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むき出しのあなたと抱き合いたい

はぁ〜もうね。
こんな恥ずかしいタイトルつけてもうて。
書き始める前からはぁ〜という気分。

それでもこの表現は僕の言いたいことを言い表してくれると思って気に入ったし、なんか漂うエロスもええ感じやん?とか思っていたりする。

とはいえね、うん恥ずかしい。
恥ずかしがってることさえ恥ずかしいし、「恥ずかしい恥ずかしい」とこうやって口に出していることがそもそも恥ずかしい。
「だったらやめればいいのに」っていう気持ちもめちゃくちゃわかる。
しばしばそうして辞めるから下書きが何十も積まれるわけです。

ということで人の目を気にして、無限恥ずかし地獄にハマった愚かな自分を憐れみながら、諦めて書くことにする。

ラーメン食べたあと、トイレに並んでいる待ち時間に書き始めます。
トイレ待ちの時間というなんでもない時間。なんでこんなに筆が捗るのだろう。

トイレから誰も出てこないで。

寂しいと感じる瞬間

理路整然とした話を聞く。
論理で組み立てられた話はとても筋が通っているし、頭にすっと入ってくる。

だけれどそういった話を聞いた時に、ときどき寂しさを感じてしまう。
会話の中で感じることもあれば、文章の中で感じることもある。

この話が組み立てられるまでに、削ぎ落とされたものに出会えなかったことを悲しく思ってしまう。

相手はわかちあうよりも、わかってもらう、わからせることに重きを置いてるんじゃないか、なんて想像してしまって、「そうじゃないんだよなぁ」と思ってしまう。

あまり長い時間自分と会話したくないのかな?と思って距離を感じてしまう。(時間を使わないことは、こちらへの配慮の場合も多くあるが。)

あなたは今この場で言葉として浮かび上がらなかったものを、自分の胸の奥に飲み込んだのだろうか。それともどこかに捨ててきたのだろうか。誰かの下に置いてきたのだろうか。

抱き合う瞬間

「全然頭の中まとまってないんやけど、」
から始まる話が好きだ。

ついつい「きた」と思ってしまう。

しどろもどろに言葉を吐き始める。
「こんなふうに思ってて、、、、あ、でもこう感じることもあって、」

論と呼ぶにはあまりに拙い、噴出。
そしてしばしば数十秒から(長いと1〜2分)、言葉はせき止められる。
その間、すごい集中力で虚空を見つめている。

またトボトボ話し始めたかと思ったら、また止まる。その数秒後、
「そうか、こういうことなんかもしれん。」

頭の中で何かがつながったうあああああのか妙に納得している。

また別の場合では納得なんて訪れない時もある。

吐き出し始めた言葉たちは、ついにグルグルと回り始める。
僕も一緒になって考えて、一緒にグルグルする。

「わかんないね」って。一緒にわからないことをわかちあう。

こんなとき本当にあなた自身に触れられた気がして、むき出しのあなたに出会えた気がして嬉しくなる。

そんな文章はとても読みづらいし、口頭だとしてもとても聞きづらい。

だけれどこの生の空気感ってすごくすごく尊いもので、言葉にならないあの瞬間とか、独特の行間を一緒に感じたい。温度感のある言葉を愛でたい。

きちんと組み立てられて、転写した言葉よりも、今この瞬間にしか存在し得ない、刻一刻と形を変える言葉に出会いたい。


眠たいのでそろそろ眠ります。
おやすみなさい。

ヘッダー画像はこの大寒波の世で出会ったアートの中で、1番好きやった作品です。

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