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適量な情報提供

適量の情報提供は難しいなとつくづく思う。

対象者が何かを選択する時、支援者は、その選択肢の提示から始める。
対象者が悩んでいることを整理し、それを解決する方法をAとBとC・・・のいくつかの方法があると伝える。

それぞれのメリットやデメリットを可能な限り伝える。対象者が想像を苦手とするなら、時間と手段が許す限り、体験の場を設ける。
そもそもAとBとC以外の選択肢を思いつくかも対象者に確認する。

そうして、対象者と支援者が可能な限り想定した選択肢と、それぞれのメリット・デメリットを天秤にかけて進む方向性を決めていく。

この時、支援者が挙げる選択肢が多ければ多いほどよいというものではない。
挙げられる選択肢の多さはそのまま支援者の知識の量なのだろうけれど、それをそのまま本人にぶつけても整理が困難になる場合が多い。
あらかじめ、本人のアセスメントを深め、支援者が「合わない」とか「今回は控えよう」と判断した上で、選択肢を絞っている。
この絞る行為はその支援者の技術や経験がそのまま質に影響すると思う。

知識の量で選択肢を最大限引き出し、その中からより本人の状況に合致したものを絞っていく。
私はここに「保身」が乗っかる。

私が挙げなかった選択肢を本人が希望する可能性もある、と考え、本来絞っていいかもしれない部分も提示してしまう。
これが悪いことなのかどうか、正直わからない。でも、保身がそうさせていることに居所の悪さを感じている。

提示したものから何を選んでもいい、と本人の選択を保障してあげたいのだけど、保身から出てきた選択肢を選択されると、やっぱり口出し(改めてデメリットを提示するなど)してしまう。
何というダブルバインド。これはいけない。

しかしまあ、それでも選択肢から捨てきれない程度にはメリットはあるんだよなあ。でもそのメリットってざっくり「収入が得られる」程度しかなくてなあ。支援課題の方が大きいんだよな。難しいな。

こんなところで悩む10年目ってどうなのか、と思う。

情けないっすね。最近キレがない気がしています。

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