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完全自動運転の時代が一日でも早く来て欲しい、と思っている話

「恐怖」は生存本能だ。
「恐怖」と「怒り」は紐付けられた感情だ、とも思う。


エリマキトカゲが襟を立てたり、猫が全身の毛を逆立たせたりする(しっぽを太くさせる)行為は、自分の姿を少しでも大きく見せ
相手を威嚇するために行う行動である。

そのような「自分の姿を少しでも大きく見せる」行動を取るときの動物は
相手のことを「怖がって」いる。


上記のことを踏まえると
人に横柄な態度を取ったり、大声で威嚇したりする行動を取る人は
他人のことを「怖がって」いる、と言える。


以上、私の持論である。



話は少し変わるが、
私は車の運転が「怖い」。

しかも「自分自身で車を運転する」
という行為が怖いため、
他人を自分の車に乗せたくは無いし、
複数人と車で出掛けるときは絶対に運転しない(ガソリン代を車の所有者に献上する)。

田舎住みなので車通勤なのだが、
毎日の運転すら「恐怖」している。
(特に、バイクや車道の自転車の隣を通る時、車同士がすれ違えるかすれ違えないかの細い道を通る時など)


自己分析だが私が運転を怖がっている要因は、子どもの頃から何度も「車の運転」に関する悪夢を見ているからだと思う。


子どもですから自分で運転なんてしたこと無いのに、子どもの私は運転の仕方すらも知らないのに、車を運転する悪夢を
しかも何度も見た。

夢の中の私は運転が制御不能で暴走させており、いつもパニックになっている。
(しかし壁が透けたり奇跡的に避けれたりするので、夢の中で何かにぶつかったことは無い。)

大人になって免許を取り、通退勤でいつも運転しているというのに
相も変わらず(たまにだが)車を制御不能で暴走させる悪夢をみる。


上記で「恐怖は生存本能だ」と書いた。

ならば私が運転に関する悪夢を見るのも
何某かの生存本能なのか。

私は一日でも早く、完全自動運転の時代が来ることを祈っている。



※見出しの画像はTOYOTAのホームページのギャラリーから。素敵な車の写真をこんな記事に使用するのは誠に申し訳ない……

※あるときは日常の1シーンとしての車が、
あるときは躍動感あふれる素敵な車の写真がたくさん見れるので、興味ある方はTOYOTAのホームページを是非見に行ってください!

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