自分に厳しく、人に優しく
いつの頃からか「自分に厳しく、人に優しい」人が善い人なのだと思っていた。周りから言われたのか、何かの情報を取り込んだのかは分からない。
私は「自分に厳しく」というのを「自責感情が強い」人だと解釈していた。そして実際、友達にも面接官にも責任感の強い人だと認定されるようになった。
一人でいれば怠惰を煮詰めただけの人間ではあるが、一歩外に出ると「誰もやらないなら私やるよ」ということが多い人生だった。
中学生の頃は誰もやらないからと選挙管理委員なんぞになってしまい、生徒会選挙直後には朝7時に学校に行き夜7時に下校する羽目になった(ちなみに通学には電車で1時間半かかる)。
高校では受験生になるまで人手不足甚だしい部活の部長をし続けた。
今もやっとこさ就活が終わったのに、(直接頼まれた訳でもない)部活の年間スケジュール作りに奔走している。
そうやって、自分にとっての「自分に厳しく」を遂行してきた。自分が責任を背負い込むことで、他人の負荷が少なくなると思っていた。それが回りまわって他人に優しくすることなのだと考えていた。少なくともそうしたかった。
けれど私は気づいてしまった。私はスーパーマンじゃない。Excelとも和解できないし、ポンコツだからすぐミスするし、何より自分一人では何も分からない。
実際の私は1人で背負い込んで空回りしてるだけなのかもしれない。自分が抱え込むことが周りに迷惑をかけているのかもしれない。そうしてまた私は「どうしてこんなことも出来ないのだろう」と嘆き悲しみ自分を嫌っていく。
こんなサイクル、もう何度繰り返したか分からない。
私は私に期待しすぎているのだろうか。
最近、私一人が頑張ってしまうことは他の人を萎縮させてしまうことに繋がるのかもしれない、と気づいた。現代人のことを「パートタイム市民」だとうちの政治思想史の教授は言っていたけれど、誰か独りが頑張ってしまう状況はパートタイム市民すら消し去ってしまう。
私が頑張ろうとすることに無理に着いてきてもらってはいないか、出来るだけ自分の行動の理由や目的を明確に示すことで理解を得ようとしているけれど、それすらも傍から見れば面倒なことだろう。
そんなことをグルグル考えて、またExcelと向き合う。
答えは出ない、私はどうしたらいいんだろうね。
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