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アメリカン・フットボールから離れた1年間・・・社会人1年目

 これは、私が大学を卒業し、社会人1年目。表題のとおり、アメリカン・フットボールから1年間離れることになった、というおはなし。

 昭和も終わりに近づいた年の4月、社会人となり上京した私は、当然のようにアメリカン・フットボールを続けると考えていた。ただ、現在のように情報が溢れている時代ではなく、どのチームで、という明確な考えはないままだった。
 また、入社した会社にはアメリカン・フットボール部などというものは当然なく(当時、企業でアメリカン・フットボール部を持っているということ自体が珍しい状況)、むしろ、親会社がラグビーの強豪チームであることから、社内はラグビー熱が盛ん。正式なラグビー部とその傘下の同好会まで存在する、という会社だった。
 そして、同期入社ですぐに仲良くなったヤツがラグビー経験者だったり、入寮した寮の先輩がラグビー同好会への新人勧誘をしに来たり、ということもあり、ラグビーに興味がなかったわけではなく、多少、やってみたい気持ちもあった私は流されるままラグビー同好会に入会した。後々それは、社内で貴重な人脈を形づくるものになったのだが、それについてはこのコラムの内容からは外れるので割愛する。

 とにもかくにも、高校時代体育の授業でかじったことしかなかったラグビーをプレーすることになったわけだが、強豪チームの傘下とはいえ、“同好会”という名前のとおり、和気あいあいの雰囲気が流れ、メンバーの半分以上は未経験で入ってきた選手、というチーム。少なくとも大学4年間でアメリカン・フットボールをバリバリやっていた私は、入部即主力選手に近い地位を獲得した。
 タックルされてもプレーが続く、アメリカン・フットボールとは違うプレーの“流れ”に戸惑いはしたが、特に、密集の中をステップを切り走りぬけるようなプレーにおいては、アメリカン・フットボールで培った感覚がおおいに役にたち、おそらくチームでトップクラスではなかったかと思う。クウォーターバックだった私は、あまりタックルは得意ではなかったが、それでも未経験者とは比べるレベルではない、また、タックルされたときの倒れ方など、細かい動作で一日の長を見せていたと思う。

 社会人である以上、平日は仕事に専念、ということで、練習は週一、土曜日のみ。平日は社会人一年目を楽しみ、土曜日はラグビー、その後ラグビー仲間と週末を楽しむ、という生活を2,3週つづけていた矢先のことだった。入社時の新人紹介社内報の自己紹介プロフィール(全社員が参照できるもの)にアメリカン・フットボール経験のことを書いていた私に、ある日声をかけてきた先輩社員がいた。

「君、アメリカン・フットボールやってたの?一度うちのチーム見に来ない?」と。

 その先輩が所属していたのはクラブチームであったのだが、毎年最下位を争うようなチームだったとはいえ、当時、超マイナーであった社会人リーグのトップクラスのリーグに所属するチームだった。現在のXリーグの前身である。つまり、文字通り日本一への道が開けているチームだったわけだ。余談だが、大学時代は万年2部のチームだったので、どれだけリーグで好成績を収めても、トップである甲子園ボウルに出る道は開けていなかった。結局、その日本一へのわずかな道にあこがれをいだき、そのアメリカン・フットボール・チームにも名を連ねることになる。

 実際には、名を連ねる、といっても、結果的には数回練習に参加しただけで辞めてしまった。色々な理由はあったと思うが、今思い出すのは、とにかく情熱を賭けられるような雰囲気がなかったということだろう。練習は、厚木の米軍基地の中のグラウンドで行われた。
 米軍で働くアメリカ人が何人かチームに加わっていたからそれができたようだ。それはそれで面白い体験ではあった。米軍基地内はそのままアメリカである。トイレ一つとっても日本のそれとは違い、高すぎて足が届かない、みたいな。
 しかし、練習に参加するメンバーはそのアメリカ人を含めて数人から多くて十人ちょい。その人数では満足な練習もできず、何か目標に向かって頑張る、といった雰囲気がまったくなかった。社会人チームというものはそういうものだったのかもしれないが。

 ちなみに、入部したラグビー愛好会はその時点でもまだ辞めておらず、土曜日ラグビー、日曜日アメリカン・フットボールという生活を2か月ほど続けていたのだが、そんな満足できないようなチームのために日曜日が毎週つぶれる(ラグビーと合わせると週末が全部つぶれる)ことのほうにデメリットを感じ、結局は、主将(同じ会社の先輩)に電話をし、辞める旨を伝えた。「ラグビーを選びたい」という理由をつけた。
 実際のところ、同期入社の仲間たちが多く入部したラグビー同好会は楽しく、かつ入社したての若僧にとって数多くの会社の先輩とコネクションができることには非常に大きなメリットを感じていた。

 社会人1年目はそんな形で、アメリカン・フットボールから離れることになった。

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