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「読書感想文」はアウトプットとインプットの大切さを教えきれてない教育の敗北である。

こういうことを書く暇があるなら小説を書くべきだろうに。前置き終わり。
さて、巷では読書感想文に対する話題がもちきりだった。
曰く「読書感想文って必要なくない?」とか「読書感想文は子供を読書嫌いと作文嫌いにする」だとか。

先に結論から述べよう。
読書感想文は必要だが、改善されなければならない悪習であると思っている。

色々思うところはあるが特に口に出すことも無かったのだが、なんと「読書感想文は義務教育だからある種の強制であり、子供が拒絶するからとやらせないのはいけないことだ」と発言していた人物もいた。
実に短絡的な論理で、落胆と憐憫を覚えるほどであった。よもや物作りを生業としてるものがそれでいいのか、と。

義務教育であるなら今の教育は全て正解であり正しいのか? 
今正しいと思っている行為が実は間違いであり、改善の余地も含まれているのではないか? 
子供が嫌がるのには単に嫌だからだけでなく、非合理的な理由により忌避する部分もあるのではないか?
無条件に正しいと受け取られることをただ正しいと受け取る、それでは思考の放棄であり、教育で思考放棄を教えるのが果たして正しいのか?

嫌なことから逃げては成長はできないし義務教育から避けるのはよくない」という主張もわからなくはない。
ただし読書感想文という議論の的を逸らして、義務教育という全体に包括して主張するのはあまりに大雑把すぎる。そこがまさに短絡的の最もたる箇所と。
子供が読書感想文を拒絶する合理的な理由がある、とは考えたことはないだろうか。
もし考慮すべき点があるのなら、それは改善すべきじゃないだろうか。

作文が嫌いになる教育を受けてきた。

実を言うと私は作文が大嫌いだった。小学生の頃は特にだ。

何故か? 
真っ白な原稿用紙に向かうのが苦痛だったし、誰も書き方を教えてくれないからだ。いくら時間を費やしても何の感動も得られなかった本に、如何なる感想を抱けばいいのか。
遥か過去の子供の頃の記憶を辿っているので、もしかしたら事実とは異なるかもしれないが、特に作文について「書き方」を「教師から」教わったことは一度足りともなかったように思える。
好きに書けばいいという教えは、実質何も教えてないのと同じだ。

今となっては、わざわざ金稼ぎにもなりづらい長文を数千数万文字書くほどに、呼吸のように当たり前のアクションとなっている。このような書き方もどちらかと言えば学校教育の影響はほとんどなく、独学で身につけた部分が多い。

読書感想文に限らず、日本の学校教育の問題点は「生徒の独学に依存する教育」であるかと思う。

努力を美徳と教えるのに、無駄な努力が徒労であることを教えない。

自分で学ぶ、というのは理想的であるように見える。自己への研鑽にもなるし教育者側への負担が減る。特に後者が教育者側にとっては魅力的であろう。

しかし基礎ができずに誤った独学を続けてしまえばそれは単なる時間の無駄であるし、特に人格形成に関わる幼少期であれば対象への強い忌避すら覚えてしまう。
最初から優秀なものでなければ落ちぶれていくだけであり、眠った才能すら発掘しないのであれば、それは「放置していた金魚が苦境で偶然勝手に強く育った」「体力があった大人が生き残り、老人や子供が死んでいった」ような生存バイアスでしかない。それを教育者は努力の大切さを教えていると礼賛するのである。

その結果どうなるか。

アウトプットを教える教育であるべきなのに一切アウトプットのやり方も方法も教えず、同時にインプットの大切さからも忌避させてしまう。

つまり作文嫌いの本嫌いの子供を大量に量産してしまう。本を読ませたいから読書感想文を書かせるのに本から離れていく。こうなれば自発的な学習は遠のくから、教育者への負担は積み重なるか生徒の成績は下がるばかりだ。
本末転倒も甚だしい。

インプットを義務感でやらせればアウトプットも嫌いになる。ゲームも読書も勉強も。

世には「子供が読書もせず、ゲームばかりにハマっていて勉強をしない」と嘆いてる親御さんもいるだろう。
そんなあなた方に絶対オススメしないゲームのやめさせ方を教えてあげよう。

【ゲームをした後にプレイ時間と進捗状況、これまでの反省と今後の進行方針と目標の仔細を書かせる】

ノートを一冊用意しよう。ゲーム一作につき一冊がいい。
子供との間にこんな感じの契約を結ぶ。

ゲームを規定時間ごとプレイする度に、このノートにどこまで進行したのかを細かく書きなさい。
ゲームは一日一時間必ずやりなさい。締切までにノートが未完成であったり、ノートと書いてあることと事実が違っていたり、学業に影響が出ればペナルティとして、即時ゲームを没収します。
プレイ時間だけを書く、大きな文字でページを埋め尽くす、などの雑な内容では未完成とみなしてペナルティを与えます。ゲームのプレイ中にどんな楽しいことがあったか、どんな嫌なことがあったのか、何を得られたのか、何を失ったのか、その体験をわかりやすく読みやすく書きなさい。書き方は自分で考えなさい。
ノートの完成度の裁量は私が行います

これをさせるとどうなるか?

ゲームそのものが面倒くさくなって、自発的にやらなくなってしまう。
しかし同時に勉強もやらなくなってしまうのも必然だ。勉強でいい成績が出ればゲームを自由に遊んでいい、という契約をしてるわけじゃない。

なにせ「アウトプットの面倒臭さでインプットを阻害している」のであり、インプットとアウトプットの大切さを教えられていない。楽しくないものをどうしてやろうとするか。それでも義務だからと躍起になったり強制させる。インプットがゲームであれ漫画であれ勉強であれ、強制されればされるほど嫌になっていく。教育者の裁量次第で物事が決まる世界だ。

それでも強引に形にしていき、ノルマを達成して、次のノルマへと移行していく。もしくはノルマが達成できずに挫折して終わる。

そこに、自発的に学ぼうとする理想の子供は、いないのである。
これと同じことが、読書感想文でも起きているのである。

ではどうすべきか? 次回へ続く。

と、ここまで書いてきたのだからちゃんと正しい方法を教えられるのだろうな?と問いかけられるのは必然だ。

しかしこの記事のネガティブなタイトルには若干ふさわしくない。この記事はだいたいの愚痴であるからな。
もっとポジティブに、みんなに飛びついてもらえるような別記事にまとめたほうがもっと建設的であろう。だから次回の記事にする。

ただ概要の予定だけは書いておこう。

・読書感想文はお前の好きを推せ
・好きなものを書け
・「好きなのに言語化できない」壁にぶち当たれ
・表現力の壁に絶望しろ

おかしい。自分で書いてても不穏だ。

予定は未定なので後から変化しても許して。
また会おう。

追記(2020/7/15)
続いちゃった。


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