見出し画像

「会いたい」の裏に隠れた本音とは/ DAY15

外来主治医に会えた。
不安だったこと全部言えた。
そして、とても元気になったよ。
前回の入院3日目と同じ状況。
15日もかかったよ…

結論

「先生に会いたい」
って言うのは、
「不安定で漠然としてるモヤモヤの不安と焦りに対して言語化してほしい」
「その状態に対して、自分がどのように対応すべきか教えてほしい」
ってことである。

頼りになる先生って思えたのはそういうことだったのか…!

自分で言語化できないでパニクってぐしゃぐしゃになってるところを、一瞬できれいにほどいて、「こういうことだから大丈夫だよ」ってのを示してくれる。

わたしの問題は、自分の中にいろんな意見がありすぎて、勝手に混乱してる場合が多々ある。
だから、その混乱を見極めてほどいてくれる先生に感動したんだな。

言葉通りの意味だけじゃなくて察してくれる。
それで、「こういうことでしょ?」って聞いてくれるの。
それがストンと収まることもあるし、えー?って思うことももちろんある。

でも、その時にわたしの反論も、しっかり聞いてくれて、(それをどう捉えてるかは知らないけど、)医者としての考えとの間に、いい落とし所を提案してくれる先生。

実践してみた。

入院してから会いたいと言い続け、時に声が出なくなり、会いたくてパニックになりそうなぐらい悪化しててようやく先生が来てくれたのが火曜日。
そして、会いたいの正体をうまいこと説明してくれた。
そこから、担当医や、看護師さんにその説明をして回ってる。

本当に会いたいんじゃなかったよ!(よかった〜!)ってw
あまりに毎日言ってたから、「先生のこと大好きだもんねw」「それは恋愛だねw」とか散々に言われてたからね。
そうかもしれないけどそうじゃないって言うわたしの漠然とした違和感を、先生は見事に解決してくれたわけ。

そして、実際に今までだったら「先生に会いたい」って言葉しか出なかったところが、「なんか不安でモヤモヤでよくわかんなくて、どうしていいかわかんなくて辛い!助けて!」って言えるようになった。

さすがに先生のように、一発ですんなり言語化できる人はいないけど、話を聞いてもらって提案してもらって、っていうキャッチボールの先に、言語化される部分が増えてきた。

今はまだ、できる相手とできない相手がいる。
そこがどう違うかも気づいた。
わたしの、相手への信頼度。
高ければキャッチボールできるけど、そうじゃないとやはり厳しい。

最終目標は、これを誰も介さず、自分で完結できることだね。
今はまだ自己完結できない。
これを総括すると、自分を自分で信頼できてないからだろうなーって。
焦らずゆっくり、向き合っていこ。
他の誰でもない、私に認めて欲しいわたしと。

これは会いたいに限ったことじゃないんだよね

「死にたい」って浮かんだとして、私の場合、それが文字通りそのままの意味だったことはない。
単純な言葉を分解して深掘りしていった先に、悩みの根本は眠っているのかな。

辛さの渦中にいたらそんな余裕はないかもしれないけど。
暴走しそうな辛い時には、言葉を置き換えて考えてみるようにしてみよう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?