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偶然、不快になるしあわせ

購入履歴から次の商品を提案してくるというのはネットで買い物をすると誰もが経験したことだろう。まだこのシステムは賢い、最適化されているとは言えないが、例えば漫画の次の巻が発売されることを知らせてくれるのは便利と言えるだろう。

この対極にある売り方は、訪問販売、テレアポの類だと思う。相手が望んでいるかどうか分からないがとりあえず、買いませんかと提案してくるのは本当に時間の無駄だし、やる側にも相当な負担がかかると思う。

話は変わるが、SNSなどで自分の好まない情報を断つことが出来ることに違和感を覚えるのは僕だけだろうか。SNSも一種の息抜き、仮想的・サイバーな世界でくらい不愉快なものは断ちたいという気持ちは大いに分かるのだけれども、果たしてこの先、物質的・フィジカルな世界と仮想的なそれが渾然一体となったときに、自分に都合のいい情報ばかりが身の回りにある裸の王様になってしまわないか危惧している。

どういうことかを説明するために、下記の図を作った。縦軸に快・不快、横軸に有益・無益をとる。快や益の定義は議論の必要がありそうだが、ここでは、快は「個人が喜びなどを感じる脳内物質が出ている状態」、(不快は「悲しみや怒りを感じる脳内物質が出ている状態」)、益は「定量評価できる個人に対しての損得」としてみよう。

図1

こうしてみたときに、僕は不快・有益な情報をいかに入手していくかが大事になると思う。たぶん、ここを担っているのはお節介な友達や口うるさい両親なのだろうけれども、この繋がりも断つことが出来てしまう。

自戒も込めてだが、不快だが有益になること、不快で無益なことも目を逸らさずに見ていくことで裸の王様にならないように生きていきたいと思った。

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