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努力は報われてほしいけど。「公平世界仮説」というキーコンセプト。

お疲れ様です。総務部総務課マモたろうです。
【武器になる哲学】より「公平世界仮説」というキーコンセプトの紹介です。

「努力は報わる」「天才は1%のひらめきと99%の努力でつくられる」
努力については、いろいろな名言があります。

成功者が語る努力はきらきらと輝いています。
報われなかった者が語る努力はどこか暗いです。

自身の現在が、ある程度充足していると「無駄なことは無かった」と道が繋がって見えるでしょう。逆に充足していないと無駄なことばかりに見え、過去が点在しているかのように見えるかもしれません。

「公平世界仮説」とは、社会心理学者であるメルピン・ラーナー(1929~)が提唱した世界観です。

 日の当たらない場所であっても、地道に誠実に努力すれば、いつかきっと報われる、という考え方をする人は少なくありません。つまり「世界は公正であるべきだし、実際にそうだ」と考える人です。
 このような世界観を、社会心理学では「公正世界仮説」と呼びます。公正世界仮説を初めて提唱したのが、正義感の研究で先駆的な業績を挙げたメルピン・ラーナーでした。
 公正世界仮説の持ち主は、「世の中というのは、頑張っている人は報われるし、そうでない人は罰せられるようにできている」と考えます。このような世界観を持つことで、例えば「頑張っていれば、いずれ報われる」と考え、中長期的な努力が喚起されるのであれば、それは喜ばしいことかも知れませんが、しかし、実際の世の中はそうなっていないわけですから、このような世界観を頑なに持つことは、むしろ弊害のほうが大きい。
 注意しなければならないのは、公正世界仮説に囚われた人が垂れ流す、「努力原理主義」とでも言うような言説です。

【武器になる哲学】山口 周 (著) 279-280P

世界は公正であって欲しいと願っています。報われないと思いながら努力する強さも持ち合わせていません。
組織においても、頑張っている人が報われない、実力がある人が出世できないのは、よくあることです。なんとかシステムでクリアできないかと試しますが情がからむと迷路のようになります。

少し話はそれますが「適材適所」というのは、不満を助長する言葉だと思います。やりたいことと出来ることは違います。強み・弱みもその組織内での関係性の中での特徴でしかないかもしれません。その人の適材適所が見つかるまで試行錯誤をする余裕がある企業はどれくらいあるでしょうか。
適材適所は、規模と業務の幅と時間が必要です。言葉の使用度と難易度がとてもつりあっていない言葉だと感じます。

公正世界仮説に戻ります。努力は報われて欲しいです。世界は公正であって欲しいです。そう思うこと、そう目指すことは悪いことではないと思っていました。しかし公正世界仮説に囚われた弊害は恐ろしいものを生む可能性があります。

「成功している人は、成功に値するだけの努力をしてきたのだ」と考え、逆に何か不幸な目にあった人を見ると「そういう目に遭うような原因が本人にもあるのだろう」と考えてしまうわけです。いわゆる「被害者非難」「弱者非難」と言われるバイアスです。(中略)世界の多くの国々で行われた弱者への迫害は、このような世界観、すなわち「世界が公正である以上、苦境にある人は何らかの理由があってそうなっている」という世界観に基づいてなされたということを決して忘れてはなりません。
 さらに「努力は報われる」という公正世界仮説に囚われると「社会や組織を逆恨みする」ことになりかねないという点も指摘しておきたいと思います。

【武器になる哲学】山口 周 (著) 284-285P

時に思考は「裏返る」ことがあります。努力することは良いこととされ、それが報われるべき社会を目指すべきなのでしょう。それが裏返ると弱者非難に繋がる、社会や組織を逆恨みする。努力は薬にもなり毒にもなる言葉でした。

最後に著者の言葉を引用します。

 世界は公正ではありません。そのような世界にあってなお、公正な世界を目指して闘っていくというのが私たちに課せられた責務でしょう。人目につかぬ努力もいずれ報われるという考え方は、人生を破壊しかねないのだということをよく覚えておいてください。

【武器になる哲学】山口 周 (著) 286P

お読みくださりありがとうございます。

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