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何かを表現することができる人に憧れる

新年明けましておめでとうございます。

新年明けてすぐに書いておかないと、2020年最初のnoteが6月とかになりかねないのでちゃんと書きますよー。

こんな時間に書こうとしてるってことは、今とってもご機嫌さんなんですよ。理由は年が明けたからかもしれないし、しばらく連絡を取ってなかった親友からLINEが来たからかもしれないし、よく笑ったあとだからかもしれない。

私には、このご機嫌さんな気持ちを言葉だけで表現するのは難しい。言葉に限らず自分の気持ちを表現する方法は無限にあるけれど、私はどれもまだまだ未熟な気がする。

自分がこうも下手なので、映画監督でも作家でも俳優でもカメラマンでも芸術家でも、何かを表現することができる人に私はすごく憧れる。羨ましくなる。いや、人に限らず、実家にいる表情豊かな愛犬たちにさえそう感じることがある。

だから今年一年は、昨日の目標とセットで「好き」に限らず自分の感じたことや思いを表現する技術を磨くような一年にしたいね、いつか誰かと共有できるよう。

私が表現下手な原因として、単純に表現の技術不足と、気持ちを素直に受け止めないことが挙げられる。前者は技術的な問題なので身につけていくしかないが後者は少し違う。嬉しいことがあっても、変に勘ぐってしまって嬉しさ100%で喜べない。
人に褒められたりしたとき「実は何かあるんじゃないか?」とか、あまりにも事が上手くいくと「実は何か間違ってないか?この後何かあるんじゃないか?」って必要以上に気にしてしまう人、同士ですね。仲良くしましょう。

好きとか幸せとかってプラスなことをもう少し素直に受け止められたらいいのにね

人間、嬉しいことがあっても変に勘ぐってしまって素直に受け止められないことが多いけど、もう少しプラスな気持ちを素直に受け止めてもいいと思う。プラスな気持ち押し殺してまで勘ぐったっていいことないし。そもそも誰も責めたりしないし。たとえそれが誤解によるものであったとしても、ほとんどの場合は問題ない。誤解は人生を彩るものらしいよ。「どうせ」なんて思ってるより、「もしかしたら…!!」ってワクワクしてる方が世界に色がつく気がする。あまり無責任なことばかり言えないけど、気持ち私はそれくらいの方がいいかなぁって。

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「noteを月に一度は書く」と決めてその月に失敗したので、次は「普段食べないものを食べた日」に書くことにしようと思います。外食をした日とか、ちょっと凝った料理を作った日とか。もちろんそれ以外でも書きたいときは書くけど。雑な文章で、日記と自分の思考整理や決意表明として使っているこんなものでも、Twitterで「あなたの文章が好きだ」と言ってくれた人がいた。ありがとうございます。いいねやスキの数よりも直接コメントしてくれる方が嬉しいし、続ける意欲が出る。ゆるりゆるりと続けていこうと思います。

それでは、2020年、幸せなことはもちろん、辛いことも多いに決まってるけど「ただいちばんの幸いに至るためのおぼしめし」だと思って乗り越えたいな。

おしまい。


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