神のなさることは、すべて時にかなって美しい
恋人と渋谷のBunkamuraに来ている。
ドゥ・マゴ・パリでランチを食べ、そのあと劇場でフランスの誇る大歌手ダリダの自伝映画を観た(上映中はずっと恋人と指を絡ませていた)。
絶世の美女で、いくつもの大恋愛を経てもなお最期まで心が満たされることはなく、自ら命を絶ってしまった、ダリダ。
そんな彼女の激情的な生き方にふたりで想いを馳せつつも、恋人はわたしの目をまっすぐに見て、「僕たちは、幸せになろうね」と言った。
わたしにも、あなたと幸せになる以外の選択肢は、勿論無い。
2018年6月14日
友人とのふとした会話から、わたしの昔の彼に新しい恋人ができたことを知った。友人曰く、今度の恋人は年上だが甘えさせるタイプではなく、母性が強くてつい甘やかしてしまっていたわたしと付き合っていた頃より、彼も大人になろうとしているし、実際成長しているとのことだった。
改めてわたしは神様を賛美した。彼に新しい恋人ができることをずっと祈っていた。聞かれるべき祈りは聞かれる。
わたしが安心するのもお門違いだけれど、やっぱり安心した。わたしたちはかつて酷く傷つけ合ってしまったけれど、互いに良き相手に巡り会えたのだ。幸せになろう。
神のなさることは、すべて時にかなって美しい。
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名前が変わるというのは、枯葉に溶け込むために身体を茶色くしたり草に溶け込むために緑にしたりする虫みたいで、わたし自身は何も変わらないのに、世間との折り合いのために突然違う色を纏うみたいで、実に面白い。
正式には来月からだけれど、そろそろ書類への記入やサイトへのログイン名などで、恋人の苗字を使用し始めた。
そして、そんな日は来ないだろうと思っていた日も、時が来ればとても自然に訪れるということに想いを馳せる。
雨雲がやってきたから雨が降ったり、雨が上がったから虹が出たりするほどの自然さで、その日が来る。
自分の人生には訪れなくても、なんの不思議もないとさえ思っていたその日。
自分の姓が、変わる日。
2018年6月15日
デートの前、ただ一緒に家を出るだけなのに一回うちに迎えに来てくれるの好き。
早めに来てくれて「時間になったら起こしてあげるからまだ寝てていいよ」って言ってくれるのも好き。
何の準備もできていないわたしが、髪を乾かしたりメイクをしながらするいろんな話しを、横で聞いててくれるのも好き。
家を出る前の玄関で、言葉にはしないけれど「人前ではできなくなるからしておこう」っていう暗黙の了解で、急いでキスするのも好き。
でもそれらは、一緒に住んだらしなくなることだから、残り少ない「迎えに来てもらえるデートのスタート」を大事にしようと思う。
ひとつひとつの小さな大切な瞬間を、いつもありがとう。
2018年6月16日
具体的なことに向けて、恋人と話さなければならないことがたくさんある。ふたりだけの問題ではなかったり、今後の人生を左右するような決断だったり、笑顔では話せないような重要な内容のものもある。
でもそのひとつひとつの場面で、必ず尊敬が生まれる。彼の人柄に惚れ直すことの連続だ。
付き合い始めた時から、発言や考え方の素晴らしさがこちらの予想を超えてくると思っていたが、それが更新され続ける。
人格的に、わたしを遥かに上回りまくる。誰のことも悪く言わず、柔軟かつあたたかい気持ちを持った意見で、物事を収める。
そんな彼と出会わせてくれた「神様」っていうマッチングサイト、すごすぎる。
妊娠中で精神が不安定になりやすいのもあるけれど、わたしなどは、自分の弱さや傷が露呈されるとたちまち足を取られ、もうそこから動けなくなるし、こんな自分になったのを家庭のせいにしてみたりと、さんざん。
恋人は、よくもまあそんな女と共に生きようとするもんだなと思うけれど、いいと言うのだから、ありがたい。
6月20日
「顔の上に跨って、イくところ見せて」と願われ、導かれるがままにそのようなことになった十五分後には、真面目で常識的な顔をして、物件関連の案件への対処のためにふたりで管理人に挨拶をしに行く。ちゃんと菓子折まで持って。
この世界にわたしたちふたりしかいないかのような濃密な瞬間もあれば、ふたりで世間との折り合いに切磋琢磨する瞬間もある。
あらゆるミッションを共有し、力を合わせて実行していくのが、共に生きていくということ。