壺ではいけない。経営者の器。
お疲れ様です。総務部総務課マモたろうです。
今回は経営者の器をテーマに妄想します。
企業は経営者の器以上には成長できないといわれています。
器が壺になると成長できない。そんなお話です。
器とは
器とはいったいなんでしょうか?
皿、壺、瓶、鉢……いろいろな形があります。
器量、器用、公器、楽器、花器、凶器、食器、兵器、機器……
いろいろなものに「器」という字が使われています。
まず辞書をひきます。
興味深いキーワードがありました。
「いれもの」「物事に役に立つ」「機能あるもの」「それ自身には動力装置のない」
・器とはいれものである。この中にはいるのは「ヒト、モノ、カネ、情報」である「資源」のことでしょう。
・器とは物事に役立つものである。これは「事業」のことでしょう。
・器とは機能あるものである。これは「組織」のことでしょう。
そして、「それ自身には動力装置のない」とは経営者自らがあれもこれもと動くと碌なことがないという揶揄であり、「礎」ということでしょうか。
まとめると、器とは「資源を役立つものに組織する礎」→「資源を活かす器量」だと定義します。
器の容量=事業や組織の成長可能性。
壺をつくる
器の作家は経営者です。動き続けるろくろ(社会)のうえ、器を作りつづけています。いろいろな形がつくれます。
それが「壺」となるとどうでしょうか?
壺の定義は「口が狭くなった形の容器」です。
よろしくない経営者のイメージにあいます。
・外に開けている口が狭くなっている。(視野が狭く、学ぶことが少ない)
・壺に入れる資源が一方向。(聞く耳が一方向、YESマンで固める)
・口より小さいものしか入らない。(自分より優秀は要らない)
そして「ばくち」をする。
また壺は器として完成しているため、いくらろくろ(社会)が動き続けていようが器量は増えません。
経営者の器が壺になると、事業、組織はそれ以上には大きくはなりません。
経営者の器は壺だとよろしくありません。
自分のことは自分が一番わかっている
若い頃は「自分のことは自分が一番わかっている」と錯覚していました。
私が知っていたのは、その時「自分がそう感じている」ということだけで、客観性のかけらもありません。そして「自分のことは自分が一番知っている」は反発している時の言葉でした。
自分のことは自分しかわからない部分もありますが、意識していることなんてほんの一部分でしかありません。特に関係性の中の自分はなかなか知ることはできません。
なぜ壺をつくるのか。
「会社を自分のもの」と考えたときに「壺」をつくりはじめるようです。
・自分のもの(会社)は自分が一番わかっている → 学ぶことをやめる
・自分のもの(会社)を批判されたくない → 諫言をきかなくなる
・自分のものを使ってなにが悪い → 公私の区別がつかなくなる
壺の中身は外からは見えませんから透明性がなく腐敗もわかりません。
やはり、経営者の器は壺だとよろしくありません。
おわりに
私の妄想におつきあいいただきありがとうございます。
経営者の器を揶揄していますが、私自身も壺をつくらないようにと肝に銘じます。
壺が完成したからとしても、いろいろなことで壊されたり、壊したりと未来は断言できません。
そもそも器という隠喩がまちがっているかもしれませんし、器をつくる人を育てるのがうまい人もいます。「器」という言葉にとらわれること自体が壺化かもしれません……。
最後に壺をつくらないようにするヒントとして先達の言葉を。
その器が、凶器ではなく、公器であってほしいと願っています。
読んでくださりありがとうございます。
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