2024.1.3『劇場』又吉直樹
後書きにもあったような演劇と日常の境を行き来する永田の心情に、自分と重なる部分が多い気がして何度も意識が逸れていく作品だった。自分にとってはある意味目を背けたい経験の数々が呼び起こされては止んでを繰り返し、気がつくとページを捲るたびに物語に溶け込んでいった。
慣れてゆくと同時に沈んでいく感覚は、もしかすると誰にでも無意識のうちに定着しているのかもしれない。目標に向かって真っ直ぐに進んでいるうちは見えなかったものが、他者の介入によって澱んでいくことは多々ある。青く見えた隣の芝生の鮮やかさに嫌気が刺して、つい悪態をついてしまうのは私の悪い癖だ。根源的に誰かに認められたい願望が強く、それゆえに深い嫉妬心で追求し、終わった後で後悔を繰り返す。ただ、そうして歳を重ね、上辺を整えた大人の仮面を被ったまま生きている現状を、不思議と不快には思っていない。寧ろそうしている自分を肯定して、同じように認めてもらえる環境を作り出しているからだと思う。
「自意識過剰などという言葉があるせいで、自分が感じるあらゆる感覚や感情は真実ではなく、自分の弱さによって増幅させられているのだと思わなければいけなかった。ある感覚をないことにするのは理屈上では簡単だけど、あくまでもそれは自分で理屈に負けてやっているだけの話で、負けを認めたからといっても、そのなかったことが引き連れている苦しみなりきた身なりが消滅するわけではなかった。本当はある負債のようなゴミのような、それでも懐かしいような感覚は自分で抱え続けるか処理しなければならないらしい。」
毎度毎度自分の弱さに目を合わせ、適切に感情を処理できていれば後悔は少なかったはず。そうできなかったからこそ今があり、その中でも少しずつ弱さに歩み寄りたいと思うところから、成長が始まる気がした。
最後まで素直さを露わにできなかった永田の人間的な部分に尊敬を持ちつつも、少なくともこれからは、出来る限りは自分の弱さと一緒に歩いて、なるべく人といい距離感を保って行きたいと強く思った。