壁に釘を打ち付ける

まず、noteが自動で選んでくるオススメの記事を、自分は全然読みたいと思えないことに、改めて気づいた。

これは単に好みの問題として。

PV数が多く、バズりつつあるような、「より多くの人が、より楽しめる」であろう記事。万人向けにピックアップされたオススメ記事。

そういう記事に僕は関心がなく、もっとマニアックなこだわりを追求し、ニッチな世界にいたいんだなぁと、そう改めて気がついた。

(もっと多くの人に向けて、誰もが楽しめるような方向性で僕自身、記事を書くべきか、ずっと悩んでいたことを思い出す。昔の自分の記事を読み返しても、そのことがまさに読み取れる。僕は迷っていた。)

1年ぶりにnoteを見て思ったのは「自分は自分のこだわりを追求する方向に、むしろもっと振り切って、それで全然良いんじゃないかな〜」ということ。


noteには僕は自分勝手なことばかり書いているようだけど、だからこそ、僕はnoteを避難場所のように感じたのかもしれない。

自分語りな文章ばかり僕は書いているが。そんな人ってどんな人だろうか。

「現実ではそれができないとわかっている」からこそ、ネットで吐き出すしかなく。宛名のない手紙のような、あるいは自分自身に宛てた慰めのような。そんな、毒なのやら、報われない思いなのやらを、ーー現実ではとても受け止め手のいないそれらをーーネットの暗闇に放り込んでは、期待すべきではないはずなのに、その反響に耳をすます自分がいる。

ネットで悪口を書いたり、自分中心な言動ばかりする人は、きっと、「そんな振る舞い」が現実ではできないことを当然わかっていて、現実では「そんな」そぶりは一切見せない、おとなしい良識人、つまり良い子だったりするのではないだろうか。

ネット上で見せる振る舞いからは想像もつかないような、大人しくて優しいヤツ。現実で君や僕のすぐ隣にいるような、ごく真面目で常識的なあいつやあの子。


自分が投稿した文章を見るに、僕にとって文章を書くことは、「壁に釘を打ち付けるような行為」とでもいえる。

建設的とはたぶん逆で、きっと意味もないだろう。しかし、そうすることでやっと精神を保っていられるような。「ストレス発散としての人格」とか、「抑圧されたもう一人の自分」とかの類。現実で僕はたくさん我慢なりしているのかもしれない。

明るい文章や開かれた文章からはずっと離れ、ひたすらに、小さな暗所や狭い洞窟のなかで文章を読み書きしていたい気持ちがあるのはなぜだろう。


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