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ロックは振り返らない。 パンク・ロック

2016年のことだったか、英国で「パンクロック発祥40周年」を祝う年があった。マルコム・マクラレンの息子は、何億円と言われる価値のある当時のメモラビリアをテムズ河の船の上で燃やした。(テムズ河の船の上、というのはピストルズがプロモーションを行った、彼らにとって象徴的な場所なのである。)

パンクは振り返るものではない、というのが彼の美学だったらしい。潔くて良い。ロックは振り返らない。ロック、特にパンクは時代を映し、打ち上げ花火のように、ひととき強烈に輝いて終わった。

あの頃、日本にいても「何か起こってる」のはわかった。ニューヨーク・ドールズやブロンディ、ラモーンズが出て、ロンドンに飛び火し、社会を騒がせた。

その頃のロック界には大金持ちの大御所がいて、プログレだのなんだの、技術的にも行くところまで行った感じで、ある意味閉塞していた感がある。そこに突然無名の貧しい若者たちが現れ、ギターを片手に音楽を通して「怒り」を表現した。実は楽器も弾けない子も多かったと思う。素人の若者が音楽を取り戻した、ロックが原点に帰った感があった。

彼らの出現で音楽界に風穴があき、そこから数々のアーティストが現れ、ニューウェーブなど、また新たなムーブメントに繋がっていった。日本でも当時自称パンクのバンドがいくつか出てきたが、なんせ本国とは貧しさも怒りのエネルギーもレベルが違う。まるで別物。お話にならなかったと言える。

私がロンドンに行ったのは、パンクが過ぎ去った後だ。ここをジョニーやシドが歩いたのかと思いながらキングス・ロードをスローンストリート駅からワールズ・エンドまで歩いた。

シドはいなくなり、マルコムも亡くなった。シドのお母さんも自ら命を絶ったと当時某英字新聞の片隅に小さな記事が出た。「結婚なんて弱い人間がするもの」と言っていたジョニーもさっさとドイツ人女性と一緒になった。

根っから悪い子たちばかりではなかったと思う。売り出されてしまって、ああするしかなかったところに、有名になるともっと悪い人間が寄ってくる。ディーラーのいいカモにされてしまったのではないか。

みんな過ぎて戻らない。だから余計に美しい。なんだかしんみりしてしまうけど、同時代を生きられた幸運に感謝しつつ、やっぱり音楽はいいなあ、イギリスはいいなあ、と思う。こんなに愛し続けることができるものと出会えたのはラッキーだ。

YOSHIKIさんが、私は彼の音楽は知らないが、「音楽がなければ死んでいたと思う」と言っていた。そうだよね。

And now the end is here

And so I face that final curtain

My friend I'll make it clear

I'll state my case, of which I am certain

I've lived a life that is full

I travelled each and every highway

And more, much more

I did it, I did it my way

- "My Way"  Frank Sinatra 1969, Sid Vicious 1978 -











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