愛情に応える責任

仕事をしていても、プライベートな時間を過ごしていても、常に平和を抱ける原動力っぽいものを恋人がくれているのがわかる。ついこの間まで汗ばむ体を重ね合わせていたと思ったら、目が覚めた時、互いに毛布がかかっているか気にかけ合う季節になっているね。

普段わたしをさん付けで呼ぶ恋人が、とっても感じている時には乱暴に名前を呼び捨てること、イッている最中に顔の横にあるわたしのふくらはぎをちょっと痛いくらい甘噛みすること、事後、鼓動が落ち着いたら、わたしの目をまっすぐ見つめながら宝物だよって囁くこと。それらだけで、あと半年は生きられる。

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一年前の今頃は、闇雲に希望を持ったりまたは失望したりしながら過ごしていた。
恋人は今日、忙しい合間を縫ってわたしを迎えにくる。わたしの大切なお友達にあげるワインを一緒に選んでくれるために。この人に逢えたことは、本当に想像していなかったことだ。ギフトでしかない。
そう、以前は異性に愛されることを恐れている節があった。愛には責任が伴うが、わたしにはそれが伴わないと、うすうす気づいていたから。今は、恋人からの愛情に応える責任を手に入れつつあると感じる。

 2017年11月3日

のらりくらり暮らしてるように見えるわたしだが、本日は多忙。始発で名古屋へ、日帰り出張演奏の仕事だ。30分を5ステージと、よく働いた。ピアノのみのBGMはよくある事だが、弾き語りでのBGMは、考えてみれば初めて。どんな仕事も一つ一つ丁寧に取り組んで成功させ、自信にしてゆくしかない。恋人にとって、相応しい人でありたいから。

知り合って約一年、お付き合いをして約4ヶ月の恋人だけれど、一度も不機嫌だったり、文句を言ったり、肩を落としていたりするところを目撃したことがない。なんて情緒の安定している人なのだろう。けれどそれは、彼が様々な困難を通して魂を洗練させて来たからなのだと思う。
その結果、彼は学んだ。怒りより笑顔に価値があること。嘆きより希望に、不機嫌より上機嫌に、罵倒より尊敬に、裁きより許容に、価値があることを。そうして彼は自分を低くし、小さく丸くなり、ひとつも偉そうでなくなったが、いつも周りの人を笑いと平和へ導く。

2017年11月7日

抱きしめて目を見ながら「好きだよ」と伝える時もあれば、お互い何かしていて手を動かしながら「あのさあ、かなり好きだわ」と突然伝える時もあって、どっちも好き。

恋人と離れて過ごす今夜は、その隙間を埋めるようにひとりでワインを飲む。恋人と過ごしている日は、楽しいのでふたりでワインを飲む。つまり結局、ワインを飲む。そして明日は少し早めの夜から恋人とデートをすることができる。楽しみすぎて、ちょっとどうしたらいいかわかんない。


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