トラウマに気づくタイミングって 思っているよりさまざまで ぜんぜんよーゆーですって思ってても いざ行動しようとした途端に あれ、ぜんぜんむりだ!!! そんな経験をしたことがある人は多いと思う。 あと、夢! 夢で気付かされることってたくさんある あの人のことこんな風に思ってたんだ! とか、あとは、 無意識に執着しているものを 知らせてくれるのはいつも夢で、、 いい意味でも悪い意味でも 夢は知らない自分の思考を教えてくれる。 自分に裏切られる時って
なんだか、あなたなら分かってくれる気がする 誰かに言うほどでもないこの話を あなたなら帰り道にあれ気になったよね〜 って笑い合えたかな この曲あなたも好きだろうな あなたはおちゃらけて踊ったりして わたしは鼻で笑う あなたのしょうもない冗談、、 もっと笑えばよかった、、 もっと笑えば、もっと、 もっとちゃんと気づいてたら、、 あなたがどれだけ完璧か 気づけていたら今もそばに居たのかな? ただ時間は過ぎていき 生傷が、瘡蓋になって、あなたの名前を
天国なんてどこにもない。 でもね、地獄もどこにもないんだ あるのは、いまここだけ。 ここは天国にも地獄にもなる。 ここが天国か、地獄か 決めるのはあなた 完璧な世界なんて存在するはずがない 完璧じゃない世界で 耳を澄ませないと聞けえてこない。 目を見開かないと見えない。 空中に舞っている埃の粒を見つけるように 目の前にある幸せに焦点を合わせる。 世界は自分の外側にあるように感じるけど 感じとるあなたが存在しないと そこに世界は存在しない つまり世界
自然に帰ると、すべてがどうでもよくなる。 社会に属しているとなぜか気にしてしまう たくさんの事が。どうでもいい事だったと すーっと力が抜けて軽くなる感じ。 気がつけばたくさんの"モノ"を追い求め いらない"モノ"まで欲しいと錯覚したり 必要のない"モノ"のために一喜一憂していると なんだか本当に疲れる。 欲しいと思っている数々の"モノ"が 何も意味を成さない。何も通用しない。 そんなところがこの地球上にはゴロゴロある そう想像するだけで、ワクワクする。
今日はシンプルに自分の好きな瞬間を 書いていこうと思い立った笑 朝起きてスピーカーに電源を入れたとき 音楽を聴きながら自転車で コーヒー屋さんに向かっているとき 短時間しか寝てないのにスッキリ起きれたとき 真夏、汗だくで起きて爆音で音楽聴きながら 冷水シャワーを浴びているとき 家にある残りもので激うまご飯ができたとき 待って、この地球綺麗すぎん?と改めるとき 久しぶりの休みの日が晴れて 洗濯物を3回まわしても1回目がもう乾いてて 干せる干せる〜みたいな瞬間
自分が一度感じたものは疑わなくていい。 あのときあなたが感じた感覚は その後に、何があろうと変わらない 変えなくていいことだと思う。 例えばの話だけど、、 大切にしていた人に、裏切られたとき それまで感じていた自分の気持ちまで 疑ってしまうと。人間不信になったり、、 自分のことも信じれなくなってしまう。 もちろん。乗り越えるために 怒りは必要だと思う。思いっきり怒っていい。 怒りが人を強くすることもあるけど その怒りにすべてを飲み込まれてしまうのは
正しい という 曖昧な感覚に なぜ こんなにも左右されて生きているんだろうか 正しい は 育った環境 経験 思考 感受性 すべてに左右されているものなのに なぜ 押し付けあってしまうのだろうか 正しい はひとを苦しめる 正しいより優しいが増えたら平和だろうにな 優しいは 何が正しいかなんて置いといて だだ寄り添ってあげることだと思う 苦しいならその苦しさに寄り添う 悲しいならその悲しさに寄り添う そこに正しいなんて曖昧なものはいらない どれだけ"正
悪気なく苦しめてくる。 大切な人だから苦しい。 悪気がないから苦しい。 悪気がなければ、悪ではないのか 苦しい結果があるれば、悪なのか 他人に向けた優しさが 自分を苦しめたり 自分に向けた優しさが 他人を苦しめてたり 誰かの苦しみで 他の誰かが救われる そんな気持ちに気がついてあげるだけで 報われる苦しみがある
思考の視野を広げていくと 無数の道が存在することに気がつく 問いも、答えも渦のように感じる ざまざまな輪郭がふやけはじめ 一度、ふやけてしまったら 怒ることも、恨むことも、悲しむことも すべてとても難しくなる 物事を多方面から考えれば考えるほど 断定できる感情が少なくなっていく 自我が薄れていき 自分が無数に存在する感覚になる 自分の感情がわからなくなったとき 視野は狭めるべきなのだろう 逆に、自分の感情が偏ったときは 視野を広めよう。そしたら、
根がネガティブが1番のポジティブだよ という友達のひとことを めっちゃ頼りにして生きて からこれ8年くらいになる 彼が言いたかったのは 根がネガティブな人はそれ以上下がらないし 根がネガティブでも、ポジティブな時がある 小さな幸せをたくさん感じれる それってむしろポジティブじゃんって そんな軽い会話だったのに ずっとお守りのようにしている言葉 根がネガティブが1番ポジティブ ネガがネガティブがポジティブ ネガネガポ
過去は過去と言うけれど 過去を考えているのは常にいまであって いまより過去を考えているいまを いまと言えるのだろうか いまも、過去も無数に存在している気分 いまの状態により、過去は変わる だから、過去を好きでいたいなら いまを好きでいなきゃね、、 そうやって過去を許せるようになる どんなことがあっても、最後が幸せなら すべてを肯定できる。
自分がどう見られてるか、思われてるか 外ばかり向いていると、中身を忘れ 中心は空洞 外はきれいにおいしそうになってて ドーナッツみたいだね🍩
渋滞が起きやすい私の頭の中 こだまする言葉や、私のではない誰かの考え方 そこに私の思考と、私の気持ちと、 私のではない誰かの気持ちと 誰かの気持ちと言っても、 私が感じてるから私の気持ちなのか 誰かの考え方と言っても、私の頭で考えてる事 なら私の思考なのか、、、 これはもう渋滞ですね。笑
なんで、なんでは苦しい んなもんだと思うと息しやすい 生きづらいと思って悩むこともあるけど 生きづらいのはあたりまえ 生きやすさを求めすぎるのは毒だ 諦めでも悲しみでもなく 受け入れる いろんな考えや意見で渦巻いてる けど干渉しないことの大切さ考える んなもんだと思う人が増えたら平和なのかもね と
接着剤のような 呪いのような 自分の皮膚のような 吐き出せば出そうなのに どう頑張っても吐き出せない お腹の底にあるような そんなような、あれ、そう 思い出のような、いや 想像すればすぐ蘇る感覚 思い出というより感覚 あの感覚、思いだすたび ギューって縮む
正解がないことが1番正解で難しい 正解があれば、それは難しくない 難しいことを考えても正解はない 正解はないけど、不正解はある 不正解はあるという正解はある 不正解をしないことは難しい 正解だかけなら不正解を探したい 不正解だらけで正解を求める 正解だらけだと不正解を求める 不正解と不正解で正解になることもある 正解という不正解を求める