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作曲を始めて2年、Makinaの楽曲を作り続ける意味

作曲(DTM)を始めて2年が経ちました。

人生とは恐るべき早さで進んでいくもので、この2年にいろいろありました。詳細はさておき、2年も同じ趣味を続けられるのは幸運ですね。

最近は重音テトを使うようになり、いわゆるボカロ曲っぽいのを作るようになっていますが、その根底にはやはり僕の音楽人生を変えたジャンルであるMakinaが通奏低音として存在しています(「通奏低音」を音楽の文脈で使えるようになったことが一番の収穫なのかもしれない)。

というかまあ、ボカロ(正確にはSynthesizer Vであり合成音声ソフトとかボーカルソフトと呼ぶべき)を使っていようがいまいが、これまで僕が作り続けてきた楽曲はすべてMakinaです。

いったいなぜMakinaにこだわっているのか。

音楽的な観点からの好みを言えば、前面に出る強いkickと、裏拍またはオクターブ(裏拍を基準に、表拍にもオクターブ下の音符を入れる)で鳴らすbassが生み出すリズムがたまらなく好きです。

これ↓

これにleadでメロディを合わせれば、基本的には楽曲として成立するというシンプルさも好きですね(kickの裏拍にopen hi-hatも必須ですが)。

しかし、こうした音楽的な好みとMakinaを作り続ける理由はあまり関係がないように思います。

じゃあなんで作ってるのと訊かれると、Makinaが好きだからという理由以外にはなかなか言語化できておらず困ってしまいます。

ところで、皆さんは同じ自販機の写真を毎日ブログに上げていた人を知っているでしょうか。自販機が撤去されるまで13年にわたって更新し続けていたんですが、こういう「継続の狂気」に僕は畏怖や憧れを感じています。

どんなことでも、継続している人はすごい。
そして、継続だけが唯一無二の価値を生む。

これは僕の行動原理となる最上位の価値観です。とはいえ、だからMakinaを作り続けているわけではありません、それだと継続のための継続になってしまいます。

かといって、Makinaが好きだからと端的に言ってしまうと、また違うような気がします。そもそも、Makinaにこだわる理由と作曲を続けている理由は異なります。なので、問いを2つに分解したほうがいいですね。

いったい何の意味があってMakinaを作り続けているのか。そして同時に、作曲を続けているのか。

まず、後者に対してなんとなくこうだろうなと思うのは、2年より前の自分に対する恨みを晴らそうとしているということです。

僕ははるか大昔に小説を書いていた以降、創作なるものにほとんど手を出してきませんでした。Unityでワールドを作ったりVRoidを触ったりはしましたが、創作として認識していませんし、継続もしていません。それらはメタバースに入り込むのに必要だからやっていただけでした。

イェーイ

↑は妻が勝手に書きました。

批評をやったり記事を書いたり、ワールド運営やDJイベントをしてみたり、そういうこともしてきましたが、はたしてそれが創作かというと僕にとっては違います。

そういう中で出会ったのが作曲です。前に書いたんですが、僕は音楽ととても縁遠い人生を送ってきたので(そしてそれは勘違いだった)、作曲なんてできるわけがないと最初から諦めていたというか、避けてきました。

そんな、まったく愚かな自分に対する恨みです。なんでもっと早く、PCを初めて手に入れた瞬間(中2か中3)から作曲を始めなかったのか!? 馬鹿野郎! 的な。

なので、作曲は僕にとって昔の自分に対する復讐です。

さて、最初の問いへ。

なぜMakinaなのか。しばらく考えてみましたが、まだ言葉にできません。日本でマイナーな音楽ジャンルをメジャーにしたいとか、聴く人・作る人を増やしたいとか、そういう気持ちはなくはなくても心の底からの強い願望ではありません。本場のMakinaシーンに感化されたわけでもなく(そもそもシーンより楽曲のほうを先に知ったし)。

でも、何かしらの理由によって、Makinaでなければならない理由があるのでしょう、きっと。その意味を知るためにも、Makinaを作っているのかもしれません。

だから、いまのところはこう答えるしかないわけです。

Q. なぜMakinaの楽曲を作り続けているんですか?
A. その理由や意味を知るためにMakinaの楽曲を作り続けています。

⏬️YouTubeに作った楽曲を置いてます! 聴いて!

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