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もう二度とこのドアは開かない。

今朝、嫌に早く目が覚めて久しぶりに高校時代の事を思い出したので書き記してみようと思う。

INFJがよくやると言われがちな、所謂「ドアスラム」に関する話だ。


私は中学受験をして、私立の中高一貫校に通っていた。唯一高1の時だけ担任が違っていて、中学3年間、高校でも2年間の計5年同じ担任だった。そんなに同じ人が担任をしたのは、多分学年で私だけだったと思う。

5年も私を受け持った担任のことは、元々好きでも嫌いでもなかった。
押したら折れると分かって、立候補者の出ない選挙管理委員をやってくれないかと個別に相談して来る人だった(そして見事私は選挙管理委員になった)。中2からは部活の副顧問でもあった。

ところが高3の10月くらいから、担任に対してあまり良い印象を持たなくなってきた。その頃、担任が若い女性教師と不倫しているという噂が学年中を駆け回っていた。真偽は定かではないが、そんな噂が立つ時点でデリケートな受験生を受け持つ者としての自覚が足りないと今なら思う。1度そういう噂が出回ると、なんとも思っていなかった事柄がやけに鼻につくようになる。赤本の記述問題の添削を頼んだらその添削内容が赤本の解説の丸写しみたいだったとか。掃除の時間に何やら馴れ馴れしく話しかけてくる態度が気に食わないとか。私と恋人(当時同じ部活だった)との関係をやけに気にかけてきて鬱陶しいとか。

そんな中、センター試験の自己採点の日に事件は起きた。
もう難関私立大学に入学が決まっている(確か推薦だったように思う)クラスメイトの自己採点結果がとても良かったらしい。担任は悲しく重苦しいクラスの空気をつんざくように、大声で彼女を褒めた。それがどうにも許せず、その日を境に私は担任と最低限の会話しかしないことを決めた。

そもそも私が受験した年のセンター試験は難化しており、クラスのほとんどが思ったような点数にならず涙を流したり唇を噛んだりしていた。そんな空気の中で、自分の「褒める」行為自体が悲しみにくれる生徒たちにとってどれほどの凶器となるのか、10年以上教師をしていても気づかなかっただろうか。全く気づかなかったというのなら、その鈍感さに拍手を送りたいくらいだ。
それに褒められた相手は、正直記念受験でセンターを受けた子なわけで、私たち国公立を受験しようとしている人間とはセンター試験に対するモチベーションも緊張感もこの試験にかける想いも全く異なっていたはずだ(国公立が良くて私立が悪いみたいな話ではない)。

褒めることが悪かった訳ではない。その場にいた大勢の生徒の悲しみや苦しみを想像し寄り添うことも出来ずに、目の前の喜びを無邪気に表現することが、およそ大人としての立ち振る舞いではなかったというだけだ。


今朝起きて、この記憶を反芻していた時「これはドアスラムだったのかもしれない」と気付いた。

本当にあの日を境に、私は最低限のことしか担任に話さなくなった。大学に合格した時ですら連絡せず、後で半笑いで怒られた。合格体験記も書いてくれと連絡が来ていたらしいが書かなかった(それは少し悪いと思っている)。
同じ担任だった友人は、あの時一緒に担任の悪口を言ったのは嘘かのように、何食わぬ顔で高校に遊びに行っている。
私だけが、何度脳内シュミレーションしてみてもあの校舎に足を踏み入れられずにいる。私だけが、人から見たらきっと取るに足らない出来事を未だ許せずにいる。

卒業してから1度もあの学び舎には足を踏み入れていない。友達から誘われたこともあったけれど、担任だったあの人にだけは会いたくない。
想像上の私は、会った途端に彼にビンタする。もちろん現実の私はきっと、にこやかに貼り付けた笑顔で会釈するだろう。

会いたい先生も、卒業してすぐに感じたほど居ないものだ。人間は移ろいゆくし、悲しみや懐かしさなんて忘れても生きていけるのかもしれない。

それでも、どうせ相手は何も気づいていないと分かってはいるものの、長年私を見てきた人とこんな関係になってしまったことを少し寂しく思っている。

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忘れられない先生

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