猛烈な結婚信者だった頃

大晦日の午後、徹夜明けで眠そうだけれどいつも通り優しい恋人と手を繋いで、街を歩いていた。彼にはまったく無関係であろうわたしの親戚の子供たちへの年末のプレゼント選びに付き合ってもらった後、互いにする帰省によりしばし会えなくなる寂しさを紛らわせるための食事ができるところを探したが、大晦日なので休業の店ばかりで、難民になっていた。幾つか店の候補を挙げ、営業しているか電話で問い合わせることにし、ちょうど信号の赤になった横断歩道の前で立ち止まりつつ恋人が携帯を耳に当てた瞬間、「あ…」と思った。

もう十年以上前、若かったにも関わらず猛烈な結婚信者だった頃、好きで好きで仕方がなく、欲しくて欲しくて仕方がない男の子がいた。共に所属していた集まりの帰りは何食わぬ顔で遠回りして他のメンバーを巻き、最後に彼とふたりきりになれる時間を持てるよう工夫したり、彼の家族と仲良くなって、さらには良い評判を得ようと努力したり、実に約3年もの歳月を費やしながら、卑劣なまでに、欲しがった男の子がいた。その子は、その頃のわたしの生きる意味そのものだった。

その男の子が今ここで、同じ横断歩道で信号が青になるのを待っていた。もちろんもうお互い良い年で、「男の子」ではない。でも彼はその頃と然程というか何も変わっていないように見えた。けれど、じろじろと見るわけにはいかない。恥ずかしくて気付かれたくなかったし、何より今わたしは隣にいる恋人の手を握っているのだ。「あ、寒いや、風邪引かないようにしなきゃ」と言い訳のように呟きながら、咄嗟に鞄から取り出したマスクをして顔を隠した。
なんて弱虫なんだろう。信号が青に変わり、当時と何も変わらないように思えるその男の子はわたしたちから遠ざかって行った。

わたしはあの頃、恋愛を飛び越えて、結婚をしたいと切望していた。今となっては、どうしてあんなに結婚に拘っていたのかわからない。そして、どうして痛々しいほどの片思いを、長い年月に渡りできたのだろう。
今思うと狂気じみているのだが、●年●月●日まで想い続け、●年●月●日が来たら想いを告げようと決めていた日があった(なんて怖い子だろうか)。その日が来て、意を決して告白をした。ものすごく一方的であっただろうにも関わらず、その彼はこの上なく誠実にそしてきっぱりと断ってくれたのだ。
断られた日の夜中、悲しみよりも安堵が勝った。「わたしを開放してあげられる…」と思った。こんなにも頑なに、がんじがらめに鎖に繋いでしまっていた不自由でかわいそうなわたしの心を、やっと解き放ってあげられる。

朝が来てわたしは気が付いた。世界が、あまりにも澄み渡っていることに。心が空っぽになりすぎて、経験したことないくらい、世界がクリアだった。見える景色が何もかも違うと思えた。この上なく身軽になった。
わたしの魂はしばらく生きる意味を失ったが、視界の広がった澄み渡った世界を、ただただ漂えば良いのだった。

そして、その事態を心配してくれた、例のわたしが高評価を得たくて近付いた彼の兄嫁(と言うとずいぶんな響きだが、実際彼女とは良い友人関係になった)にわたしは言った。
「今、本当に生きる意味がないの。だけど、ほんとにすごく、元気になったよ」と。言葉にしてしまうと、おおよそそのような出来事なのだが、今でも鮮明に、その時の世界のクリアさ、澄み渡った世界に魂が解放された感覚を覚えている。

そんなことを考えていたら、隣で手を握っている恋人が、耳から受話器を離してわたしを見つめ、「北口にある台湾料理屋さん、やっているよ」と、優しい笑顔を浮かべた。自分の人生に結婚というものが訪れるのかは甚だ知らないが、一日一日共に時間を重ねて、今や何よりも大切なものとなったこの笑顔は、確かにわたしだけに向けられていた。

2017年12月31日

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