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amazarashiについて語りたい②~自虐家のアリーについて~

『自虐家のアリー』はamazarashiの「季節は次々死んでいく」のカップリング曲。カップリングの中にあってなお、いわゆる捨て曲ではない。

アリーという少女を主人公にした物語として曲は進行していく。アリーの親に対する愛、親から向けられる愛に葛藤する姿は私の気持ちを揺さぶり続ける。

『自虐家のアリー』に対する私の考察と呼ぶには拙い妄想をつらつらと書き連ねていく。なお歌詞のこと、曲のことはもう周知のこととして書いていくので悪しからず。

私のこの曲の最も気になった歌詞はこちら。

抱きしめられたくて嘘吐いたあの日を 今でもずっと悔やんでる

アリーのついた嘘とは一体、誰に対する、どのような嘘だったのか。

これは、母に対しての言葉だったと考察する。そして、その嘘をついたからこそ、母は部屋を去り、アリーは後悔に苛まれ、衝動的な行動をとったのではないか。

ここではその考察(妄想)に至った経緯と、言葉の内容について、歌詞を基に考えていく。考察の進行のため歌詞は順番が前後する。


彼女(アリー)の状況はどうか。

彼女は部屋の片隅でひとり、うずくまっているイメージだ。歌詞の中で登場するのは「母」と「父」がいるが、ふたりとも現状どこにいるかは描かれていない。

母に対する描写は過去の記憶のように聞こえるし、父は物心ついた時からいない。つまり、彼女はひとりでこれまでの記憶を振り返っていると思われる。

彼女の両親に対する想いはどうか。

母に対する記憶は大きく2つ。

お前なんかどこか消えちまえと言われた時初めて気づいた

時々とても優しく笑う それが母の本当の姿

という歌詞。ひとつは辛辣な言葉を浴びせられる記憶。そしてもうひとつは穏やかに笑う母の記憶。彼女はこちらこそが母の本当の姿なのだという。

父に対する記憶については、彼女と父の直接のやりとりはなく物心ついた時にはすでにいなかったとされながらも、

「窓から小さく海が見えるから 父さんとこの部屋に決めたの」

と父は海が好きだったのだと教えてくれる。そしてそんな他愛のない会話を覚えているくらいには母は、父のことを深く愛していたのだと理解できる。

彼女は母のことを肯定したいと考えながらも、相反する記憶を思い出している。自分に笑いかけてくれる母と、消えてしまえと責めてくる母に、彼女の中の「優しい母像」は自信を持てないままでいる。

母から愛されたい。抱きしめられたい。その想いは募り、彼女を何度も傷つけたことだろう。

番外:アリーの母について

母は父のことを深く愛していた。それを語る時の母はまるで、恋する少女のようだと感じる。私は彼女の母のことは別の歌に歌われていると考えている。

母もまた、自分の中の愛情をどこに向けていいのかわからなかったのではないかと考えている。

母に対してついた嘘とは。

さて本題。私は、彼女は母に対して「お前なんか嫌いだ」と言ったのではないかと考えた。

彼女は母に愛されたかった。愛されていると信じている一方で、常に欺瞞が付きまとった。愛されている。愛されているはずだ。本当にそうだろうか。愛されているのならば、なぜ「消えてしまえ」などと言われるのだろう。


「お前なんか嫌いだ」


この言葉には期待が含まれていた。母に「違う。そうじゃない。愛しているわ。ごめんなさい」と言ってもらうために。そしてその言葉とともに抱きしめてもらうために。

この子はなぜ、こんなことを言うのか。そうか、あの時の私の言葉のせいだ。愛していると伝えなければ、と母に考え至ってもらうためにこそ、この言葉を使った。

けれども、母は彼女が思う以上に不器用だった。

確かに、母は彼女を愛していなかったわけではないと思う。父がいなくても一緒に暮らし、微笑みかけることもあったのだ。そしてそんな母を信んじようと思うくらいには、愛情は彼女届いていた。

けれども、母は彼女の期待通りに考え至らなかった。

やっぱりそうだ。私は上手くあの子を愛せていなかった。こんなことを言われて当然だ。これ以上傷つけるわけにはいかない。私もあの子も。

そうして母は彼女を置いて出て行ってしまった。

母は行ってしまった。本当に行ってしまった。打ちのめされた。母は本当に私を愛していなかった。父も私を捨てたのかもしれない。本当に私はここにいたかったのだろうか。

いずれにしても立ち去らなければならない 彼女は傷つき過ぎた

彼女も、その母も、お互いに傷つき過ぎた。


彼女の衝動

彼女はここに居られないと思い至り、部屋を飛び出す。いつか考えたこと。

あの海とひとつになれたらって そう思った後に少し笑った

あの時は自嘲したけれど、今回はそんな場合ではない。もう自分にできることも、残っているものもない。あの海にいかなければ。あの海にならなければ。

海へと駆け下る。記憶がまた巡ってくる。しかし救われるものではなく、ただひたすらに自分への嫌悪感や、憎しみが広がっていく。

そして、そのまま彼女は海の中へ。

あの人が愛した 父さんが愛した この海になれたら抱きしめてくれるかな 今でもずっと愛してる 愛してる

そうすれば愛してくれると信じている。母はきっと私を愛してくれていた。疑った私を、どうか許してほしい。


さて

どうだったでしょうかね。途中からとても妄想が広がって文体がめちゃくちゃに。アリーは本当に身投げや入水したのだと思う一方で、心理的な描写なのかなとも思ったり。

あと、最初はもっとファンタジーな世界観で、母の虐待を児相的なところに訴えたから母はいない、ってイメージもありました。虐待されたことは事実なんだけど、それを嘘と信じたくて、歌詞の中では「嘘」って表現してたのかな、とか思ったりも。

いやしかし、こうやって妄想をアウトプットすること自体がナンセンスと思うこともあるのです。でも、こうして語りたいこともあって。なので、挑戦してみました。

番外で触れた「アリーの母の歌」は『アルカホール』のことなのですが、いかがでしょう。また機会があれば、そちらの内容でも妄想したいものです。

あなたはどんな妄想をして曲を聴いていますか。書いてみると発見があって面白いですよ。そんなコミュニティがあればな、と思う今日この頃。

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