言葉に縛られているが、脱出も難しい。
お疲れ様です。総務部総務課マモたろうです。
「煮詰まる」の本来の意味は「議論や意見が出尽くして結論を出す段階になる」です。行き詰まるや壁にあたるとは違います。
※「行き詰まる」の意味で広く使われており辞書にもその意味で記載されています。
「済し崩し」の本来の意味は「少しずつすませてゆくこと」です。
有耶無耶や骨抜きとは違います。
「問題」と「課題」は定義が違います。マネジメントとリーダーシップも違います。戦略と戦術も違います……。
今回は正しい意味の指摘をしたいわけではありません。「煮詰まる」のように言葉の意味も変化しますし、言葉自体も新しく生まれるものです。
言葉の本来の意味は大事だとは思います。しかしマネジメントやリーダーシップのように、いろいろな方が解釈して定義する言葉も多く、実はおのおのが抱いているイメージが異なり、会話が通じているようで通じていないということもよくある話です。
思考は言葉でします。名前がないと解釈することも難しいでしょう。
マネジメントとリーダーシップの定義は違うでしょうが、あなたはマネジメント担当、あなたはリーダーシップ担当というような分け方はするのでしょうか。
マネジメントもしてリードもするのが現実的だと感じます。
戦略と戦術も、確かにレイヤーが違います。しかし戦略と戦術はつながらないと意味をなさないものです。
言葉に縛られていると思うことがあります。
例えば儲ける。「儲」ここに信者と書いています。
例えば躾。「躾」ここに身を美しくと書いています。
何かとても深い意味がある気がしてなりません。
例えば義。「義」ここに我を美しくと書いています。(ひつじなのですが)
例えば信。「信」ここに人の言葉と書いています。
何かとても腑に落ちます。
この腑の落ち方が真理めいていて、バランスを崩してしまうことがあります……。自由の意味を考えて不自由になるような。
言葉で考えているのに、言葉の縛りから脱出なんてできるのでしょうか……。やはり要諦はバランスでしょうか。
申し訳ありませんが、結論も何もありません。
お読みいただきありがとうございます。
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