見出し画像

女として生きるということ

私はどうやら、まだ女という性別と心中する覚悟ができていないようだ。

私はある時期から自分が「女」という性を持って生きることに疑問を持ち始めた。性別を持って生きていくことが苦しくなった、というのが正しいのかもしれない。

「女」であることを喜ばれた幼少期

母方の従兄弟は男2人、父方の従兄弟も男2人、さらには兄が1人。家族や親戚にとって、私は待望の女の子だったそうだ。私は女として生きているだけで喜ばれ、蝶よ花よと育てられた。子供心に嬉しかったのを覚えている。誤解がないよう先に言っておくが、両親が私に性別を押し付けるようなことは一切なかった。私の意思を尊重して大切に愛情を注いで育ててくれた。しかし、「女として生まれたことを喜ばれた」経験が、この苦しみの根底にあると思うのだ。

アイデンティティの大半を占める「性別」

女であることを喜ばれた私は、アイデンティティの大半を性別が占めるようになった。私を構成するものとして、女という要素が年齢と共に肥大化していった。同時に、私は女らしく生きられない自分に不満を感じていた。女らしく生きると言うより、私が作り上げた「理想の女」に追いつけなかったという言い方がベターかもしれない。

私の中の「理想の女」

「理想の女」は私に対して厳しかった。時には平気で私を傷つけてきた。『女なのになんでそんなに声が低いんだ。』『脚が太いからミニスカートも履けないのか。』『メイクに興味がないなんて女として失格だ。』そんな声が自分の内側から聞こえるたびに、私は静かに傷つき聞こえないフリをしてきた。ごまかしごまかし、女として生きてきた。そんな私にも、ついに聞こえないフリができない出来事が起こる。

「モテメイク」をする女たち

大学3年生になると同時に女性向けアプリのライターを始めた。あまり女性向けWebメディアなどには興味が無かったが、元々文章を書くのが好きだったし、ライターという言葉の響きが当時の私には特別かっこよく聞こえた。ライターを始めてすぐに、私はあることに気がついた。

『「理想の女」がたくさんいる』

そのアプリの中の人たちは美しくあるため、女であるためにファッションやメイク、ダイエットを頑張っている。さらには「モテメイク・モテファッション」「愛される女になるためには」のような、誰かのためにメイクやファッションを頑張ろうともしている。それらはまるで、私が20年間かけて作り上げてきた「理想の女」そのものだった。
対して私はどうだろう?ファッションは好きだけど、いわゆる可愛い感じの万人受けするような服は好きじゃないし、メイクも外に出るのが恥ずかしくないくらいでオーケー、デパコスなんて興味ない。ダイエットだっていつも失敗してる、もはや痩せる気すら起きない。といったところだろうか。
ついに女として生きることの敗北が決定した。今まで聞こえないフリをしてきた声が、私の胸にズブズブと刺さっていくのがわかった。

性別を捨てたい

女として生きることに希望を持てなくなった私は、性別を捨てようとした。アイデンティティの大半を占めた、あんなに大切だった性別を忌み嫌うようになってしまったのだ。そして見た目から徐々に性別を捨てていった。中途半端に短い髪は、耳のあたりまでばっさりと切り、体のラインが見える服はクローゼットの奥に押し込み、常に猫背で歩いた。生理や胸の膨らみに嫌気が刺し、終いには子宮を取ってしまおうとさえ考えた。別に男になりたかったわけでもなく、女になりたかったわけでもない。私は性別がいらなかった。でも性別を捨てるってどうやってやるんだよ。Google先生も教えてくれなかった。私は女であることを諦めてからもなお、性別という概念に悩まされ続けた。

性別を越えた「◯◯らしさ」

性別に悩み続けて数ヶ月が経ち、たぶん今も悩み続けている。こんなnoteを書いているんだ、たぶんではなく絶対だな。でも少しずつではあるが確実に答えが見つかってきた。
ここまでの過程の中で、気づいたことが2つある。1つ目は、私は常に誰か(何か)と自分を比較していたということだ。周りの人や固定観念、有名人、もしくは自分の中で作り上げた架空の人物と自分を比べては、『女らしく生きられない』と狼狽えていた。私は自分自身を見ていなかった。誰かを見つめて羨み、憧れながら、片手間に自分のことを見ていたようだった。
2つ目は誰かに見られているという意識を持ち過ぎていたということだ。片手間にしか自分のことは見ないくせに、他人の目や評価ばかりが気になった。故に性別を捨てようとした時も、まず見た目から入ったのだと思う。他人の目なんて気にする暇があったら、自分の目を気にしてあげればよかったのに。

性別に悩み、性別を捨てようとしたことで、結果的に私は性別に対するこだわりを捨てようとしている。「女として生きること」に長い長い拒否反応が出たのは、このためだったのかもしれないな。私は今も昔もこれからも、きっとずっと女ではあるけど、それはもう受け入れるけど。自分を1番大切にしてあげて、自分が自分を1番近くで見てあげて、性別を越えた「自分らしさ」を引っ張り出してあげたいと思う。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?