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トマトの終わりに処暑の古都

慣れとは恐ろしいものである。
簡易サウナのようなビニールハウスで毎日全身の汗を搾り取られんばかりに働いていたが、1週間もすると体がそれなりに動くようになり、仕事終わりに買い出しに出かける余裕もできた。
あれだけ嫌だ嫌だと思っていた地獄の入口(ビニールハウスのこと)も、いざ最終日となるとなんだか少し寂しいような、旅の終わりを確かに感じた時に訪れるあの感情とごちゃ混ぜになって「あぁもう少しここに居ようかな」なんてことを思ってしまうのだ。

ばいばい、エアコンなしの部屋。

今回は苦労も多かった分、些かこの地に心を引っ張られているのは否めない。良い人も多かったので。

とはいえ帰る日は決まっているわけで、しかもそれは今日なわけで、私はルームメイトに挨拶を済ませ、農家さんの車に乗って駅へと向かった。

農家さんとも別れを済ませ、ひとり無人の駅でぬるい風に吹かれながら電車を待った。
手と、爪をぼんやり見つめた。
連日の作業で手はすっかり茶色くなっていた。
手を洗っても風呂に入ってもなかなか落ちない汚れ。
誰もいない今、指紋や爪の端にこびりついた土汚れだけが、私が確かにあの農園で働いていた証明になっていた。

高山行きの電車に乗り、ぬるい風は人工的な涼風に変わった。

この写真はもう貼った気がする。


昼過ぎに高山に到着し、ゲストハウスに荷物を預けて街をぶらついた。
駅周辺から少し離れた、宮川という細長い川を越えると通りには古い木造の建物が立ち並んでいて、外国人観光客と出店でちょっとしたお祭りのような光景が出来上がっていた。

2週間ほど小さなサイクルで暮らしていたせいか元々の性格によるものかは不明だが、人の多さにクラクラした。
その時、大通り沿いにあるアイスクリーム店に避難したのだけれど、これが面白いところだった。

店には店主らしきお爺さんがいて、表にはガラスケースに入ったソフトクリーム製造機が置かれていた。私はなんとなく抹茶ソフトクリームを注文したのだけれど、お爺さんはそれよりも50円高い純正抹茶ソフトクリームなるものをおすすめしてきた。
50円ならいいかとお爺さんのおすすめに従うと、「先に一口食べてみて」と普通の抹茶ソフトクリームを私の前に突き出した。
一口食べる。まぁ普通の抹茶ソフト。
「普通に美味しいです」と私が言うとお爺さんはニヤリと笑い、私の手から抹茶ソフトを取って抹茶のパウダーをかけた。
「じゃあこれ食べてみて」とお爺さん。
抹茶のパウダーがかけられた抹茶ソフトクリームを口に運ぶと味が全然違っていて、濃い味なのにマイルドになったような、わけがわからない味になっていた。
「ウチはモノが違うからね」とお爺さんはまたニヤリと笑って言った。

サンキュー抹茶お爺さん。
宮川。涼しい。
宮川沿いの街並み。
ゴッド枯れマリモ。

街をぶらついた後は高山駅からバスで10分ほどのところにある「飛騨の里」に向かった。白川郷までは行く余裕がなかったけれど、合掌造りの民家が見たかったのだ。
ちなみに飛騨の里までのバス代は100円と安い。ありがたや。でも飛騨の里の入場料は700円…。
たくさん働いておいてよかった。

農村の家って意外とシステマティックなのね。
家の中は意外とひんやりしてる。
めっちゃ集まってきたのでエサ(50円)をあげた。
いとをかし。


帰りは歩いて帰った。
というのも、行きのバスで古本屋らしきところを見つけたのでどうしても立ち寄りたかったのだ。

こんな店名されたら覗くしかない。

その名も「住職書房」。店の表には本棚が置いてあって、埃と排気で煤けた本が静かに並んでいた。なるべく本は所有しないようにと自分に言い聞かせてはいたのだけれど、どうしても店にお金を落とさなければならないような気がして3冊も買ってしまった。

タイトルのインスピレーションだけで選んだ本たち。

入口のドアを開けるとナマズのようなヒゲを生やした、坊主頭の優しそうな男の人がいた。なるほどそれで住職書房か、とひとりで納得した。
ここはとにかく選書のセンスが良くて、旅や哲学、生き方に関する本が多く陳列されていたのが個人的に好みだった。
店には私以外客もいなかったので、思わずこちらから話しかけて世間話と本の話をしてしまった。話してみるとお互いに共通の知り合いがいて驚いたり、個人経営の書店の話なんかもできてとにかく楽しかった。
晩ごはんにおすすめのお店を教えてもらって、またいつか来ようなんて思いながら私は店を出た。

その頃には外は少し暗くなり始めていて、でも晩ごはんまでにはまだ時間があったので、友人が教えてくれた宮川沿いの休憩スポットでぼんやり川を眺めたり本を読んだりして過ごした。

明るいうちに撮った写真。白嵜さんありがとね。

街灯がぽつぽつと灯り始めた頃、私はおすすめされたお好み焼き屋に行くことにした。雪洞のような形をした街灯に照らされた街は歩いているだけで楽しい。

写真が絶望的にへたくそ。
どことなく千と千尋み。

お好み焼き屋は『寅のや』という名前のお店だった。おばあさんが1人で切り盛りしているらしく、こじんまりとした雰囲気がとても良かった。元々は京都出身で、もう20年以上も高山でこの店を営んでいるのだと話してくれた。
というか、ここでもなぜか私が我慢できずに話しかけてしまった。
私はこういう場面では基本的に黙っているタイプなのだけれど、今日はやけに人と話したがる傾向にあった。
労働から解放された喜びのせいか、あるいはひょっとしたら寂しかったのかもしれない。
わからない。

とにかく、お好み焼きはとても美味しかった。帰り際、おばあさんに「また高山に来る予定はある?」と聞かれた(農業バイトで高山に来ていることも話した)。
気の利いた返事をしようと思った私は「ここのお好み焼きを食べにまた来ます」と歯の浮くようなバカみたいな、しかも答えになっていない謎のセリフを残して店を出た。
自分でもだいぶ恥ずかしかった。
でもまたここのお好み焼きを食べておばあさんと話をしたいと思ったのは本当なので、近いうちにこの辺の農業バイトか何かを探して約束を果たしたいところだ。

この手の看板で女の子バージョンは珍しいな…って思ったけどこれ多分『氷菓』のヒロインだ。
明るすぎる橋。もっと忍んで。

そして今、ゲストハウスの小さな和室でこの文章を書いている。このゲストハウスがまた良いところで、なんと駄菓子が食べ放題なのである。流石に他の人もいるのでガツガツ食べるわけにはいかないけれど、貧乏旅ニートとしてはこんなにありがたいサービスはない。

みんなも泊まろう。

今回もいろんな景色を見て、いろんな人に会った。その中で得た何かを全て現実に還元できるほど器用ではないけれど、少しだけ将来に対する「こうだといい」みたいなものの輪郭は見えた気がした。

年上のルームメイトとのある会話がまだ胸に残っている。
いつか自分でバーを開きたいと語る彼は「いつまでもこんなこと(旅暮らし)してるわけにもいかないからね。期限を設けるのは大事だよ」と言っていた。
確かに私は老いるしいつか絶対に死ぬ。体力も時間も有限で、どうあっても時代や社会はこちらに歩幅を合わせてくれることはない。
そうした事実に関して深刻な不安はまだ抱えたことはないけれど、そのうち今のライフスタイルも崩れる時が来るのだと思う。

なのにいつも、向き合うではなく抜け道ばかりを探してしまうのだ。

じゃあ、私はこっち行くんで。
足腰つよつよニート。

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