に手術も終わり、長かった絶食期間を終え、順調にミルクの量を増やし、退院に向けて回復中なので、少し安心して日々の面会を楽しみにしている。最近は笑い声を立てるので特にあやすのが楽しみだ。

1日1時間という限られた面会でも、毎日多くの看護師さん、入院中の子どもたち、そしてその親御さんとすれ違う。

中には何ヶ月も付き添い入院をしているお母さんや、毎日一番早い時間に面会予約を入れるお母さん、スーツ姿のお父さんもいる。

症状も何故小児病棟にと不思議に思うくらい元気な子や、ぐったりしている子、チューブが繋がってるが、それに引っ張って噛み付いて怒られたり、器用にナースコールで悪戯する子もいる。

入院が必要なのだから、どの子も何らかの病気や問題を抱えているのだろうと推測する。うちの子だって傍目には何でこんな元気な子がチューブに繋がれて入院?と思われているだろう。服を開けなければカテーテルの管や開腹手術の跡なんて見えないんだから。

ただ、多くに共通してるのは、それぞれ奇跡のような確率で疾患をもって生まれ(または病気にかかり)、大半の親がまさか我が子がそういう道を歩むとは想像していなかった、ということじゃないだろうか。

妊娠して十月十日経ったら自動的に健康優良新生児がオギャーと生まれてくる。それ以外の未来を想像する人なんかいない。

だからわたしは小児病棟に入って初めて、隣の子の疾患はもしかしたら我が子が持って生まれたかもしれない、という確率論的な現実にぶち当たって、正直当惑して、この感情をどう受け止めていいか分からなくなった。

もしかしたら、何ヶ月も付き添い入院をしていたのは、あのお母さんじゃなくてわたしだったかも。いま、明日のご飯の仕込みのためにトマトをざく切りにしながら、今夜の搾乳が終わったことを言い訳に国士無双の梅酒をちびちびやってるのはわたしじゃなくてあのお母さんだった可能性も、十二分にある。

授かることも奇跡ならば、健康な赤ちゃんが生まれてくることも、実はとんでもない奇跡だった。先天性疾患があっても手術で限りなく健康に近い生活が送れるのも中々ラッキーなのかもしれない。段々ついてるのか、ついていないのかわからなくなってくる。

noteの末尾はまとめるのが難しくて、いまも現在進行形で困っているが、結局はあの子もあのお母さんも、うちの娘もどうかみんな良い方向に向かいますようにという世界平和みたいな気持ちが書き終わりに残った。だって、生きてるだけで人より頑張ってるってすごいから、そんな人たちの頑張りが報われないなんてこと、あって欲しくないと思うから。


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