あの頃はゲーム音楽だけを聴いて楽しめるなんて知らなかった
コンサートホールの片隅でじっと耳を澄ませていると、崩壊したザナルカンドの街並みが脳裏に甦ってきた。現実/夢の世界から夢/現実の世界に召喚され、長い旅を経てやっと帰ってきた故郷はそこになく、これから待ち受ける最愛の人の死を考えないようにできるだけ明るく振る舞おうとしていた。
ほんのわずかな平和な時間を勝ち取るために、顔も名前も知らない人たちのためにユウナが死んでいいはずがなく、なのに何もかも受け入れて覚悟を決めていた彼女に対して言えることは何もないように思えた。
ほのかなピアノの音色が耳を撫でていくたびに、ザナルカンドへの旅とユウナへの想い、そして現実/夢の世界でまだまだ子供のくせに大人ぶっていたあの頃の自分がどれほど夢中だったかが思い出され、僕は少し泣いた。音楽を聴いて泣いたのは初めてだった。
ゲーム音楽を鑑賞する時代
『ザナルカンドにて』は屈指の名曲として知られている。ゲーム音楽のオーケストラ公演では定番の1曲。JAGMOなどのコンサートに足を運び、身を震わせたことのある人も多いだろう。
ゲーム中で使用されている音楽――ゲーム音楽を、ゲームをプレイしていない状態で鑑賞することはいまでは当たり前になった。訓練を積んだプロがオーケストラでゲーム音楽を本気で演奏するのが特別なことではない時代になったのだ。
コンサートにまでは行かなくても、サウンドトラックを購入して作業用BGMとして聴いている人もいる。著名どころか神格化しているゲーム音楽のコンポーザーもいる。ゲームをプレイしていないのにゲームの音楽を聞くことはもはや日常的なことだ。
サントラの存在意義すら分からなかった
でも、僕がゲーム音楽なるものを意識し始めたのはたった数年前のことだ。ゲーム自体はもうはるか昔からプレイしているのに、ゲーム音楽をそれ単独で聴くことはなかった。
そのはるか昔から、ゲーム音楽を集めたサウンドトラックは存在していた。にもかかわらず、僕はそれが何のために存在するのか理解できなかった。だって、ゲームで使われている音楽を聴いてどうするんだ?
僕にとってゲーム音楽とはゲームプレイに付随するもので、わざわざそれだけで鑑賞するようなものではなかった。もちろん『FFX』だけでなく、『風の憧憬』や『時の回廊』を擁する『クロノトリガー』もプレイしたし、『荒野の果てに』から始まる『ワイルドアームズ』もプレイした。たしかにオープニングムービーとともに歌われた『夢であるように』は印象的だったし、宇宙からの帰還を奏でた『Eyes On Me』は最高だった。
でも、それはあくまでゲームをプレイするからこそ意味があるのであって、ゲーム音楽だけを聴くことにどんな意味があるのかよく分からなかった。というより、いま名曲と呼ばれているゲーム音楽が名曲であるという認識がかけらもなかった。
『風の憧憬』はフィールドBGMでしかなかった。当然、ゲーム中に流れる音楽たちに曲名があるなんて全然知らなかった。
ゲーム音楽が特別な存在になった
きっかけはニコニコ動画だったと思う。著作権を余裕で無視して上げられていたゲーム音楽に、名曲だとか感動するだとかいうコメントが溢れ返っていた。僕はそこで初めて「ゲーム音楽を聴く」という行為があり、自分以外の人は当たり前のようにその行為を楽しんでいたということを知った。
それで目覚めた僕はサントラを買い漁った。大半は好きだったゲームのサントラだ。だから、僕がゲーム音楽を聴き始めたのはノスタルジー――かつて味わった物語を思い出し、追体験して楽しむためだった。
『妖星乱舞』『飛翔』『全ての人の魂の詩』『Stickerbush Symphony』『Dragonborn』、そして『ザナルカンドにて』……まあ、挙げればキリがない。そしてJAGMOの公演を聴きにも行った。
作品としてのゲーム音楽
とはいえ、いろんなゲームをプレイしていても、何年か経ってノスタルジーを感じられるくらいにならないとそのゲームの音楽に興味を持つことはあまりなかった。そんな僕のありようを劇的に変えてくれたのが『FFXIV』だ。
僕は2017年6月に、『FFXIV』のサウンドディレクターである祖堅正慶さんと邂逅を果たした。僕は対談の記事を作っただけなのでそんなに話さなかったが、実はその当時までゲームをプレイしておらず、この仕事が決まってから急いでインストールし、仕事が終わってからのめり込んでプレイすることになった。
最初に音楽を意識したのは、魔導アーマーに乗れるようになってからだ。そう、乗ると『FFVI』の『ティナのテーマ』が流れる。原曲から素敵なアレンジが加えられていて記憶をくすぐられた。ノスタルジーとリアルタイムのプレイが重なった瞬間だった。
それからは、ゲームプレイ中に街やボス戦のBGMを意識して聴くようになった。サントラを買って、仕事中に聴いてもいる。『Dragonsong』と『Stormblood Boss Theme』は本当に最高だ。でも、ファルコン号に乗ったときに『仲間を求めて』が流れなかったのはちょっと残念に思った。
そのあとプレイした『NieR:Automata』も音楽を楽しんだゲームだった。もちろんゲーム音楽は、祖堅さんが言うようにゲームプレイの引き立て役だ。それでも、個々のゲーム音楽もれっきとした作品には違いない。
ゲーム音楽を語る
すでにお気づきだと思うが、僕は幼少の頃から最近まで音楽鑑賞に接してこなかったので(音ゲーは全然別の話)、本当に惨めなほど音楽を語る言葉を持っていない。楽器の音の違いもよく分からない。楽曲を作る人が脳のどこから音を生み出しているのか想像すらできない。
だから、じーくどらむすさんのゲーム音楽を作品として捉えた分析はすごく面白い。祖堅さんの話も、改めて読んでみると新しい発見がある。
近頃「ゲームを語ること」が話題なので、ゲーム音楽についてももっと語られていくといいなと思う。ま、心配しなくても、ゲームもゲーム音楽もいままで語られてきただろうし、これからも語られていくだろう。
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