諧謔日記その13:大人を信じるな

昔は大した理由もなく応援できる政治家がいた。
応援っつっても「顔と名前がわかる」程度のことで、普段何をしていて何をしたいと考えているかなんてことは全く何も知らなかったのだけれど。
それは白石が野球少年だったころ、年に数回地域で開催される大会の開会式にいつも出席して応援のメッセージをくれた公明党のおじさんだった。

・おとなからこどもへ「伝わることば」とは
「こんにちは。今日は誂えたかのようないい天気で、まるで空がみなさんのことを応援しているみたいですね。えー、さて、実は私も小学校中学校で野球をやっておりまして、友達と遊ぶといえば野球かファミコンかというくらいだったのですが(笑)、えー、みなさん、将来の夢は何ですか?プロ野球選手でしょうか?ひょっとしたらサッカー選手になりたい人もいるかもしれません。あるいは医者、弁護士、政治家、プロゲーマー、ピアニストなんかになりたいという人だっているかもしれませんね。いろんな夢を持ったいろんな人たちが、いまここに集まっています。もしかすると、同じチームの仲間なのに将来なりたいものがいっしょじゃなくて、そこに生まれる温度差に悩んでいるという人もいるのではないでしょうか。私が嘗てチームに所属していたときはそうでした、悩んでいました。私は当時、将来は料理人になりたいと思っていました。ですが、夢こそ違えど、共にベストを尽くすこと、このことこそが、最も尊いことだったと思っています。これから10年もすればきっとみなさんはばらばらの所でばらばらの方を向いて勉強しているはずです。だけど、全力を尽くした記憶は結果がどうあれ、必ず将来みなさんの背中をやさしく押してくれることでしょう。どうか、現在(いま)を全力(ほんき)で、楽しんでください!はじけろ青春!今回はここまで。ありがとうございました。」

このメッセージは冒頭に触れた公明党のおっさんとは何も関係なく、白石がいまテキトウにでっちあげたifストーリーなんだが、マジああいう場面でスピーチする人ってネタどうやって考えてんの?校長先生の御言葉とかもそうだけど。ネタ帳とかあるんか?どうあれそれなりに努力してるんだろうなぁとぼんやり思う白石なのであった。

しかしなんだ、あの類の御言葉って覚えているものがマジでひとつもない。原因の大半は「子供にゃわからんことを喋っているから」な気がしている。
実際にいただいた御言葉に対して「そんなの実感できるわけねぇだろうがアホか」と思って逆によく覚えているものがある。それは高校1年のおわりごろだったかなぁ、ぼくは高校では吹奏楽部に入ってトロンボーンを吹いたり鍵盤打楽器を叩いたりバリサクを吹かされたりピアノを弾かされたりしていたのですが、毎年度末、定期演奏会に向けた練習が本格化するころになるとOBやOGが多くやってきた。そこで多くの偉大な先輩方が口を揃えて言う。「いま君たちはとても恵まれた環境にある」「後悔しないように」。全く、その類のことはその最中にある者に届かないことすら知らんのか、と思って聞いていた。何をしたって後悔がないことなんてありえないだろうが、大切なのはどんな後悔を選択するかだろうが、なんてことを思ったものだった。達観してるね。

いい言葉だと思ってしっかり覚えているものも紹介したい。
ひとつめ。大学の入学式で当時の学長が仰ったこと。それは「フォルテに込められた意味を探れ」ということだった。「強く」「大きい音で」という意味の記号としてお馴染みのフォルテ、そのフォルテは愛のフォルテなのか哀しみのフォルテなのか。そこを考えられる音楽家であれ、というメッセージだ。キャッチーでシンプルで素晴らしい。
ふたつめ。高校の吹奏楽部の顧問だった須磨先生が定年退職なさる直前に開催された定期演奏会で紹介された際のスピーチ。「顧問の堅苦しい挨拶なんかより生徒たちの演奏のほうがずっと良いに決まってます。心ゆくまでお楽しみください。」ほんとにこれだけ。痺れた。
みっつめ。先日出席した大学の後輩の結婚式で、新郎父親のスピーチ。「私たち夫婦は結婚してからこれまで一度も喧嘩をしたことがありません。仲良く過ごす魔法の言葉を4つ紹介します。覚えて帰ってください。いってきます、いってらっしゃい、ただいま、おかえり。この4つです。中でも大事なのはただいまです。大きな声でただいまと言ってください。」どうよこれ?!祝福も激励も惚気も全部詰まってる!すごくない?腹立つ〜。

ようするに大事なのはわかりやすいことだ。それでいて多くの聞き手が「あれ、もしかしてこれおれに向けて話してることなんじゃ」と思わせる。あれっ、これってあれじゃん、いいシンガーソングライターがやるやつじゃん!共感とかいうやつじゃん!?私にはなかったやつだ!!かなしいね。

・このタイミングで紹介したい1曲
アントニオカルロスジョビンというブラジルの音楽家がいます。ボサノヴァの王様みたいなひとなので知ってるひとも多いと思いますが。彼の作品に「ワンノートサンバ」という曲があるのですが、これの歌詞が音とすごくリンクしていて面白く、かつ良いことを言っているので紹介したい。
この曲のメロディはめちゃくちゃシンプルで、タイトルにある通り1音を連打しているだけなのだ。ンパッパパッパパッパッパッパパ〜、パッパパッパパッパパ〜、と全部ファの音だ。そのあとちょっとンパッパパッパパッパッパッパパ〜とシ♭になるが、すぐまたファになる。これがいわゆるAメロ。ところがどっこい、サビになると上がり下がりの激しい音階が敷き詰められる。が、すぐにまたンパッパパッパパッパッパッパパ〜と1音でできたAメロに戻ってくる。
歌詞なのだが、これがすごい。1音を連打するAメロでは「1音でできたかわいいサンバだよ〜、他の音も出てくるけど基本的には1音なのよ〜」と説明してくれる。音階の激しいサビでは「意味わかんねぇことをめちゃくちゃ喋るやつっているじゃん?音階を全部使って何が残るんだろうねぇ笑」と途端に他人をディスるのである。戻ったAメロで「そんなわけでこの1音に戻ってくるのさ!結局君の所に帰ってくる僕といっしょてワケ笑」「ドレミファソラシドなんて言っても意味ないのよ!この1音に気持ちを乗せればいいのよ!」と言って締め括られるのだ。すごくない?メロディがいいから好きな曲、歌詞がいいから好きな曲、なんて話を聞くことがたまにありますが、それが合わさることでお互いがよりいいものになる場合はよくありますね。この曲ははじめから音と言葉がリンクしており、いわば不可分の関係にあり大変面白い。ぜひ聞いてみてね。(ちなみに白石はこの曲がジョビンの曲だと知ったのは大学生になってからでした。それまでずっとペリキンの曲だと思ってました。カバーを原曲だと思い込んじゃってるパターンってけっこうあるよね。)

いいか。長々だらだら書き連ねるこんなものに価値はないという話でもあるんだぞ。人生をどう使うか考えるんだっ。ぼくはむだを楽しみます。今回はここまで。


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