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メロス並の激怒~コロナ禍に結婚式~

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チヒロは激怒した。
それは、結婚式の準備が佳境にさしかかった時のことだった。
「邪知暴虐の王」に対しての怒りではなく、とある業者に対してのものだった。

コロナ禍に結婚式をすることになった。
このコロナ禍おいて、結婚式をすること自体、賛否があると思う。
妻のチヒロ(仮名)と、脳がちぎれるほど悩んだ。
実際、一度は日程を延期させていただいた。

「次の日程でダメだったら、諦めよう」

二人でそう決めた。

緊急事態宣言が発出された場合、もう中止にしてしまおう。
延期を繰り返すなら、出席者の方にも迷惑がかかるだろう。

開催するか、しないか、未来が分からない中で準備をするのはツラい。
正直なところ、二人ともモチベーションを保つのが大変だった。


さらに辛かったのが、友人や職場の方への対応だった。
「三密」を避けるために、テーブルの人数を減らさなければならなかった。
そのため、招待させていただいたにも関わらず、大切な友人に断りの連絡を入れる必要があった。
特に、列席者の人数の関係上、チヒロの職場の方にご迷惑をおかけした。

世の中の混乱の中、少しずつ結婚式と披露宴の準備を進めた。
原動力となったものの一つに、チヒロの祖父母の存在があった。

「早く、チヒロの結婚式が見たいわあ」

ご挨拶に伺った時、チヒロの祖父母に言われた。

しかし、結婚式の準備を進めている時点では、ワクチンの「ワ」の字もなかった。
つまり、祖父母が参加することは叶わなくなった。

「なんとか見てもらうために、リモートでも参加できるようにしよう」
「迷惑をかけた同僚も、リモートなら呼ぶことができる」

チヒロは決意した。
艱難辛苦を乗り越え、リモートの参加者も、満足させてみせると。


リモートの準備に関しては、苦難の連続だった。
披露宴会場側にもノウハウがなかった。

「走れメロス」は、妹の結婚式のために走った。
コロナ禍の披露宴は、メロスが二往復分を走るくらい大変だった。
リアルとリモートの「二か所」の準備が必要だからだ。


さまざまな課題があった。
例えば、リモート参加者にスピーチをしていただいたり、披露宴中に、双方向で通話ができるようにしたい。
また、披露宴の歓談中、リモート参加の方々が、知らない人と気まずい時間を過ごさないように、グループを作りたい。
やるべきことは、山積していた。

困難はありつつも、二人で分担して解決を試みた。
リモートの機器類は、私が考えた。
リモートの方にどう楽しんでいただくかは、チヒロが考えた。


チヒロは懺悔した。
平身低頭したい方々がいた。

招待したにも関わらず、こちらの都合で、リモート参加に変更いただいた方々だ。
チヒロは、ご迷惑をおかけした方と、リモートでも一緒に食事を楽しみたいと考えた。

「そんなこと、できるの?」

顔色を窺いながら、チヒロに質問した。


チヒロは調査した。
暗中模索の中、世の中のサービスを手当たり次第に調べた。
多数ある業者の中から、当たりをつけた。

その業者は、披露宴で出る食事と似た料理を、リモート参加者にレトルトで届けてくれるという。披露宴会場の了承を取ってレシピを業者に送付し、既に見積りも取ってあるという。そして、本番一か月前には、リモート用の食事のレシピが送られてくるという。

チヒロは期待した。
以心伝心で、リアルの人もリモートの人も一緒に楽しめると。


しかし、待てども待てども、レシピが送られてこぬ。
連絡をしても、準備中との連絡しか来ない。

そして、本番二週間前に、やっとレシピが送られてきた。
しかしながら、披露宴で実際に出る料理とは、全く異なったものだった。
その業者の、ほぼ定型のメニューだった。ホームページを見てわかった。

チヒロは当惑した。
再三再四やりとりした結果、このレシピなのかと。


彼女は、もともと温厚な性格だ。
そしておそらく、温厚であるが故に、舐められていた。
そのくらい、メールや電話での依頼内容と、送られてきた内容が異なっていた。

加えて、日程の制約上、もはやレシピは変更できないという。
これでは、ご迷惑をおかけした方々に、申し訳がたたぬ。

チヒロは激怒した。
羊頭狗肉である。
提供すると言っていたレシピと、実際のレシピがあまりにも違うではないかと。


業者から、謝りの電話があり、新たな提案をしてきた。
デザートやシャンパンをメニューにつける、また、紙皿などのカトラリーをつける、と。

チヒロは憤怒した。
本末転倒ではないか、と。

チヒロが求めていたことは、追加のサービスなどではなかった。
チヒロにとって、リモートでも一緒の食事を楽しむ。
コロナ禍の中、せめても、そういう思い出を残したかったのだ。
そして、そういう料理を提供できると、当初から言っていたのではないかと。

「それなら、そもそも注文はなかったことにしてください」

チヒロは辞退した。
不倶戴天の決意で、いつまでも忘れないようにしようと思った。
キャンセル期限にも、まだ時間があった。

その業者は、あまりに申し訳なく思ったのか、割引とサービス付きで提供してくれるという。
チヒロは、それでも納得していなかった。
しかし、せっかくならということで、チヒロを説得して注文をした。

チヒロは観念した。
完全無欠なリモート用の料理は提供できぬ。
せめて、準備できたもので楽しんでもらいたい、と。


結婚式の日になった。
緊急事態宣言は出ず、世の中は落ち着いていた。
無事に結婚式を執り行うことができた。

チヒロの心にモヤモヤは残ったが、参加者の方には満足してもらえたと思っている。
苦労したリモートの準備が功を奏し、チヒロの祖父母や友人と、しっかりコミュニケーションをとることができた。


そして、披露宴が終わった後のことだった。
リモート用の食事を送付した方、複数人から連絡があった。

「シャンパンまであると思わなかったわ」
「使い捨ての紙皿とか、洗い物がでなくて助かったよ」

業者が無料でつけてくれたサービスの反応が、意外なことによかったのだ。

チヒロは安堵した。
後顧之憂のあったリモートの食事だったが、結果的に満足いただけたのだった。

「ほんとにほんとに悔しかったけど、結果オーライだったかもしれない」
「何より、おじいちゃんおばあちゃんが喜んでくれたのが、本当に嬉しい」
「リモート画面の録画が残ったのは、コロナ禍の思い出だね」

チヒロは歓喜した。
試行錯誤の中で、コロナ禍の結婚式というプロジェクトを無事に終えることができたのだ。


そんな彼女を見て思った。
アンガーマネジメント、怒りのコントロールは「衝動的な感情を抑制する」という文脈で使われることが多い。

しかし、普段は温厚で怒れない人が「怒れるようになる」ということも、とても重要だと思った。
怒りは、その人の価値観、最も重要なところを浮き彫りにしてくれる。


そして、チヒロは意識していなかっただろうが……。
温厚な人が怒ると、舐められていた分、相手が恐れおののく。

チヒロは、もう少しの間「怒りベタ」でもいいかもしれない。
またどこかで、サービスしてもらえるかもしれないから。


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