文章と謙虚さ・偉そうである事

自分がしたコメントを後で見て、「偉そうだな」と思った。

コメントだけではなく、俺の文章全部がそうだと思う。そういう作風でやってる意識はある。

しかし、それにしても、だ。「これでいいのかな...?」と、ちょっと思った。

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文章と謙虚さは、永遠のテーマだと思う。いま、「テーマだ。」と断定せず、「テーマだと思う。」と謙虚さを示した。こういった端々のニュアンスで、語り手の態度の印象は形取られる。だろう。...。

謙虚じゃない語り手ってどう思う?良い印象はないよな。「文章本体」と「コメント」でもまた違ってくるかもしれない。少し遠回りだが、コメントについてから考えてみたい。(ついてからってなんか変?)

コメントはコミュニケーションだ。人間関係と言える。「突然タメ口で話しかけられたらどうか?」。やっぱり、ビックリするとは思う。年配の人物であるほど、そういう関わられ方に眉をひそめるという物だろう。そうではないか。ネットには様々な年齢や立場の人が混在している。気の知れた友達に話しかけるように誰かれかまわず関わろうとしてしまっては、周りの見えていないぶしつけな若者とみなされる事だろう。

俺はそういう関わり方を結構していたかもしれん...。この点の反省は後に回したい。

ネットでは現実と違って、文字だけの表現が通常だし、なにより顔が見えない。対面ではとても取らないような失礼な態度が氾濫しやすいといえる。丁寧で相手を敬った態度・物腰、さらには謙虚さのある事は、現実の人間関係では当然の前提だ。それがネットでは時に無視される...というか。いや、無視されるとかいう、そんな単純な問題ではない感じがする。

ネットの人間関係は、思いのほか奥(問題)が深い。普通、人は、現実では初対面の相手にタメ口では話しかけない。当たり前である。相手との距離を測って、適切なコミュニケーションを取る。ところがネットでは、こと自分自身の投稿に関しては、誰に向けた物でもなく、自身の備忘録、独白としての内容であったり、親しい間柄の友人にのみ向けて書かれたものであったりする場合も多く、つまり初めから「礼のない」言動である事がある。不特定多数の、それも文字通り多くの人に見られるという意識の下に書かれた「今日はなんだかやる気が出ません」という投稿に比べ、「やる気出ない。ダリぃ」という内容の投稿。コミュニケーションの距離が“近い”とでもいった言動。後者のそういった内容は、より多くの人から見た時には、眉をひそめる物であろう。ないしは、取り合う価値のない落書き。言うまでもない事だ。

コメントにおいて、礼を尽くした態度はマナーであろう。顔の見えない相手にも、現実と同じように適度な距離を取り、お互いが心地よくいられる関わりを目指すのが、大人の振る舞いといえよう。

タメ口を使う事や、どことなく“距離の近い”「馴れ馴れしい」関わり方が、時には魅力を発揮する事もある。それはネットに限らず、現実においてもそうだろう。しかしそれには、ある種の非言語的なとでもいった才能・センスが求められ、難易度が高く、単に失礼と受け取られる危険と隣り合わせだ。安易に目指す物ではないと思う。

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というのが常識の話である。俺が常識あるとでも思ってんのか?あ、いかんいかん、こういうキャラは封印するんだった。...。見た?今。

コメントの話は、まあいい。コメントは、礼を尽くしてやればいいし、やるべきだと思う。俺は出すぎていた、コメントにおいて。もっと丸くなろう。すみませんでした。


問題は、自分自身の投稿の方だ。コメントではなく、自身の直接の投稿において、どのような態度の語りをするべきか。これについては、次回の記事で書こうと思う。ここでこの記事を終わるから、当たり前の事しか書かない回になってしまった。ちゃんと爆弾発言は用意してるのになあ。嘘だよ。

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