自分の心の声が聞こえなくなるのは、役を与えられた事による無理の積み重ねの結果
自分で上げたインスタが友達に弄られて凄い焦ったのはなんでなんだろう。
小学生の頃の自分は勉強できてスポーツできて足も早くて確実にヒーローだった。
だから親も先生も友達も俺に期待をする。
リーダーだったり、学級委員長だったり、人に教える係りだったり、なんかそういう役割やらされていた。
頭の悪かった自分は期待された事が嬉しくて人から与えられた役割を演じるのが快感に変わっていった。
うまく役割をこなすことで誉められる。誉められる事で認められる。認められると嬉しくてがんばれる。頑張ったら誉められる。
の繰り返し
それが全て悪かったとは全く思わないし、本当に助けられているとも思っている。
でもそのお陰で価値観が他者から与えられるものになった。承認欲求で動くようになった。
本当はそんな自分じゃないのに、
そんな声に耳を傾ける事もなくそういう役割に当たるであろう登場人物Aをつくりあげていった。
それにはかなり負荷がかかる。ある程度まではそのモチベーションだけで戦えるのだけれど本当に素でやってる人間には敵わない壁が現れてくる。
いつもそこにぶち当たっては逃げていた。
逃げていたのは今まではダメな自分の悪いところだとおもってたけど、今ならそれが正解で、間違っていたのはそもそも、自分が参加するゲーム選択の方だったというのにやっとこさ気がついた。いや言語化できた。
人と向き合うのが好きな性質のお陰で期待を裏切りたくなかったし、それがだんだん相手にも期待をするようになっていった。
真面目な自分が辛いという事に気がつけなかった。
パーフェクトでいなければいけないと思い他人を見下したり、自分はすごいと思い込むことでなんとかやりすごして。
内なる自分の声に耳を傾けてこなかった。
自分を省みる、見つめるということが苦手だった。
思い描いてる自分と現実の自分が違うということを認めたくなかった。現実に目を向けられなかった。
素直になれなかった。辛いと言えなかった。本当はこうしたい。と言う勇気がなかった。
今では自分に素直になれてやっとこれから本当の意味で人に優しくできそうな気がする。
スタイル悪いし、イケメンじゃないし、頭もそんなによくないし、性格も悪いし、でもそれでいいんだ。
そんな自分でいいんだし、それが価値なんだ
と心から少しずつだけど思えるようになって。
それを理解するには心と体のとっさにでる反応に敏感になる事、そしてそれの理由を突き詰める事
で前に進めるとおもった今日この頃。
ナサニエルです。 好奇心ドリブンより何事もつぶやきます。