映画感想:『ボヘミアン・ラプソディ』は伝説を再認識して一生忘れないようにするための物語だった

あけましておめでとう。ボヘミアン・ラプソディを見てきた。ネタバレアリでいこうか。

伝説的なロックバンドQueen、そのリーダーであるフレディ・マーキュリーの栄光と孤独を描いた伝記風物語。
音楽でしかもロックバンドのコンサートというわけだから、劇場で見に行かねば後々後悔するだろうなぁという推測の元、重い腰を上げて映画館に行って鑑賞した。一応これが映画館で見る今年初めての映画か。

感想としては、うん、確かに心に震えるものがある傑作ではあった。
煮え切らない態度については後述する。
私のQueenに対する知識というのはキラー・クイーンやボヘミアン・ラプソディなどジョジョでも出てくるような名曲を作り上げたロックバンドである、というぐらいの認識だったかな。実際好きなのはキラー・クイーン。あとクロマティ高校にもフレディが出てきてたな。白タイツの胸毛のすごい口ひげのオッサン。それからゲイであったこととかそのぐらいか。

そんなQueenとフレディ・マーキュリーのことをほとんど知らない私から見て、本作で言われている「時系列の組み換え」については全く気にならなかった……と言えば嘘にはなるか。
本作の終盤クライマックス、超大規模なチャリティコンサート『ライヴ・エイド』の直前の再び集ったメンバーたちの練習の際に「フレディがバンドのメンバーに、自身がエイズであることを告白し、その結果結束が更に深まる」というシーンがあるんだ。
史実だとこのライヴ・エイドの時にはフレディ自身も自分がエイズに羅患していたことを知らなかったというらしい。ここの結束の部分がちょいと演出過多というか、気取りすぎだなぁと思いはしたものの特に意識はよらなかったか。
エイズの診断を受けたフレディが病院から立ち去る時に、重篤そうな患者の少年がフレディに対し「エーオウ」といった、Queenの象徴的な掛け声をかけるというシーン。なんとなくあっちのが好きだった。
ちと細々とした話になってるな。まぁエンターティメントだから伝記ものであっても順序入れ替えてドラマチックにするのはよくあることだ。

個人的に気になったのはポールの存在かなぁ。Queenのマネージャーでありフレディのゲイとしての恋の相手であったが、ポールの働きは実際にはフレディという才能を食い物にしている無能というか、恋人を束縛するようなダメな男というか。実際にいたから描かなきゃあならんのはわかりはする、わかりはするんだが……! 超個人的にああいう態度を才能に対し取ってしまう者というのが許せんのだ。

閑話休題。いいことを書こう。

まず音楽。Queenの名曲勢揃いで実に良い。
惜しむらくは私が観賞しに行った劇場の音響がそこまでいいものではなかった、というぐらいか。もっと早い時期に見に行けばでかいシアターでもやってたろうなぁ。
次に役者。途中でこいつフレディ本人なんじゃ、と思わされた。
調べてみたらラミ・マレックという役者。顔芸めいた部分もありはしたものの、フレディ・マーキュリーという天才をあれほど個性的に表現したのは実に見事。イタコめいた魂を感じた部分もあった。歌唱シーンも見事だった……と思って調べると、歌はほとんどがフレディの歌唱を使ってるらしい。まぁそうだよね。
そして展開か。創作でのロックバンドだといわゆる修行シーンみたく「どうしたらいい曲が生まれるか」みたいな葛藤と努力めいたものを描かれるがこの映画だとそれは違うものになっている。「もうほしい曲は決まってるから、あとはどうやればそれになるかだ」という確固たる意志を描いている。ボヘミアン・ラプソディのコーラス部分の収録のために何回も録音したものを一斉に使用したりだとか。ああでなくちゃ世界的に売れるとは言えないのかもしれんな。

うーむ、今回の感想文章は結構あっちこっち行く感じでまとまりがないが許してくれ。実のところを言うと名作とははっきり言えなかった気がするし、傑作と良作のギリギリかなぁと思うけれど、Queenというバンドに敬意を込めて傑作に分類している。

こうやって文章で書きながら自分の中に自問自答してみれば、おのずとみんなが名作だ!!と言ってる理由がわかるかな……と思ったが結局よくわからなくなってしまった部分がある。
私自身が名作の定義としてるのに、ストーリーの完成度や伏線などあらゆる要素がうまく収束できているか、とか芸術めいた部分を重視しているのかもしれんな。ヒューマニティめいた箇所はあまり重要視していないかもしれん。

ともあれ、この作品を劇場で見られたのは幸いではあったと思うかな。
よりQueenの曲と歌が大好きになったし、おそらく一生聞き続けるかもしれない。
ありがとうQueen、そしてフレディ・マーキュリー。

私は金の力で動く。